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障害年金を提出しました

がんばった!がんばったよ!ほめてほめて!私えらい!え〜ん!🥺😭リベンジ!絶対にもらう!私がんばったよ!ほめて! #障害年金

ここでもコロナかよ

と、ここで躁になります😌
「コロナやから混んでて遅れてる?」「10月ごろ?」「そこから50日の手続きを経て年内には何とか?」あ???こんなややこしい手続きふまして人の心えぐる質問も答えさせて半年待たせるとかどういう筋合いなん?人員を2倍に増やせや。人の命をなんや思とんねん。どうせもろたかて平均年収の3分の1や。

障害年金を申請する人にとっては事務作業は大変

ほんまやったら私の重症度やったら初回でまともな病院かかっとったら過去5年分まとめて支給されるのが常道や。でもうちの前の主治医は障害年金に反対派やったからそれは実現せんかった。障害年金の話を進めることをあからさまに渋る姿に違和感を感じられないほど視野狭窄に陥る不眠状態だった。転院する発想がわくほど元気でもなかった。当たり前やんな。最上な判断ができないほどの精神状態だからこその病気やから年金もらおうとしてんねん。でも私にも原因はあって、私はどんなに疲れてても倒れそうでも元気な顔で論理的にハキハキと話すことができるという特性がある。特徴ではない。発達障害の特性だ。感覚鈍麻も関連する、体を壊し15年にも渡る二次障害を引き起こしてしまった大きな原因でもある私の発達特性。


◯◯医者もとい多分ASD

それをあの◯◯医者見抜けんかった。2回目以降の申請では5年遡ることはもうできない。本当なら10年は遡りたいところである。でもできない。この一年に対しての年金が出るだけ。私さっき言ったんだ、市役所の帰りに車の中で「さっきの書類まとめて◯◯病院(前の病院)へ送りつけだろうかなぁ(これが常識的な障害年金の申請用紙の書き方ですよという意味で)」そしたら「恨みはあんたが苦しくなるだけやからやめとき、あと、お金のことは「金」じゃなくて「お金」といいなさい。誰も助けてくれなくなるよ」「「お金」のことを「金」ていうたら何で誰も助けてくれなくなrr「言葉遣いていうのは普段からちゃんとしたかな急に変えられへんねん」

躁期

「…わたし最近双極性障害の躁状態やからなずっとイライライッライラしてんねん。「男言葉になるのもそのせいもあると思う(市役所でレモン「米津玄師)歌ってスキップしながら年金課いって案内のお姉さんが声かけるタイミングに困るのも、夜駅から家までマリーゴールド大熱唱しながら帰るのも、夜に急に泣き出すのも」

(普段言わない文句を強い口調で家族(主に母)にきつくあたるのも多分そうなんだよね)

そしてら黙ってた。かわいそうだなって思った。


怪我の功名

でもわたし今ラッキー、🤞て感じもあるんだよね。性犯罪を泣きながら告白してから家族がわたしに優しくなった😊この家すんげー住みやす〜いいつも自立についてどう考えてるの?と一日2回は食卓で聞いてきて。それを避けるため1人で食べてたら「マチは家族団欒が嫌いらしいんや…」と寂しそうに影で漏らしてたヤバイ家族が!(それは父の方だが)
あの母が「半年も我慢してたのね…」わたしに優しい言葉をくれた!ありえない!よかった。嬉しいというよりほっとしてる。歌いながら踊るとか普段から家でもしたかったことができる。しててもなんも言われない!これが本来の私だ!


虚しさの崖

毎日毎日やることが終わってく。何だかそれがすごく怖いの。昔からシステム手帳(ても学生のやつね)埋まってないと不安なタイプではあったけどさ、そういう問題じゃなくてなんかこう…Rちゃんに勧められてかった本とか『私は私のままで生きることにした』や『何で僕に聞くんだろう』とか埋める本はあるよ。穴を、埋める本。でも穴を埋めたくないって気持ちがあるの。わざわざ穴を埋めようとしなければしなければ、死ねるかもしれない。


夢のない現実的な将来

それから穴が空いてて寂しくて怖くて虚しくて、年金もらったところでどうすんだろうて気持ち。また落ちたら?て気持ちも。グループホームいくとか強気で言ってっけど働けないのに入れるとことかあるか?あるとしたら多分生活保護受けることになるけどそしたらそいつらと私気会う?育った環境違うし。たぶん買い物したらあかんよね?えむりむり!

私はお嬢さん育ちだからさ、それ以下の環境で住めないと思うんだよね。「住めば都かもよ?」「年金もらった後に考えたらいいんじゃないですか?」て女神様が私の周りにはたくさんいておっしゃってくれた。その通りだと思う。その言われた瞬間は。でも夜でも昼でも1人になるとさ、ふとひまができるとぐるぐると暗いことを考えてしまう。


「今までお世話になりました」という日は来るのか

いつかこの家を出ていく。それも結婚や同棲じゃない形で。そんなの想像もつかなかった。想像する年齢になる前に病気になったから想像したこともないけど、なんとかなく玄関で両親と向き合って「今までお世話になりました」てやるんだと思ってたよね。でもそれは叶わないんだ。私は障害者として公金を元手に1人でこの家を出て自活を目指す。それが私の人生。「人間みんな1人だし」とか呟きながら夜1人寝るのを今までもこれからも繰り返すんだ。私は私のこと好きな人のこと好きになれないタイプだから。ずっと。しぬまで。


元彼の話へ続く!

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