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「更新日が楽しみだ」と言われる日まで...

「今週の更新は無しか」

水曜日の『チェンソーマン』、木曜日の『推しの子』と、楽しみにしているマンガがある。

しかし、更新が無い週がある。

おそらく2週更新されて、1週休みっていうスケジュールだ。

マンガといえば”週刊連載”というイメージだけど、「それは人間の為せる業では無い」ってことを『推しの子』で学んだ。

「働き方改革」の影響もあるのだろう。

いち読者としては、作品を見続けたいところなので、「無理」と「頑張る」の間を上手いこと通って更新して欲しいなと思う。


こういう考えって「今どき」なのかな?

僕はマンガが好きである。

しかし「オタク」を名乗れるほど知っているようには思えない。

そんな歴もない。

だからこれから語るのは憶測である。


「オタク」という言葉は今でこそメジャーであるが、少し前の平成時代では、ある種”蔑称”として扱われていた言葉だと思う。

「平成」という元号がなぜか昔に感じられるが、6年遡れば「平成」である。

そんな時代に「オタク」と呼ばれる人は少数だった。

なぜか負のイメージが付いていたからである。

噂によれば、女子児童を誘拐した人がアニメ好きだったとか、アイドルを切りつけた事件があったりとか、そういう異常な人が一人二人出てきただけで「オタク」全体が犯罪者予備軍扱いをされたことがあった名残らしい。

そんな時代にマンガを生産する作者や出版社は、数少ない読者をなんとか引き留めることに必死になる。

そのために「単純接触効果」を使った結果が”週刊連載”だ。

毎週同じ曜日にマンガ雑誌を発売することで、「この曜日はマンガを買う日」という習慣を付けさせる。

習慣というのは恐ろしいもので、行き帰りで同じ道を通るように、習慣付いた行動は繰り返される。

その習慣を付けさせるために、マンガは毎週更新されるのである。


現代では、読者がマンガを読むプラットフォームが多様になった。

雑誌で読む人、単行本を買う人はもちろん、電子書籍もあるし、アプリで読む人もいる。

そして何よりマンガを楽しむ人が増えた。

そうなると、ライトなオタクからヘビーなオタクまで幅広い読者が存在し、「オタクの平均化」が困難になる。

だから曜日だけ指定して「あとは好きな時に読んでくれ」というスタイルをアプリ連載のマンガはするのである。

そして読者を引き留めなければ維持できないような業界でもなくなった。

ということは”週刊連載”という荒業を無理にしなくてもいいのである。

だから「今週の更新は無しか」ということが起きているし、「それでも楽しみに待ってるよ」という僕がいるのである。


これがいいのか悪いのかは、漫画家でないのでわからない。

自分のペースで仕事ができるのはいいことではあるが、「楽をしすぎかも」という疑心暗鬼が起きることもあるのではないだろうか?

何はともあれ、僕が今回言いたいのは、毎週更新するという人の所業ではないことをした漫画家さんがいて、それを熱心に応援したオタクがいたから「マンガ文化は広がった」ということ。

だから「今週の更新無いなら他の作品読もう」と、プラットフォーム内に読者がとどまる仕組みができている。

先人達に感謝するとともに、noteという場で活動する僕にも使えるテクニックを学ばせてもらった。

これだから、マンガはおもしろい!


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

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ではまた👋

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