破滅的推し活にハマる私達が本当に欲しいもの

最近になってホスト・推し活の地獄ニュースを目にする機会が異様に増えた。

いや〜〜〜〜〜〜大変だな……。
こういうのが話題になるたび依存症への警鐘とか推し活の闇とか若者の責任感のなさとか様々な分析が寄せられる。
人によって本当に状況は様々で確実にどれとは言えないし、依存症カウンセリングは確かにもっと普及するべきだとは思う。

しかし、だ。

似た事件が頻発しているっていうことは、だいたいそこに社会的・時代的な要因もあることを忘れちゃいけない。

私はコロナ期間こそ自粛していたものの、通算5年くらいは歌舞伎ホストに通う昼職陰キャのごくありふれたオタクである。

(※ちなみに以前の記事で飛んだかに見えた担当ですが、その後別の店に入り直したとの連絡があったのでまた細々通ってます。)

ホストに通い出した理由は過去記事を読んでほしいが、少なくとも私は色営やチヤホヤを楽しめるタイプではない。
担当はズッ友(ずっと友営)だし、ホストクラブには仕事の愚痴吐きや気分転換やセクハラのない安心できる会話を求めて行っている。
在宅ワークが増えた今なら、この「日時やロケーションのすり合わせ不要で色んな人に会える」ニーズの大きさは分かってもらえるだろう。

つまり私はホスト業界のメインターゲットでは全くない。
でもめっっっっっちゃくちゃ分かるのだ。
大金を注ぎ込んで、破滅してもやめられない人の気持ちも。

私が"そちら側"に行かなかったのは、陰キャだからでも友営だったからでもない。単に「ホストが提供するものを先に持っていた」だけだ。

今回は私の実感も含め、ちょっと「破滅した女性たち」の側に寄った考察を書いてみようと思う。

1.カマトトぶってんじゃねえ!!金を使うのは楽しいだろうが!!!

そもそも声を大にして言いたいんだけど
・推しは推せる時に推せ
・推しに金使うの楽しい
・推しは人生
・推し活(=積極的な経済活動)で毎日が楽しくなりました
みたいな言葉が溢れ、めざましテレビやダイソーですら積極的に推し活ビジネスを奨励している時代に

「大金貢いで楽しいとかバカじゃねえの」

みたいな批判はまっっっっったく無効であることを分かってほしい。
推しに貢いでるのはぴえんだけじゃないだろ!!!!ダブルバインドもいい加減にしろ!!!!!!!!

今の時代を生きる私達には、高確率で「誰か(何か)の応援にお金を使うことは快楽である」という情動回路がインストールされている。
そしてその裏には、「●●が足りない」「○○を満たしたい」というその時代ごとの欲望が隠れている場合が多い。

推し活が経済を動かすとすら言われる時代、多かれ少なかれあなたも何らかの恩恵に預かっているわけで、「理解できないなぁ…」みたいなスタンスでいるよりはこういうのを正面から分析した方が建設的だろう。

じゃあ私達は、こうした経済活動を通して何を得たいんだろうか?

私がホストクラブに通っていて本当に実感するのは、推し活では「何かを買う」ことではなく「金を使うことそのもの」に価値が発生しているということだった。

この金の対価で何が手に入るか?は、実はそこまで重要じゃないのだ。
「この場で、自分の一存で、大きな金を動かせる」事実に快楽が発生するのだ。

私は月一(単価5万以内)で通う昼職繊維だが、祝い事や節目の時にシャンパンを下ろすことがある。
過去一使ったのは、担当に何度も愚痴や相談に乗ってもらって大きな仕事の節目を乗り越えた時。めちゃくちゃ奮発して、人生一回きりのオールコールと言うものを経験した。

実際やってみてびっくりしたけど、オールコールってすごい高揚感なのだ。

店内のホストが全員集まってくる様子はそれだけで圧巻だし、それによる声量とオールコール楽曲のグルーヴ感、盛り上がり、腹まで響く振動、すべてが渦の中心にいるような特殊な感覚をもたらしてくれる。

それは初めての「自分が世界を動かしている」という感覚だった。

確かにこれはハマるよな、と思った。
私の収入ではその一回が限界だったし、ハマるとヤバいのが目に見えていたのでそれで終わりだったが、これは経験しないと絶対分からないな、と思った。

過去の記事でも書いたことがあるんだけど、私はホストで女性が得ているものって疑似”恋愛”ではなく、疑似”自己実現”や疑似”権力”だと思っている。

「金を使う」ことで(資本主義)
「ほかの客やホストより優越する」。(競争社会)
そうして「立場を上げる」ことで(地位や権力の獲得)
「承認され」「自分の存在感を上げる」。(社会的な自己実現)

ホストクラブという場で起こっていることは、恋愛というミクロな自己実現よりも、仕事や資産によって得られる社会的な自己実現に近い。
オールコールはそれを特に強く実感する経験だった。

そしてこれは個の性質やメンタルの問題を超えた、この時代ゆえの麻薬だと思う。

次の章で語る”普通に生きられない疎外感”をみんながちょっとずつ抱える時代に、「社会にはまる安心」と「自己の確かさ」を強く意識させてくれるのだから。

2.みんな持ってる「あの人はいいよな」コンプレックス

最近広告でブイブイ言わせている「瓜を破る」という漫画がある。

30代処女が抱える性的コンプレックスの行方とは…!? ごく普通の会社員・まい子には人に知られたくない悩みがあった。それは30歳を超えても性体験がないこと。劣等感に悶々とする彼女は自分を変えるべく行動を起こす。誰もが心当たりがありそうな、言葉にならない思いをあぶり出す現代の冒険譚。

最近無料キャンペーンで呼んでそのまま一気読みしハマったのだが、この作品はすっっっっっっっっっっごく現代の「言葉にできない感覚」を描くのがうまい。

「男性経験がない」主人公以外にも、登場人物たちにはみんな何かしらコンプレックスがある。

独身貴族を謳歌していても「一人であること」への葛藤はにじむし
子持ちで仕事があっても「何もかもが中途半端」になってしまう悔しさがあるし
なんなら主人公の恋愛相手である鍵谷くんは「29歳高卒童貞契約社員」という、この手の漫画では決定的に「持ってない」側の設定である。(しかしこの鍵谷くんが本作史上最高最尊キャラなので本当にみんな読んでほしい本当マジで)

みんながみんな、「周りは自分より満たされてる」と羨みコンプレックスを拗らせている。そんな彼らが、人間関係を通して少しずつ自分のコンプレックスを許していく様を、空回りでも愛おしく書いているのがこの作品の魅力だ。

裏を返すとこの作品がランキング上位をキープするくらい、私達の多くは「うまく社会にはまれない」感覚を抱いている。

野原ひろしのように、普通に大学を出て普通に就職し普通に家庭を持ち普通に家を買う、そんな「普通の生き方」はもうとっくに崩壊している。
なのに私たちはそれ以外の「普通」ロールモデルをまだ見つけられていない。何を選んでも「これでいいのか?」という疑問符がつきまとうし、なぞれるモデルがないから「普通の生き方がしたいのに」というコンプレックスはずっと満たされない。
「瓜を破る」のキャラクター達も、みんな自分の生き方から疑問符を外せずにいる。

オールコールで感じた高揚感というのは、そんな漠然とした不安を打ち消してくれる「この場(=社会)にちゃんとはまっている感覚」だった。

数年前まで某美容クリニック院長が何かと政治思想のアピールで大金を動かし、周囲を従属させる言動が話題だったが、やってることはあれと同じだ。

金と権力によって、自分には影響力があり、疎外されているわけではないのだと確認をする。

裏を返すと、それ以外で自分の疎外感を強く打ち消してくれる手段は恐らくあまり、ない。

3.ホストで”そちら側”に行く人と行かない人

いやいや金と権力は必須じゃないよ!
「好きなもの」があれば人生は充実するじゃん!
自分で自分を愛していこう!
みたいな論調が今は主流じゃなかろうか。

一世を風靡した「可愛くてごめん」の歌詞なんかがまさにそれを体現している。見てくれよ、この”個”の強さ。

私が私の事を愛して
何が悪いの?嫉妬でしょうか? 
痛いだとか 変わってるとか 
届きませんね。そのリプライ 

趣味の違い 変わり者と
バカにされても 曲げたくない 
怖くもない あんたらごとき 
自分の味方は自分でありたい 
一番大切にしてあげたい 
理不尽な我慢はさせたくない 
"それが私"

この歌詞は自分の好きなものを追求し”個”を貫いて生きる姿勢を高らかに歌い上げて大バズした。
でもこれって要は「恋愛で承認される」「社会にうまくはまる」安心感が期待できない時代、もうあてにできるのは自分だけだよね、と割り切る生き方なんですよ。

私はこういう最強セルフコンパッションキャラ大好きである。
でも学校では陰キャポジ、バイトは軽率にクソリプくらう環境で、こんな力強く生きられるウルトラ自我の高校生そういなくないか??
というか、そうそういないからロールモデルとしてバズるのだ。
絶対どっかで病むやん、普通。

この感覚は社会人をやっているとより強くなるだろう。
どんなに趣味に高じて満足していても、どこかで社会的に揺さぶられる瞬間は必ずやってくる。
歳を重ねるにつれ友人が結婚出産し、仕事で名を轟かせ、気づいたら海外移住なんかしてるのを見て、ある日突然「今を楽しむばかりで人生に何も残らなかった」と嘆く人の話は今もそこかしこで聴く。

「好きなもの」は力をくれるし、得るものだって0じゃない。
でもそれはあくまで「今」を満たすものだ。
人生を確立するという視点で考えた時、「社会にはまる(=立場を獲得する)安心感」の存在というのは無視できなくなってくる。
不安定な時代であれば、なおさらに。

ようやく本題だ。
最近女性が推し活地獄(借金が数百万単位のもの)が起きやすいのは、今が最も女性にとって「社会にはまる」手段がわからない時代だからじゃないかと思う。

私の話をしよう。
私がなんでオールコールのバイブスを知って沼らなかったかと言うと、単に「仕事の方が大事だった」だけだ。

今の仕事は悩むことも多いけど、したいことができている。
時にブラックだけど、充実感や承認もちゃんとある。
生活はそこそこゆとりができてきた。
完璧にではないけれど、ありがたいことにちゃんと居場所が、ある。

私はアイデンティティに仕事が強く食い込んでいるタイプで、要はホストに行く前から「社会にはまれている安心感」を持っていた。
他人から見ればそんな大層なものでなくとも、「失っちゃいけない社会の信頼がある」という実感を強く得られていたのだ。

一方で、そんなやりがいのある仕事ができていてもガラスの天井は本当に何度も痛感している。

それ男性なら絶対しないよね⁉みたいな理不尽な反応をされることなんか日常茶飯事だ。
そもそもホストクラブに通い始めた理由の一つは、当時受けていたハラスメント全種盛りの状況をぶちぬく胆力が欲しかったからである。

キャバクラで経営者が何千万も散在するような、そんな楽しみ方はホストクラブでは極めて少ない。
キャバの黒服だった子と話したことがあるけど、なんだかんだでやっぱり動く金額の総量はキャバクラの方が圧倒的だそうだ。

女性が仕事”だけ”で確固としてアイデンティティを確立するのって、まだ結構難しい。
それだけの存在になろうとすると、本当に過酷な道のりだから。

では仕事以外ではというと、昔は「結婚」「出産」が社会的な居場所を得るための切り札だった。
でも昔ほどのメリットが今はもう結婚にはなくなってきている。
男性はまだ結構「既婚」「子持ち」=ホモソーシャル内での地位向上、という等式が残っている印象なのだが、女性の場合キャリアの断絶というデメリットがより強く、どれを選んでも葛藤をするパターンが多い。

要は女性にとって「今を楽しむ」手段は沢山あるけど、社会的な立場を獲得するには何を選んでもデメリットが強くなってしまうのだ。

だから「楽しくはあるけどこれでいいのかな」「でも”何か”を獲得する方法が分からないな」みたいな、”存在の浮遊感”を持つ女性、結構いるんじゃないかと思う。
「好きなもの」があれば確かに人生は充実するけど、それは自分がコミットし続けなければなくなってしまう承認であって、「社会にうまくはまれている」安心とは種類が違う。

そしてそんな「社会的な安心感」無しに、どんな時も強い自己を保ち続けられるのは、本当にアイデンティティマッチョな人だけだ。
じゃなかったら、「可愛くてごめん」や「瓜を破る」はこんなに共感を集めていない。

これはいまだに家父長制の中で、女性が周縁として扱われがちなことの表れでもある。
女性に権力があったら、もうちょっと「社会にはまる(=立場を獲得する)」選択肢が多かったはずだから。

4.結論ー現代で生きる才能って何?

ではこんな時代でも元気に生き延びるアイデンティティマッチョは何が違うのかと言うと、もうなんとなく想像つくと思うけど今最もトレンドな概念である「自己肯定感」があるかどうかだ。
それも「生きてるだけで100点!」みたいな超根源的なやつ。

「今を充実させること」も「社会的にうまくはまること」もつきつめるとこの「生きてるだけで100点!」という安心感への欲望なのだ。

ただこれが簡単じゃないことはもうみんな知っている。
私はここ数年クォーターライフ・クライシス(アラサーになって人生見つめ直しちゃうやつ)もあり結構色々調べてきたんだけど、女性の場合は特に以下の因子が影響を持ってくるので厄介だ。

①ホルモンバランスの影響
②ジェンダー的役割の期待
③親との関係性による自尊心の低下

①は有名なので割愛する。
②はあれよ、「女の子は勉強できなくていい」とか「性的に消費されがちで内面より外見が優先されてしまう」とか「痴漢などの性犯罪で自尊心落ちる」とかそういうやつ。過去の記事でも書いたけどいまだに結構あるよね。

本題の③なんだけど、これ周りの出産・育児体験を聴くようになって初めて気づいたことで、最初は本当に辛かった。
母親になった人達みんな、はっきりと「男の子の方がかわいい」と断言するのだ。

以前西原理恵子さんの娘さんの暴露で結構話題になったけど、この記事でも息子より娘の方が親との関係に困難を感じているというデータがある。

女児が母親からマイクロアグレッション的な冷遇を受けやすい、と言う話は探すとかなりあって、実は私もその例に漏れず、家庭内で無意識の男女差をつけられていたタイプだ。
アラサーでカウンセリングを受けてようやく気付いたことではあるが、それの無意識の累積ダメージは計り知れないものだった。

そもそも親というのは異性の子供に甘くなりがちだし、今はまだ母親の育児コミットがかなり大きいので、結果男の子より女の子が疎外感を覚えやすいという構図はあるだろう。
(その分男の子も「小さい彼氏」扱いされてしまう問題があるわけだけど)

あと女の子の場合、小さいころから他人のためのケア行動を期待されがちで、我を通しづらいというのはよく言われている。
アダルトチルドレンの類型でプラケーター(親のわがままを受け止めて慰める役)と言うものがあるんだけど、これは圧倒的に女性が多いと言われている。

アダルトチルドレンはどれも苦しいものなので、どれが一番つらいかって話では全くない。今回ははしょってるけど、男児は男児で別の問題や葛藤がある。
ただ、どんなに親が頑張っても育児には多かれ少なかれ世の中のジェンダー観や男女の差が出てしまうってことを私たちは覚えておかないといけない。

そこでは女性は「自分を後回しにする」役割を期待されやすい。
まず「推し」って言葉自体AKB発祥で当初は男性オタクのものだったのに、短期間で圧倒的に女性の文化として強くなっているのはなぜかと考えたら、やっぱりこの”役割”との悪魔的な相性の良さだろう。

自分じゃない「誰か」を想定しなければ、うまく「社会にはまる」感覚を得られない。

推し活というのはたぶん、「社会にうまくはまれない」浮遊感を抱える人にとって、この世界で生きるための最後の「役割の獲得」だ。

「推しを応援しコミットしている限り、安心して生きてていいですよ」という、存在の許しにも近いもの。
そうやって「許される」ことによって、浮遊する私達はこの世界に碇を下ろすことができる。

推しは宗教、なんて言われたりもするけど、割と冗談抜きでそうだと思う。
存在の根源的な「許し」を与えられるのなんて、本来は神様くらいだから。

そりゃあね、そんなふうに存在根拠が浮遊して、絶対失えない「社会的な安心感」が得づらい状態で、ホストクラブや推し活みたいな「疑似社会」を経験したらさ。

簡単に連れてかれちゃいますよ。
"向こう側"に。

昼職で運よく”こっち側”にとどまり続けている私でも、そう思う。

だからどんなに善良な親に育てられても、どんなにちゃんとした環境で生きてきたとしても、あるいは男性だったとしても、こういう「疑似社会」にハマってしまうポイントがこの世界にいっぱいあることは覚えておいてほしい。

そしてこれを読んでいる人でなんとなく「社会にはまれない」感覚があって、自分でも分からないまま過剰な貢ぎをやめられない状況だったとしたら。

あなたの抱える空白は、あなただけのせいじゃないことを知ってほしい。
まずは色んな要素が絡み合っていることを知って、それを解きほぐすところから始めてほしい。
今すぐ分からなかったとしても、見えないところで徐々に変わっていくはずだ。
あなたは何を差し出さなくても、この世界で生きていていいのだ

そうして自分で自分を許せるようになってきたら、搾取や駆け引きだけじゃない豊かな関わり方が、夜の世界でもできるかもしれないよ。

アラサーの私は、そう思うのだ。





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