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自己紹介です。noteを始める経緯。「大好きなパパ」少し長いです。

はじめまして。note2日目ですが自己紹介をさせて頂きます。

出身居住地:神奈川県

年齢:30代

職業:会社員

趣味や好きなこと:
・料理
・キャンプ
・音楽を聴く事
・YouTube見ること
・読書やメルマガを読むこと
・ベースを弾く事
・ブログを書くこと
・ダーツ
・ネットショッピングや割引シールを見つけること

現在は猫と暮らしています。

性格は人見知りだけど話す時はよく話します。
ちびっ子と遊ぶとよく囲まれていました。

せっかくnoteを始めたので、今まで誰にも話した事のない自分の生い立ちを話します。
少し長いですがよろしくお願いします。

『生い立ちやnoteを始める経緯』


私は神奈川県で生まれ育ち当時は4人家族でした。


暴力振るってギャンブルが好きな父親とそれに怯える母親と妹で暮らしていました。


築何十年の古くて狭い二間の団地に住んでおり、自分達の部屋もなく、常に夫婦喧嘩をみている生活。

父親の怒鳴り声や母親の鳴き声…。

生活費の財布に手を出した父親。包丁を持ち出す母親。のやりとりは今でも鮮明に覚えています。
喧嘩が始まると布団に潜り込んで身を潜めてた幼少期でした。


私はそれでも常に外に遊びに行く事(夫婦喧嘩から逃げていたかも…)が好きで体を動かすのが好きでした。運動会では毎年リレーの選手でした。


私が小学校低学年の頃に、相変わらず生活費をギャンブルにつぎこみ、喧嘩と家出を繰り返す父親。それを何度も繰り返しやっとの思いで両親は離婚。
父親が出て行く形で引き続き団地で「母子家庭」の極貧生活をしておりました。


でも、その頃がめちゃくちゃ幸せで楽しかった記憶があります

毎週末は叔父が来てくれて、父親の代わりのように野球や遊びに連れて行ってくれたりしていました。

しかし僕が中学生になり陸上部の部活に勤しんでた頃、現在の父親が団地に転がり込んできました。

思春期で本音はイヤな気持ちでしたが、後に両親となる大人の2人の意見には反論できずその父親との生活が始まります。

狭い団地で自分の部屋もなく、かなりの違和感を抱いていた生活中で、間も無くして弟が生まれ5人家族となり団地に住み続ける生活をしていました。


やがて私は高校生になり、バンド活動やバイク遊びに明け暮れる毎日で狭い団地には帰りたくない気持ちで遊んでいました。


父親も口うるさく言う人ではないので、母親だけが心配してくれる毎日。


高校も行っては途中でサボったり。朝帰ってはそのまますぐに学校に行って寝ていたり。
当時は友達が生きがいでした。
よく一緒にいた友達の両親も私を受け入れてくれる存在でとても充実していたのをよく覚えています。


それでも何とか高校は無事に卒業し、親の反対を押し切って音楽の専門学校に通い荒波に揉まれすぐに挫折。バンド活動は続けてライブをしたりフラフラしていました。


ろくに仕事もせず当時の彼女の家に転がり込んではヒモみたいな生活をし、今でも相手方には本当に申し訳ない気持ちになります。


その方とは色々ありお別れをし、1人暮らしをしながらストレスの捌け口はお酒に逃げる日々。
転職やニートを繰り返しては何も成長をしておらず、新しい職場に馴染む前に辞める事が多かったので仕事を行く事が怖くなっていました。


なんとか就職した小さな工場。そこで働く事になりました。


その当時働いていた会社は早朝に着いて、夜遅くに帰る生活をほぼ休みなく続けており、太陽すら見ない生活でした。


「一緒懸命」のやり方を間違えたのか、その会社の働き方なのか私は「うつ病」となり仕事を辞めてしまいます。


失業保険と貯金を崩す生活を半年続けて、後に当時の彼女の実家のある地方へ引っ越しをします。

実家の近くのアパートに住まいを設けて、美味しい空気とのんびりな環境に心身を癒す事にしました。

環境とドクターがよかったのか、通院をしながら薬を飲みながらですが仕事もしていました。

そんなある日、家に一通の封筒が届きました。
内容は


「あなたの家族で生活保護を申請した人がいるのでその前にそちらで受け入れてくれないか?」

とありました。そこには紛れもない肉親の父親の名前が記載されていました。

複雑な心境のもと母親には内緒で興味本位でその住所に見にいきました。

すごくドキドキしていたのを今でも覚えています。

そこは私が育ったような団地でした。
多少のお金を持ってその住所に行き部屋のインターホンの前に立ちました。
人の気配を感じましたが、インターホンを押す勇気もなく裏に周りその部屋を眺めていました。


偶然にもその部屋の住人がベランダに人影がでてきて、
そこには暴力を振るってた父親とは思えないようないでたちで、髪も全部白髪で弱々しく洗濯を干している「彼」でした。


何も言葉も出ませんでした。
一瞬目が合い不思議そうにこちらを見ている「彼」

お互いが見つめるけれど一言が出ない。向こうは不思議そうにみていました。

色んな感情と嫌な思い出が錯綜する中、結果的には何も出来ずに帰路につきます。

「あの人をパパと言ってはダメ!」と母親から執拗に言われていた事を思い出していました。


記憶の限り「彼」「パパ」と呼んだ記憶がありませんし、現在の父親にも呼んだ事ありません。

これを書いている時試しに

「パパ」

と私の口から発音してみました。

これは事実なのですが、発音した時かなりの違和感が体中を巡っていきました。

「パパ」と呼びたかった自分と。
呼んではダメ言われてるので。
自分の体の中が気持ち悪いというか…。

実家にある家族の写真も不自然に切り取られてる物ばかりでしたので、顔もほとんど覚えていません。

その後

地方に住んで3年。

現在は実家の近くに引っ越しをしてきて現在も愛猫と暮らしています。


そこから仕事を見つけて、今は人の面倒を見るところまでのポジションに着く事ができました。

ただ現状には全く満足はしておらず、いつも何かを勉強したり知識を得たりして、将来に繋げるプランなどを考えたりしているので、周りの仲間から少し浮いています。



でも



noteを始めたのは。

今や過去の人付き合いの事。

過去の経験。

更に色々な方々の意見などを聞いたりする事。

会社で役に立った事。

些細で大した知識でもないですが誰かの役立ちたいと思いnoteを始めました。



自己啓発
病気
人付き合い
あとたまに猫の事
これらを発信してお役立てして頂けたら幸いでございます。


大変な長文ですがここまで読んで下さりありがとうございました。

お気軽に覗きに来てくれたら嬉しくおもいます。

これからよろしくお願いします。








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