馴染むということ。
朝、一緒に学校について下駄箱であれもこれも持ったまま、パッと見はモタモタしている娘の姿を見つめる。
ランドセルを下ろせばいいのに、上靴入れを最初から出しておけば良かったのに、水筒置けばいいのに。そう想いながら見つめる。
つい手を出したくなるのをこらえて、言葉にしたくなるのもこらえて見守る。
そんなことも出来るようになったのは最近で、自立して欲しいと言いながら手を出している自分のやり方はおかしいんだよなとは思っていた。
どんなに荷物を沢山持っていようとも下に下ろすのだけは嫌らしい。
今は少しわかってきた気がするけれど娘と向き合い始めた頃、彼女の100か0かという考え方も理解できなかった。
ルーティンに厳しく一度決めたことは何が何でも突き通す。思考が固すぎてついていけないと思ったりもしたがこうして数年共に過ごしてきて感じるのは馴染んだなということ。
私はわたしの考えを基に生きるし彼女も自身の考えを守り抜く。互いに相容れずぶつかり合うこともある。否定して正しいやり方だと私の考えを教えこもうとして。
だけど、それは間違っていて、そんなんじゃ一生相容れないままだった。
彼女は人の気持ちを慮ったり空気を読んだり理解することは少し苦手。だから歩み寄る世界線もだいぶ遠い。
私の思考と彼女の思考は違うものだけど、馴染むことなら出来るんだなって。
考え方が相手側に寄ってしまうとか、間違ってたんだと思ったり、諦めたりするんじゃなくて、あくまで別々のものなんだけどそこに一緒に置いておけるねっていう距離感。それを私は馴染むと感じた。
お互いの価値観は近からず遠からず。
まるきり理解できたわけでもないけど、否定するほどのことでもなくなってきていて。
擦り減らしてきたわけじゃなくて徐々に混ざり合おうとしている。そんな感じがして、こういう価値観の距離感ていいなと思う。
よくわかんないけど、いいよ。
って言えるくらいの軽さもいいね。
理解できないからわからないのではなく、理解はまだだし、よくわかんないけど、いいんじゃない?
深く繋がり合おうとするから絡まりやすくなる。
ゆるくゆらゆら繋がるのがいいときもある。
親子だけど一人の人間同士、そういう間柄でいたいなあと思う。
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