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「お玉が池 種痘所記念」(東京大学医学部発祥の地)

種痘所から始まった東大医学部

★ジャンル【学校】
★場所 千代田区岩本町2-5-8、千代田区岩本町2-7-11
★最寄駅 都営地下鉄岩本町駅

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★碑文
「お玉が池種痘所の記念に 一八五八年・安政五年五月七日江戸の蘭学医たちが資金を出しあってこの近くの川路聖謨の屋敷内に種痘所を開いた。これがお玉が池種痘所で江戸の種痘事業の中心になった。ところがわずか半年で十一月十五日に類焼にあい下谷和泉橋通へ移った。この種痘所は東京大学医学部のはじめにあたるのでその開設の日を本学部創立の日と定め一九五八年・昭和三十三年五月七日創立百年記念式典をあげた。今このゆかりの地に由来を書いた石をすえまた別に種痘所跡にしるしを立てて記念とする」

★解説
 碑は岩本町三丁目交差点の南西角にあります。表題の碑銘は車道側に、設置者名の「東京大学医学部」とともに書かれ、歩道側にはは「お玉が池種痘所の記念に」とあります。また碑面にもあるように、実際の種痘所の場所はここから通りを南に行った3つ先の角の加島ビルにレリーフと小さな碑があります。川路の屋敷の敷地は、さらに加島ビルの路地を入った左側あたりにありました。
 碑にも書かれた東大医学部の創立の日は、安政元年5月7日(1858年6月17日)です。ということは、東大の創立である1877年4月12日より、学部の創設の方が古いという奇妙な状態なわけです。
 実は日本で最初の種痘は九州で行われ、1849年(嘉永2年)には京都と大阪に種痘所ができますが、江戸では9年もあとになりました。これは江戸は幕府の奥医師である漢方医の力が強く、蘭学に属する種痘を認めてこなかったからです。しかし各地での種痘の効果が著しいことから認めざるを得ず、ようやく伊東玄朴ら蘭学医82人が資金を出しあって、開明派の勘定奉行、川路の屋敷に種痘所を作ることができました。

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