私は私であり私ではない。

世界は世界であり世界ではない。

意味は分別の末に産み出された。

だが泰然としてそこにある「あるがまま」は、分別ではとらえられない。

分別する私も、言葉も、そこにある何かとも

ただ対峙して、対峙されることで

とらえる道がひらける。

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