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今だから、出来ることがある。と言ってくれたあの人

この前の続きのなるのだけど、眼科の待合室でで何度か会ったSさんという女性の事を書こうと思う。

Sさんは具合が悪い私を見かけて声をかけてくれ、診察が終わって薬の処方までつき合ってくれた。

それも数回。
とてもいい人だった。

この人も、かかりつけでは治療不可能な眼の病気だった。

病気になるまでは「本が友達」で読書が趣味だったという。
今は、1、2ヶ月に一回、目の注射をしに近隣のS町からはるばる病院に通って来ているといっていた。

定期的に目に注射をしないと視力が保てないようで、本当に苦労されているなと思ったのだけど、その当時は私も心が追い詰められていて、上手く言えなかった。

ありがとうごございます、と何度か言ったと思うけど、その当時は普通の状態じゃなく、その辺りがよく思い出せない。

自分もいつ見えなくなるか判らない状態なのに、不安で震えている私の手を握ってくれ(いつも手を握って欲しいと私が言ったので、握っていてくれた。)いろいろと話しを聞いて、励ましてくれたのを今でも思い出す。

この人はいろいろな話をしてくれたし、私もその間は休まらない気持ちが和らいだ。

いろいろ聞いた話の中で覚えているものがある。

バス停で耳の遠いおじさんにバスの時刻を教えてもらおうとしたけど、向こうは耳が遠くて「あー?」と聞き返すし、こちらは目が悪くてバスの時刻表は読めないから聞かないといけないしで、仕方ないので、ずっとそのやりとりをしていた…という話。

少し笑い話風に話してくれたのけど、当時の私は病気の事をそんな余裕を持って話す事は考えられず、いつかはこういう風に話せる事が出来るのかな…と思って聞いていた。

私は当時、この先の人生には何もないと思っていたので、何だか現実感がないな、と思ったりもした。

そして、このSさんが、「目が悪くなったからこそ、出来ること(デザイン)がある。そういう人のために作って欲しい。」と言ってくれた人だった。

今思い返すとSさんが通ってきていたS町はバスに乗っても遠いから、一人で来るのも一苦労だったのかと思う。

Sさんは、いつも待合室でつきあってくれ、自分の診察が終わっても、私の薬が出るまで病院にいてくれた。その後、バスに乗ってS町まで長い道のりを帰るという事になる。市内から通う私よりも何倍も大変。

しかも、そんな風に付き合ってくれたのは、1回だけではなく、私が入院するまで数回あった。

見ず知らずの私のためにそこまでしてくれる人がいる。
そう思うと、少しは頑張っていけるな、と思えた。

入院するまでの数ヶ月、何とか耐えられたのはSさんがいたからかもしれない。

お礼も言いたいけど、今はどうしているのか…。
通っていた病院は眼科自体が無くなってしまったのと、私は違う病院になったので会う事もない。

お礼は言うことは出来ていないけれど、これからも、あの時の言葉を思い出して、頑張っていこうと思っている。

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