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しぼり、しぼられて。夏

最近読書を初めて思うことは、本を読むような感覚は日常のなかにもあったということだ。心のなかで、今感じていること・起きていることを俯瞰して語っている。

一人の時間が大半を占める現在は、現実の喉は締まりきっているのに、心の喉は休むことを知らない。


・・。


しかし、心の読書にはインプットした語彙しか出てこないのは当然で、限られた言葉の中で、うまいこと言っている。そして自分のボキャブラリーで表現できない現象に出くわすと、回路がショートする。いや、フリーズするという表現が正しいか。と、ここにも自分を検索する要素があるわけだ。


「・・OK。」


その検索にヒットする言葉が多いほど、自分自身に選択肢が増える。それはこの先、困難や壁にぶち当たったと加き、必ず役に立つだろう。いざという時に頼れるものは、自分自身から絞り出される「それ」なのだから。


・・。


人は19歳で人生という時間感覚の半分を終えるらしい。その後は歳を重ねることに比例して時間感覚はみるみる加速し、あっという間に死を迎える。


?・・。


確かに、20歳を過ぎてからの時間は凄まじく速い。いままでのk・・

あっ、、!




・・・またやってしまった。いわゆる仕事のミスというやつだ。集中していないからこうなる。わかってはいるのだが。いや、わかっていないからミスするのだ。



上司に呼び出され、説教をくらいながら、自分を検索する。


・・何もヒットしない自分に、フリーズするしかなかった。

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