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私はどうして海外に旅に出るんだろう。

思えばこのインドの旅はfacebookで「そろそろ全然体験したことのない、未知の文化の国に行きたいなーモロッコとかーアフリカとかー」とつぶやいたところ、友達のめぐちゃんが「インド、オススメだよ!というか、来年行くけど一緒にどう?」というお誘いを受けたところから始まりました。

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ここ5‐6年ほど、ヨーロッパ在住の友人が増えたこともありヨーロッパが続き、大学時代はアジアが中心(ちょい中米)という旅しかしてなかった私には「そろそろ、あの混沌の中に身を置いてみたいな」なんて思ったのでした。
フランスもポーランドも居心地のいい好きな国&異文化ではあるのだけど、なんとなく「見知っている」文化なのですよね。

今回、旅をするにあたり、一つの問いを持っていきました。
それはとてもシンプルな「どうして外国に旅をしに行くんだろう」というもの。
かつて海外旅行に興味のない友人に、何を求めてわざわざ外国までいくのか?と聞かれて、知らない世界を見たいのかなぁ、なんて答えてみたものの、どうにもしっくりこなくて。間違っていはいないけど、ど真ん中でもないような。
その答えは、ヨーロッパの旅では見つけられなかったのだけど(ヨーロッパの旅は「友達に会いに行く」という明確な目的があったので)、原点に返るような今回の旅では、もしかしたら見つけられるかもと思って旅立ちました。

「音楽カースト」と呼ばれる人たちの学校へ

※今回ここで書くことは、私の体験と拙い英語のヒアリングをもとにしており、正確ではない場合もありますので、ご了承くださいませ。

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インドは久しぶりのアジアで(10年ぶり?)、久しぶりの新興国で(ブラジル以来の8年ぶり)、久しぶりのスタディーツアー(もはや20年ぶり)の様相を呈していました。
訪れたジャイサルメールは、ニューデリーの国際空港から2時間ほど西に飛んだ、パキスタンに近い5.8万人ほどの小さな街です。かつてはシルクロードなどの交易の中継地として栄えた城塞都市で、現在は世界遺産でもあるジャイサルメール城を中心に、観光業がメインのようです(西インドの砂漠も車で1時間ほどの場所にあり、キャメルツアーもたくさん出ています)。
経済的には豊かではなく、牛さんが縦横無尽に歩き、いたるところに落ちている糞に気をつけながら歩く「2次元で見たことのあるインド」を五感で感じ、イメージが立体的に鮮明になっていきました。

今回の旅ではお誘いしてくれためぐちゃんがここ数年訪ねている、自費で運営されている学校への訪問がメインの目的でした。

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この学校は「音楽カースト(マンガニアール)」というカーストの中でも低いカーストの子どもたちに読み書きや算数、英語、コンピューターなどを教えている私学で、子どもたちは6~15歳くらいまで、通常の学校後にここに寄っていくというスタイルのようです。
16~18時は小さめの子どもたち40~50人くらいがクラスに分かれて読み書きのお勉強。18時からは希望者?なのか10人ほどが残って音楽を学んでいます。

良くも悪くも、身近な「カースト」と「宗教」

カースト制度はなくなったといえどもまだ根強く…
なんという話は私程度でも知っていることなのですが、音楽カーストの人たちは生まれながらにして、音楽を職業にすることしか許されていません。かつカーストが低いため、経済的に貧しく、邪険に扱われることも少なくありません。時には彼らが触ったものを「汚いもの」として捨てられてしまうようなこともあるそうで。
また、この学校のある地域にはヒンズー教信者とイスラム教信者が隣りあわせで居住し、イスラムの流れを汲むこの学校が気に食わなく(ジャイサルメールの音楽はヒンズーとイスラムが入り混じる非常に複雑な歴史を持っているのですが)、ヒンズーからいやがらせを受けることもよくあるそうです(糞尿をバケツに溜めてそれを敷地内に撒かれるとか。・・・なぜゆえっ?!ってかやり方!)。そもそも、ローカーストの子どもたちが丁寧な教育を受けること自体がNGという話もあり。

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しかし、彼らが奏でるものは、まぎれもなく神にささげる音楽
学校まで案内してくれた、アーティストでこの学校の先生もしているアクラムは、着いて早々「まずは一曲・・・」という風情でハーモニウム(上の写真の鍵盤のある楽器。アコーディオン的なインドの民族楽器)をセットすると、それまでのおちゃらけキャラから一変し、高く強く響く、揺らぎの多い旋律を歌い始めました。
最初の一音・一声を聞いた瞬間に涙があふれ、そんな自分に動揺して周りを見ると、みんなもすでに泣いていて、

「ああ、これは神にささげる歌だな」

と、すぐにピンときました。
言葉も旋律もコードもまったくわからない音楽に、ただただシンプルに心を揺さぶられる体験はそんなに多くなく、そうこうしているうちに、集まってきた子どもたちがジョインし、誰かに聞かせるのではなく、自分と神のためだけに歌い上げていく声と、何かを探るような、求めるような、捧げるような恍惚とした表情に、なんとも高貴なものを感じて、また泣いて。

途中で、彼らを送り迎えするリキシャに乗らせてもらいました。ぎゅうぎゅう詰めのリキシャで、子どもたちがこれ以上ないっていうくらいの笑顔で私の名前を聞き、言い、歌い、笑う。
ぴったりと身体を寄せ、私の顔や髪を撫でまわし、何度も何度も頬にキスをする。誰かがずっと私の左手を握っているな、誰だろうと思って探すと、向かいに座っている小さな男の子と目が合い、彼はにっこりとはにかみながら、もう一方の手で私の手の甲を何度もさすった。
彼らが下りていく場所は、家とも言えないようなレンガで囲われた家。おそらく、この街の中でもかなりの貧困地帯。
「ねえねえ、明日も来る?来ないの?えーーーなんで?!」「あさってくるよ」「わかった!!!じゃあ、またね!!!」と散り散りに家へ向かう。

矛盾を見つけるために、旅をする

夜も更けて帰り道、道端でなんてことのない会話をする子どもたちを見るともなく見ていて、ふと頭をよぎったのは
「私は、矛盾を探しに来ているのかもしれない」
ということでした。

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私がもともと海外に興味を持ったきっかけが「飢餓がある国がある一方で、どうして給食の残飯は日々こんなに捨てられるのか?」というところだったので、課題を見つけたいというなんとも性格の悪い志向は強いのかもしれませんが、よく考えると「飢餓をどうにかしたい」というよりも「なんで同じ世界なのにあっちには食べ物がなくて、こっちでは食べ物が捨てられてるの?」という「矛盾」への視点がかつてからあるようでした。

なぜ?なぜそんなに矛盾を見つけたいの?という問いの後、
すぐに降りてきた言葉は、

「完璧な世界には必ず矛盾がある」

というものでした。たしか、今年の年始の清里の合宿で、由美さんがポツリと言った言葉かと。なるほどなぁと心に残っていたのです。完璧な世界には必ず矛盾があり、矛盾があるからこそ世界は完璧で美しい。(もちろんそんな綺麗事だけでは済まない、この世界ですけど)

インドの世界の矛盾というか、どうしようもないやるせなさは、これまで触れてきたどの文化よりも強く。

ローカーストとして時に蔑まされる彼らが神にささげる歌をうたい、
ある人は神の名のもとに戦い差別し、
差別されるがゆえに大きな家族を心底愛するあたたかさがあり、
邪険にされているからこそ底なしの笑顔で話しかけてきて歌い、
私の手を強く握り「you are beautiful!」と大きな目を見開きながら伝えてくれる。

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「ありのまま」
なんていう手垢のついた言葉で表現するのがバカバカしいくらい、彼らは、良いことも悪いことも引き受けて日々を生きている。自分を生きることへのある種の責任をもちながら。

友人が訪ねた「音楽が好きなのね?」という問いに「もちろん、だって、音楽は僕の血だから」という言葉の重さ。

まずは自分が幸せである、ということに身を置く。そして、人がほしいだろうと思うものを与える。そしたらまた与えられる」というアクラムの言葉(私はその場にいなかったのでまた聞きのうろ覚え)。

当然、ありのままだからこその振り回され感は多分にあったりするものの(笑)、それすらジャムセッションのようでおもしろく(まあ、仕事したり、生活するには大変だろうが・・・)。

「ありのままでいれば、人から愛されます」「ありのままでいれば、お金が舞い込んできます」「ありのままでいれば、うまくいきます」という「ありのままビジネス」のありのままを執拗に追い求めるという「ありのままじゃなさ」に笑うのですが、このビジネスにハマってしまう人たちはアクラムが話してくれた部分のプロセスが足りないんだろうなぁと。なんてことを夜な夜な話したりして。

話がずれた。閑話休題。

ただ矛盾を受けとめ、完璧な世界の片鱗に触れる

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矛盾は、どこにでもある。
残念ながら身近な矛盾からは、完璧な世界は想像できなく、
まったく知らなかった矛盾からは、完璧な世界の種が、感じとれるのかもしれない(身近な矛盾はどうにかしようとしてしまうからだろうか)。
「知らない世界を見たい」というより「知らない矛盾を見たい」。
それにより、やるせなくモヤモヤするしかない身近な矛盾たちを「しかたないじゃん。それが完璧な世界なのだよ」と、諦めでも癒しでも前向きでも後ろ向きでもなんでもなく、ただただちょっとだけ許せるようになるのかもしれない(この感じ、うまく表現できない)。

少なくとも、インド初日に囚われてしまった「○○と似ているな」「○○と比べてこうだな」「これはこういう歴史背景かな」なんていうダウンローディングな思考回路は、(意図的に排除しようとした部分もあるが)圧倒的な異文化による暴力的なインプット(笑)に手放さざるを得なく、それが後半、むちゃくちゃ心地良かった。
ただ、目の前で起きていることを見る。

最後に、共に旅した陽子ちゃんが、インドのカーストとヨーロッパの移民について、どちらも差別を中心とした社会課題で、ヨーロッパでは「ダイバーシティ」という言葉で受け入れ、広げようとしているけれども、カーストはまたまったく違うアプローチで受け入れている(ざるを得ないのかもしれないが)ような気がするよね、と話してくれました。
確かに。
うん、たしかに。
西欧のダイバーシティとインドの(東洋的な?)ダイバーシティと、色で表現するならどんな感じなんだろうか。

ニューデリーには一切行かなかったので都会ではわからないけど、地方にはここには書かないたくさんのカーストによる差別が当たり前のように存在していました。それはそれは驚くほどに。
むちゃくちゃお世話になった露店商のサムが、私たちが宿泊しているホテルには送り迎えしてくれても近づかなく、それはカーストの違いによるものだと知り、驚き。めぐちゃんが丁寧に「サムは私の大事な大事な友人だから」と伝えて、ホテルの従業員とサムが私たちの送り迎えについて話しあってくれる様子を見て、めぐちゃんが「本当に、この光景はすごいことなんだよ」と教えてくれました。
「なんだよそれ」
と思うんだけど、その文化の良しあしを判断するのは私たちではない。もはや誰でもない。
それを教えてくれた、先日退官した文化人類学の教授の顔を思い出し、時を経ても、私が本当に知りたいことや学びたいことや求めたいものは変わらないのだなぁと感じ入りました。

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名寄に戻ってから6年目に入り、うっかり自分の源泉を忘れてしまいます。
忘れようがそこにあるのが源泉なのでそれはそれでいいのだけど、
今回の旅は、その大事な泉で改めて、手と足をゆすぐような静かで熱い気持ちになりました。

今回の学校を自費で運営するサラワールさんに問いました。

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(サラワールさんはポートランドの音楽大学でドクターまで取得し、そのままアメリカでの音楽家としての生活も約束されていながら、ジャイサルメールに戻ってきてこの事業を立ち上げ、さまざまな地域の課題解決にアプローチする素晴らしい方です)

「なぜ、そんなに情熱をもってこんなことができるのか?」
「いい質問だね」と言った後、少し考えて出てきた言葉はこうでした。
「僕たちは死んだあと、何も持っていけないでしょう?だから、ここに、これからを生きていく人たちに、与え、残していくんだよ」

拍子抜けするほどシンプル。
そのシンプルな答えの奥を、想像できる人間でもありたいなと思いました。

#旅 #海外旅行 #インド




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