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「役立つこと」は揺るぎない価値か?




先日私は「読書の効用」についての投稿を描きました。その際に、こういうことに役立つよ〜。こんなことができるよ〜。って描いたわけなのですが。

今回はそんな論の根幹を揺るがすような話をしたい。

私は昔から、これやっとくと役に立つよ!と言われても全くピクリともこないタチだった。

むしろなんだか白けちゃう。

「で?役に立つから、なに?」って感じ。

そう。役に立つというセールス文句はほぼわたしには意味がないものなのです。

私が何かをするのであれば、それは得をするからではない。ただただ「楽しそうだから、面白そうだから」。もっというのであれば、私は何か外的要因によって「私が何を選ぶのか」を左右されることを許せない。

多分、私と同じ感覚で何かを選ぶ人もいるのではないでしょうか。

では、なぜ先日の読書論投稿を〜に役立つという観点で書いたか?

世の多くの人が、行動の結果得る具体的な利得を重要視していることを私は知っているからです。

ただし、実際のわたしが読書を愛する理由とは食い違う。
だってわたしは得があるから読書をするわけじゃない。
理由は単純、ひたすら面白く楽しい行為だから。その一点に尽きるのです。


それでは、あの投稿で描いた読書の利点は嘘だったのか?と言われると絶対にそんなことはない。

楽しくて読書をつづけていたら、私はできることがいつのまにかたくさん増えていた。それらをわかりやすくまとめたのが、あの文章なのです。


だから実際には


利点がある→読書をする。

読書をする→能力が身に付いていた。


なのです。


結局何がいいたいかというと、読書は得なんか無くてもやりこめば、めちゃくちゃ楽しい行為だということです。


ただ得があるからする、なんて勿体無い!

是非読書そのものの面白さを発見して欲しいのです。

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