【事業の成長に伴う成長痛はどう現れるか? RICビジネス編#3】
私がやらなければ誰がやる。たとえ私1人でもやり抜いてやる。
そんな熱意を持って続けられる事業を見つけ、なんでもやって日銭を稼ぐ創業期(第1話)。自分だけ熱意が高く孤独を感じることもあります。
そこから、どんな属性の人がお客さんに多いか、どんな不があり、どんな属性の人に最も貢献できそうかの知見が溜まって、それを元に事業計画の仮説と構想を組み立てるシード期への移行期(第2話)。人を雇うようになったりします。
この2つの時期を経て、事業がさらに成長するとき、起業家は壁にぶつかることがあるんですね。
仲間と課題を共有する、という壁です。
1人でもやる気概ではじめ、がむしゃらに事業を成長させてきた。その過程で、同じ熱量を持てず離れて行く仲間たちをたくさん見てきた。騙されることもあった。
そんな経験を積んできて、それでも人を信じて託すってことができないと、さらなる成長は臨めないんですよね。私はその壁にぶつかって大変苦労しました。
今回はそんな私自身が壁にぶつかったシード期のど真ん中、
プロダクト開発と呼ばれる時期についての話です。
<プロダクト開発とは何をすることなのか?>
前回、創業期からシード期へ移行する時期の話を扱いました。事業計画の仮説と構想を組み立てる話でしたね。
今回も、シード期と呼ばれる時期を扱いますが、
シード期の中でも、特にプロダクト開発という時期の話をします。
図で言うと左から2番目ですね。この図はあくまで目安であり、この流れ通りに行くことが正解というわけではありませんが、モデルとして頭に置いておくと見通しを立てやすくなります。
シード期に差し掛かって、事業計画を作ったら、それが本当に顧客に価値を提供できるものになっているか最小限のプロダクトを作って顧客の反応をたしかめていくフェーズに入ります(事業計画とプロダクト開発は前後することもあります)。
この最小限のプロダクトを作って顧客の反応をたしかめていくことをプロダクト開発と呼んでいます。
そして、顧客に価値を提供できる最小限のプロダクトのことをMVP(Minimum Viable Product)と呼びます。
MVP提供後は、顧客からのフィードバックなどを参考にし、新機能の追加や改善点の見直しを図ります。
顧客の反応に応じた改善を繰り返すことによって、より顧客のニーズを満たしたプロダクトの完成に繋がるのです。
逆に言えば、プロダクト開発の失敗とは、人の時間とエネルギーを誰のためでもないものに捧げ浪費するものだと言えます。
<事業計画の仮説を検証する>
私自身の例をお伝えしましょう。
前回、顧客を看護師の方々に絞り、病院から一括で請け負うBtoBの形の保育園運営ができないかというアイデアが生まれたところまでお伝えしました。
このアイデアが本当に価値があるかは、どこかの病院に導入してもらい確かめる必要があります。
とはいえ、そうはいっても、どうしたら病院の経営者に自分の事業を知ってもらえるのか、ツテがありませんでした。
そこで、毎日病院に通い、総合受付の女性に一生懸命サービスを説明していました。
今考えれば、そこで営業をしても仕方がないのはわかります。のれんに腕押し状態でした。
ところが、たまたまある病院で受付の奥に事務部長がいて、「それ面白そうだね、詳しく聞かせてよ」と声をかけてくれることがあったのです。
その病院が実証実験を行う最初の舞台になりました。
最小限の経費で実行するため、営業とマネージャーの男性を二人雇用するのみとし、保育士は正社員としては採用せず、業務委託契約を結ぶことになりました。
病院側のニーズに合わせ、必要な時間に必要な保育士数をジャストインタイムで提供する実証実験を行いました。
<直面した課題と立ち行かなくなる予兆>
実証実験の結果、病院向けの保育園運営にニーズがあることがわかりました。
しかし、重大な問題に直面してしまいます。
はじめコストを抑えるため、保育士を正社員としては雇用しなかったと言いましたが、その結果保育士のドタキャンなどにより、病院側の注文に答えられないことがたびたび起きたのです。
今ならマッチングサイトのようなものがありますが、当時は相互に評価するシステムなどもありません。あちこちで人員が急に足りなくなる事態が続出しました。
明らかにまずい状況だったのですが、毎日とにかくてんやわんやの大忙しです。あれこれとその場しのぎの対応はするものの、問題は悪化し続けました。
当時、営業で雇用していた2人の男性社員とは、事業の全体像や課題、ビジョンを共有していませんでした。この業務をやってくれとお願いしていただけ。状況全体を把握していたのは私だけで、それが根本的な問題でした。
しかし、なぜそんな状況を放置していたのか。
創業期に共に事業を立ち上げたメンバーが辞めていったことを考えると、誰より事業に責任感を持っている自分が一人で判断した方が早いと思い込んでいたからです。
とはいえ、もしそれくらいの責任感を持ってやっていなければ生ぬるい組織ができてここまで成長して来れなかったでしょう。
かなり精神的にも肉体的にも追い込まれました。
<現状を変える力>
そうした状況から立ち直るきっかけになったのは、まず問題を自覚することでした。
今正確には何が起きていて、それは全体としてはどういう状態で、根本的な課題はなんなのか。それが把握できれば、問題はほとんど解決したも同然です。
では、どうすれば問題を自覚できるか。
そのためにどんな力が必要か?
今回も現状を変える力を3つ紹介します。
<予兆に気づく力>
1つ目は、このまま行くとまずいことになるぞという予兆に気づく力です。
あれやこれやと問題が起こっていることの根っこには何があるのか?
洞察し、根本にある問題を見つけることです。
そのためにはまず、今何が起きているのかを小さなことから大きなことまで事実を事実として認識している必要があります。
私の場合だと、相次ぐ保育士のドタキャン、「あの保育士さんの対応がまずい」という保護者からのクレーム、「請求書の日付を間違えています」という病院からのクレームなどがありました。
問題は、放置していてもよくなりません。都合が悪くとも、事実を事実として認識しなければ先へは進めません。
問題がそれぞれどれくらいの数、どんな頻度で起こっているのかを把握してやっと分析もできます。
<分析する力>
2つ目は、個々の事象を俯瞰し、全体として何が起きているのかを分析する力です。
これも私の事例で考えると、様々な問題はどれも報連相が全体としてしっかりできていなかったことが原因でした。
特に、社員として雇用していた2人と事業計画を共有できていなかった。
そのため、「このペルソナのこういう課題をこう解決する」という本質が伝わっておらず、それぞれがそれぞれにとっての正解に向かって動いている状況でした。
<価値基準を疑う力>
3つ目は、自分が前提としている判断軸に疑いを挟む力です。
人が本質的な意味で意識や行動に変化を起こすには、価値基準・判断基準が変わることが必要です。
たとえば、幼い頃から家庭で「有名大学に通って、有名企業に入るのが人としての価値」と言われて育ち大手に就職した人がいたとしましょう。
でもそれが本当は彼の価値観ではなかったとします。
それに気づけば、情報の収集から将来の計画、それに基づいた今後の人生設計まで一変するはずです。
私の場合は、「自分一人で判断・決断しなければならない」という価値基準・判断基準があることに気がつきました。
1人で対応しようとするから、あらゆる対応が後手後手に回ってしまうのです。
経営者以外は、事業に対してそれほど熱があるわけではないし、すぐに辞めていってしまうものだ。だから、自分で一から十まで全部決めて、全部自分でやるしかない。
この思い込みを疑えたときに、現状を変えることができるようになったと思います。
<まとめ>
今回は、最小限のプロダクトを作って顧客の反応をたしかめていくプロダクト開発の時期に現状を変える力の話でした。
創業からシード期への移行もそうですが、フェーズが切り変わる時には、なんらかの課題に直面することになります。
その際、壁を乗り越えられるかは、以下3つの力が必要になります。
1つ目 気づく力
何が起きているのか。不(予兆)に気づく。
2つ目 分析する力
全体把握から問題・予兆の意味を考える。
原因を背景から考える。
3つ目 疑う力
自分の今までの判断基準を疑ってみる。
それから、起業全体を通してそうですが、プロダクト開発期は特にたくさん失敗を経験するはずです。作っては上手くいかず、を繰り返すことになるでしょう。辛いこともたびたびあるはずです。
私に言えるのは、失敗は挑戦の証だということです。
大小様々な失敗の結果として得られることによって起業家は成長するのです。
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