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東京23区発祥の地めぐり

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徳川家康の入府以来、日本の政治・経済、そして文化・芸能の中心都市として発展し続けてきた江戸・東京には、様々な物事の始まりの地があります。学校・企業・産業・芸術・風俗など、数多くの…
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2020年1月の記事一覧

「お玉が池 種痘所記念」(東京大学医学部発祥の地)

種痘所から始まった東大医学部★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区岩本町2-5-8、千代田区岩本町2-7-11 ★最寄駅 都営地下鉄岩本町駅 これまでの東京23区発祥の地一覧 ★碑文 「お玉が池種痘所の記念に 一八五八年・安政五年五月七日江戸の蘭学医たちが資金を出しあってこの近くの川路聖謨の屋敷内に種痘所を開いた。これがお玉が池種痘所で江戸の種痘事業の中心になった。ところがわずか半年で十一月十五日に類焼にあい下谷和泉橋通へ移った。この種痘所は東京大学医学部のはじめにあたるの

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「既製服問屋街発祥の地」

露店商が集まっていた神田川南側★ジャンル【産業・経済】 ★場所 千代田区岩本町3−11−16 ★最寄駅 JR、東京メトロ秋葉原駅、都営地下鉄岩本町駅 ★解説文  「江戸幕府が開かれた慶長年間(1595〜1615)になると、神田川の工事が行われ川の南側に土手が築かれました。特に、駿河台東端から浅草橋までの土手は、太田道灌が江戸城の鬼門除けに柳を植えた逸話もあり、また8代将軍徳川吉宗の時に再び柳を植えたことから「柳原土手」と呼ばれました。  この柳原土手に沿った地域は、江戸時代

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「謄写版発祥の地」

懐かしの「ガリ版」は神田で誕生★ジャンル【産業・経済】 ★場所 千代田区鍛冶町2−3−3 ★最寄駅 JR、東京メトロ神田駅 ★碑文 「明治27年(西暦1894年)堀井新治郎父子が我が国初の簡易印刷機を発明し「謄写版」と命名、発売と同時に鍛冶町の此の地に謄写堂を創業した。」 ★解説  神田駅東口から中央通りに出て、銀座方面に向かって左側、神田消防署鍛治町出張所の手前のビルの壁にレリーフが貼ってあります。  謄写版といっても最近の若い人にはわからないでしょう。実際に頻繁に使っ

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「神田下水」(東京市内近代的下水道発祥の地)

本当の日本最初は横浜です★ジャンル【産業・経済】 ★場所 千代田区神田鍛冶町2−13−1 神田駅構内 ★最寄駅 JR、東京メトロ神田駅 ★解説文  「明治の初め日本各地でこれらが流行し、明治15年(1882年)には東京の神田、京橋などで死者5000人に迫るほどの猛威を振るいました。そのため上下水道などの衛生視閲の改善が急務となり、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケに意見を本江m、日本人技師石黒五十二が設計したのが『神田下水』です。明治17年(1884年)から18年(1885

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「神田青果市場発祥之地」

かなり広範囲だった神田の「やっちゃ場」★ジャンル【産業・経済】 ★場所 千代田区神田須田町1−8−4 ★最寄駅 東京メトロ淡路町駅、都営小川町駅 ★碑文 「旧神田青果市場の由来 この市場は慶長年間に今の須田町附近、当時は八辻ヶ原と称していたこの地一帯において発祥したものである。年を追って益々盛大となり徳川幕府の御用市場として駒込、千住と並び江戸三代市場の随一であった。ためにこの市場には他市場で見られない優秀なものが豊富に入荷した。そして上総房州方面の荷は舟で龍閑町河岸へ、葛

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「開成学園発祥の地」

高橋是清が立て直した名門校★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区神田淡路町2ー101 ★最寄駅 JR、東京メトロ駅御茶ノ水駅、東京メトロ新御茶ノ水駅 ★碑文 特になし ★解説  御茶ノ水駅前の近年再開発でできたワテラス前の公園内にあります。かつては淡路公園だった一角です。  裏面に略年譜のみ書かれています。  「明治4年 佐野鼎(さの かなえ)共立学校を創立、明治11年 高橋是清(たかはし これきよ)初代校長に就任、明治28年 東京府開成尋常中学校、明治34年 私立東京開成

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「法政大学発祥の地」

「日本近代法の父」を祖と仰ぐ★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区神田駿河台1ー8 ★最寄駅 JR御茶ノ水駅 ★碑文 「法政大学の前身である東京法学社は、一八八〇(明治十三)年四月、旧駿河台北甲賀町十九番地池田坂上(現在、千代田区神田駿河台一丁目八番十三)に設立されました。翌年五月、東京法学社の講法局が独立して東京法学校となり、その開校とともに日本近代法の礎を築いたフランス人法学者ボアソナード博士による講義が始まりました。その後、和仏法律学校を経て、一九〇三年八月、法政大学と

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「東京音楽大学発祥の地」

国内最古の私立音大★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区猿楽町2−1−14 ★最寄駅 東京メトロ、都営神保町駅 ★碑文 「東洋音楽学校(現東京音楽大学)は、明治四十年五月一日この地に設立された。校長鈴木米次郎は、音楽教育の先駆者で、恩師でもある伊沢修一、高楠順次郎、島崎赤太郎らを評議員に迎え、わが国音楽文化の近代化を目指して創立した」 ★解説  駿河台の猿楽町、有名な男坂の下にあります。  国内の私立音楽大学では最古の歴史を誇ります。大学以外だと1903年(明治36年)に創

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「学習院(華族学校)開校の地」

東京外大、東大と並んでいた学習院★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区神田錦町2-9 ★最寄駅 東京メトロ竹橋駅 ★碑文 「弘化四年(一八四七)京都御所の日御門前に公家の学習所として設立された『学習院』は、明治十年(一八七七)華族学校『学習院』としてこの地に創立されました。 同年十月十七日に明治天皇、皇后両陛下をお迎えして開業式がおこなわれました。 現在学習院は、豊島区目白に大学、高等科、中等科、幼稚園、新宿区戸山に女子大学、女子高等科、女子中等科、新宿区若葉(四谷)に初等科

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「東京外国語学校発祥の地」(東京外国語大学発祥の地)

不遇だった東京外大、校地も転々★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区一ツ橋2-1-2 ★最寄駅 東京メトロ竹橋駅 ★碑文 「東京外国語大学の起源は安政4(1857)年に創設された蕃書調所まで遡るが、直接の前身である東京外国語学校が開設されたのは、明治6(1873)年11月1日、この地(当時の東京府神田区一ツ橋通町一番地)においてであった。東京外国語大学はこの日を建学記念日として、ここに碑を建立する」 ★解説  東京大学発祥の地のはす向かいにあります。碑の場所は「学術総合セン

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「日本野球発祥の地」

実は東大で始まった野球、モニュメントの手は・・・★ジャンル【スポーツ】 ★場所 千代田区神田錦町3−28 ★最寄駅 JR、東京メトロ神保町駅 ★碑文 「この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。一八七二(明治五)年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(一八四三〜一九二七)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。この野球は翌七三年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長した。これが「

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「東京大学発祥の地」「我が国の大学発祥地」

東大の発祥地は多数、しかも発祥時期は不明瞭★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区神田錦町3−28 ★最寄駅 JR、東京メトロ神保町駅 ★碑文  「当学士会館の現在の所在地は我が国の大学発祥地である。すなわち、明治十年(一八七七年)四月十二日に神田錦町三丁目に在った東京開成学校と神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校が合併し、東京大学が創立された。創立当初は法学部・理学部・文学部・医学部の四学部を以て編成され、法学部・理学部・文学部の校舎は神田錦町三丁目の当地に設け

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「中央工学校開校の地」

田中角栄元総理を生んだ測量教育のパイオニア★ジャンル【学校】 ★場所 千代田区一ツ橋2−6−2 ★最寄駅 東京メトロ、都営神保町駅 ★碑文 「明治42年(1909)本校は、この地に開校しました。現在は、北区王子本町一丁目26番17号に所在し、建学の目的は、開校以来一貫して堅実で社会性豊かな実践力のある技術者の育成としています」 ★解説  一ツ橋の日本教育会館前にあります。  中央工学校は、現在は建築・土木・デザインなどの専門学校です。1909年10月21日、私立中央工学校

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