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【世界】死をもって対峙する


例えば今起きている諸々の

政治や経済などの問題も

明日地球に隕石が落ちてきて

人類が滅亡すると分かっていれば

それどころではなくなるでしょう。



全ての問題とされることは

自身の死や

世界の破滅という大問題に

塗り替えられるこになります。




大抵の問題とされることは

自身がある程度生きる見込みがある時か

これからも子孫が繁栄していくことが前提で

起きています。




まもなく自身が死ぬ

もしくは、多少長生きしても子孫が残る見込みがない

ということになれば、地上に起きる問題の大半は

その人にとって意味がなくなります。




やがて死ぬという大問題だけ残るのです。




地上の人間は、いつ死ぬか分かりません。

人類はまもなく滅亡するかもしれないのです。

そんな状況で、どんな心持ちで

種々の問題とされることに立ち向かっているのでしょうか。




恐らく、死、という事実から目を背けて

それがないものとして、自身を騙して

「考えても仕方がない」と諦めて

日々を生きているのだと思います。




ですが、死は必ず来ます。




私は一元論を信じています。

すべては、ただそこにあるがままの世界がある。

自我も、私とされる存在が

私と思い込むように世界の形態がなっているがゆえ

自我が幻のように成り立っている…と考えています。




私が世界で

世界が私で

死とはただの世界がうねった事にすぎないと思っています。



それでも自我を感じている私という存在があり

それが霧散することは、恐怖だと感じています。




そんな死に向き合うことは

人生の最も重大事ではないのでしょうか。



死と向き合うことで、今という時は

瞬く間にその姿を変えます。




それから目を背けていた時に比べれば

劇的に変わります。




そしてその先にこそ

求めている真理が潜んでいるのだと信じています。



死というものが

私という存在を探究する重要なきっかけとなり

その先にある、本当の世界の姿を

意識させるがゆえに。


私という幻想が散ずるという事実が

否が応でも、私を真剣に世界と向き合わせるがゆえに。

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