「どう生きるか」を忘れるほどに
「どう生きるか?」
いい人生だったと思って終えるために、
自分を知り、どのように風に生きるかを決めることは無数の選択肢が選べる今の時代に重要なことです。
そのために、
生きることについて長い時間考えている他者から学んだり、自分の経験から内省したりということが役に立ちます。
しかしそればかりにとらわれていても、
本来の目的から逸れることになります。
本来の目的とはどう生きるか考えることではなく楽しむことです。
「どう生きるか?」を忘れるほどに
どう生きるかと問いを建て、
自分の答えをより精密に見つけていくことは生きる方向性を明確にする上でとても役に立ちます。
しかし人生の目的は、
どうすれば人生をより良くできるかと考えることではなく、実際に人生を楽しむことです。
例えるなら、
問いを立てることは観光地の情報を調べ、
旅のプランを立てることです。
本当に重要なのは旅を楽しむことです。
旅行情報誌を読んで、巡る先を取捨選択して不要な迷いを減らすことは重要ですがそれはあくまで旅に出た時に生かされることです。
どう生きるか考えることは重要ですが、
あくまでもその後の行動の布石になっているというだけです。
どう生きるかというのを明確にした上で、
それに基づいた行動を起こした時初めて問いを立てて答えを考えたことの意味が生まれるのです。
そういった問いを全く考えずに楽しく生きる人もいます。
本来生物の自然体の姿はあれこれ考えず今この瞬間を感じるというものです。
しかし、
インターネットが普及していたり、
職業選択が自由になっていたり、
あらゆる選択肢を取れるほどに豊かな現代を生きているからこそ、
何でも選べるがゆえに、
人との比較をはじめとする自分以外の価値観に振り回されることは多いでしょう。
贅沢な悩みです。
この状況を作る程に文明を進化させた先人に感謝です。
そんな時に、
問いを立て方向性を決めることは、
もはや現代において必須なのでしょう。
それがテーマの作品も様々生み出されています。
ですが、先述した通り、
問いを持つだけでは意味をなしません。
自分の問いと答えにしたがって実際に動くことが重要です。
より良く生きるなんてことは考える隙もないくらいに今に集中しましょう。
問いを持つことは、
気分が落ちた時、迷いが出た時、
なんだかパッとしない時、
自分を助けてくれます。
しかし、
それは浮上するためのきっかけに過ぎず、
調子がいいときは考える暇もなくなるものです。
そして、また停滞した時、
その問いに向き合い修正していく必要が出てくるでしょう。
また考え直しですが、
考えることに慣れていると、
より精度が上がっていきます。
人生はこの連続なのではないでしょうか?
「どう生きるか?」考えつつ、
そんな問いなど忘れるほどに今を感じましょう。
この一見矛盾する行動が人生を充実させるでしょう。
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