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色々なダブルケアの物語【7】

うっかり…時間が経って、もう0時37分💦
23時にnoteを書き出して、24時の日付が変わるまでには…と焦って投稿していた頃が懐かしいです。最近、レンタルDVD屋さんのスタイルで翌朝の開店までは前日扱いという感覚に。ということで…気持ち的には11月1日のつもりが…、昨日のnoteで…

「今日から、11月✨」
と書いているので…仕方がないから、今日は11月2日だなぁ…と
日付にこだわってみたり(笑)

ということで、今日から92日後、2月2日はダブルケアの日。
そして、2月にはダブルケア月間です。

そして…
最近、カウントダウンしている割には…

うっかり、ダブルケア月間も説明も、そのリンクを貼ることすら…していなかった私でした💦

ダブルケア月間とは
もっと多くの人に知ってもらいたい。全国のダブルケアの支援の輪をつなげて広げたい。そんな有志が集まって2月2日を「ダブルケアの日」に制定。そして2月をダブルケア月間と定めました。  

ダブルケア月間HPより抜粋


さてさて、今日の本題。

子育てと介護が重なる『ダブルケア』について、知ってほしい!
あなたの側にも、ダブルケアの人がいるかも…?

そうのきっかけになるような…物語が書けたらな…

100人いたら100通りのダブルケアがあると言われるダブルケア。
100人のダブルケアの物語(フィクション)を書けるかな…というチャレンジです。もしかしたら…後半思いつかなくなっているかもしれませんので…、こういう状態もダブルケアなのでは?とか…コメント欄にお寄せいただけたら嬉しいです!


とある家族の物語。

ミオは、28歳。
ソーシャルワーカーとして病院で働いています。社会福祉士と精神保険福祉士の資格を持っています。
2年前に結婚して、子どもは1歳。
ちょうど今日が1歳の誕生日です。

ミオは、頑張り屋さんで、前向きないい子です。

そんなミオですが…、数年前までは、自分は一生結婚しない。躁鬱病の母親を抱えているから、結婚する相手のことも、生まれてくるかもしれない子どものことも…ダブルケアにして不幸にしてしまう…そう考えていました。
だから、きちんと生きることにひたむきで、母親の世話と、自分自身の職業に関するスキルの向上に熱心な、介護と仕事のみの生活といった感じでした。

ところが、ミオが結婚することになったのは、そんなミオをずっと愛していたという幼なじみのトキオの告白から。

ずっと恋愛とか結婚とか…ママになるとか…そんなことに関する憧れを封印してきたミオ。
だけど…トキオの揺るがない一途な想いに、ミオ自身が変化していきます。

2人の結婚に、トキオのご両親の反対は始めあったものの、トキオの想いに、両親は納得し、「ミオちゃんがお嫁さんなら私達の老後も安泰ね。」と冗談を言ってくれるような仲になりました。

ミオの母親の方が…最悪でした。
躁鬱病の症状とはいえ、ミオが結婚して、自分以外の大切な家族を持つことに、「自分だけ幸せになるなんてズルい」「私を捨てて、結婚するんだ!」など沢山の罵声をミオにぶつけます。

そんな母親の姿に、ミオは結婚の話を白紙に戻そうと思いました。

そんなとき、トキオよりも、トキオの父親から、「ミオさんは、もしも自分が仕事で相談にきた女性がミオさんと同じ状況だったとしたら、結婚を白紙に戻すことに対して、どうアドバイスするの?」と聞かれました。

ミオは、「お母さんは躁鬱病の症状で、自分の娘が結婚するという変化によるストレスから症状が悪化しているけれど、それは病気の症状であって、お母さんの病状が悪化しないように、あなたが自分の人生を犠牲にする(結婚を諦める)必要はないんじゃないの。そのために、病院があるのだから、お母さんには現実を受け入れられるように病院でちゃんと治療してもらうことが大切なのではないの?」そう答えながらも、泣いてしまいました。

ミオとの結婚を許したときから、トキオの両親なりに、ミオのことを考えてくれていたようです。

ミオとトキオが幼なじみであるように、その両親も、同じ学年の子どもを育てる保護者としての接点がありました。

穏やかで優しい人だったミオの母は、ミオの父が交通事故で亡くなったことが原因で、気づいたら躁鬱病を患っていました。
当時、高校1年生だったミオは、父親の急な他界によって、人が変わったようになった母のことが、ずっと心配で、側にいたくて…学校を不登校になってしまった時期がありました。そのときに、スクールソーシャルワーカーの先生とお話をして、母親を心療内科に連れて行ってから…生活に関して色々な人に教えてもらいながら、大学に進学し、今に至ります。

ここで、ミオの物語を書いたのは、ミオの結婚によって病状が悪化した母親ですが…ちゃんと治療をしたことによって、状態はよくなったことです。

ミオの母親の中で、ミオが結婚することは、今までの自分とミオとの関係が壊れるような危機感がありましたが、実際に、ミオが結婚しても、近くに住んでくれて、行き来があること、ミオがいなくても1人で意外と何とかなることに気づけてからは、「無事に子どもが成長して子育てを卒業できた私」とポジティブに自分を捉えている部分がどこかにあるように感じられます。

母親の中で、躁鬱病に苦しみながら、ミオに対して申し訳のない気持ちと、夫の死別から立ち直れない自分へのいらだちと色々な想いが絡み合っていたのです。病気はすぐには治らないけれど、前よりもよくなってきています。

ミオは結婚をあのとき、諦めないでよかったと思っています。

とはいえ、躁鬱病の母親と1歳の子どものダブルケア、大変なときもあります。


この物語を書いたのは、精神疾患の家族がいる場合、自分の行動が相手の意に反するものである場合、そうすることで症状が悪化することを心配して諦めてしまう場合や、諦めずに選んだとしても相手に対しての罪悪感や自分を責めてしまう人がいます。
そのことに対して、自分の人生を大切にすることが、ときに相手の病状を悪化させたとしても、それは“病気”であって、あなたが悪くはないんだよ。自分の人生を大切にしていいんだよと伝えたかったのです。

世の中には、「ダブルケアにはなりたくない。」という人もいます。
だけど、ミオのように、ヤングケアラーである人が、結婚し、子どもができるという過程は、ダブルケアラー(ダブルケアをする人)になるという選択をすることなのです。

ダブルケアは1つの家族の形。
それは、誰にだって起こりうること。
そして、そのことを選ぶことも、意味があること。

ダブルケアだから、イコール不幸ではありません。
大変だけど、そこに幸せもあります。

“どうダブルケアするか”が重要になってくると私は思います。


この物語は、ダブルケアを身近に感じてもらいたいなと創作したフィクションです。




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