正しさと、その芯に、幻想がある
一日を過ごす中で、怒りの感情に出会わないことはない。
歩道を走る自転車に怒鳴る人。
電車から降りる人に肩をぶつける人。
低速運転の車を煽る人。
どれも、ルールを守らない事への怒りであり、正義感のようにも感じる。
ただ、怒りはそんなに崇高なものではない。
その芯には、自身へ弊害を与えるものを排除する思考がある。
自分が持っている正義感を犯されたことにより、心は乱れ、やがて怒りへと変わっていく。
正義感という名の”ルール”は、いつだってその人の安定化剤になっているからだ。
ルールは確実性があるように見えて、非常に脆い。
一見正しさの塊に見えたとしても、科学を基盤とする世界である以上、”確実”などただの幻想だ。
どんなものも、人の感情が流れ込み、不確実性を増していく。
だったら、何を頼ればいいのか。
そんな質問に答えなどない。
答えがないことを、知るべきだ。
ただそれだけのことで、この世界は何倍にも生きやすくなる。
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