イラスト大1

実は公務員だった鵜匠/岐阜市は江戸期の二つの街が合体/岐阜市

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★都道府県 岐阜県
★城郭 岐阜城、加納城

 長良川の鵜飼をご存知の方は多いだろう。しかしこの地の鵜飼を司る鵜匠が、宮内庁式部職という国家公務員であることはどれほどの人が知っているだろうか?
 手法が異なるものの、鵜飼は日本と中国にあり、どちらがルーツかははっきりしない。1500年前の埴輪に鵜飼をかたどったものがあり、少し後の中国の史書にも日本の鵜飼の記述がある。このように古代から行われていた鵜飼の中でも長良川の鵜飼は特に有名で、織田信長がや徳川家康が見物し、鵜匠を保護した。
 鵜の首を縄でくくり、獲った鮎を飲み込ませずに吐き出させる鵜飼は効率が悪い。すでに江戸時代には、芸能として各地の大名に保護された以外では衰退し、物見遊山化していた。芭蕉の「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」との句も、宣伝に一役買ったという。
 岐阜の鵜飼は尾張徳川家が保護し、獲れた鮎は将軍家に献上されていた。しかし幕末に保護が無くなり鵜飼は存亡の危機を迎える。その後明治天皇行幸の際、度々鵜飼で獲れた鮎を献上するなどし、ついに1890年、岐阜県知事の要請もあって、鵜匠は宮内省職員となり、長良川の一部は皇室献上用の漁場となった。岐阜市の鵜匠は6家あるが全て世襲で、みな杉山さんか山下さんだ。世襲の国家公務員というのも珍しい。
 今も鵜飼観光漁場の上流には皇室用漁場があり、年8回、献上用の鵜飼が行われる。またこのうちうち2回は各国の駐日大使らを招いて催され、日本

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