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どうしようもない

もしあのときああしていたらとかは、あまり思わないタイプだ。なぜならば自信がないから。精一杯やってきたという自信を持つためにもしもの道の存在を考えないようにする。もしかしたらそれは当たり前のことかもしれない。でも私のようなネガティヴな人間にとっては非常に難しい部類に入るはずの行為だ。


そんな私でもやはりどうしようもなかった。深刻すぎる結果を鑑みてもあれはどうしようもなかったと思うことがいくつかある。それらをもたらしたのは全て私の不眠だ。不眠になれば誰でも性格と体調を悪くすることができる。昔どんなに善良でもがんばりやでも。自己中心的で怠け者という称号を手にすることができていたことがある。


一度失った信用を取り戻すのは大変とはよくいうが、それは信用を急に知らない人(=神さま)に取り上げられた人にとっても同じである。

毎日いわれのない誹謗中傷を信用していたはずの親や兄弟から浴びせられる。時には真剣に、時には呆れて笑いながら。

「なんでやらないんだよ?」私「できないんだって(←過剰適応のせいでできそうな声量)」「いいからやって身?勇気出して」私「(勇気を出して挑戦)→体調を崩す。…ほらやっぱり無理なんやってしんどくなったんやけど?!」「あーもうそうやって人のせいにばっかりして。できへんのやったら自分でコントロールしやな誰もあんたの体調なんかわかるわけないやんか。せっかくアドバイスくれる人に文句ばっかり言ってたらもう誰も何も言うてくれなくなるよ?」


この後の自分の感想とか反応とかは覚えていない。きっと覚えているに耐えうるものではなかったからであろう。


犬が可愛いこと以外は毎日がこれである。「毎日自分の本当の家族と住むことがどんなに幸せなことかわかってない」と言われたこともある。つまり私は私より不幸(と本人が感じているであろう)人のちょうどいいいびり対象だったのだ。

そんなこと言ったら怒るだろうな。


だって多分半分以上は本気で私を慰めようとしてくれていた。ただ彼女たちも人にちゃんと慰められたことがなくて、うまく言えなかっただけなのだ。

誰も悪くない。


とかく、人に優しくするのは難しい。

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