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【心得帖SS】「戦略の種」を見つけよう!

「京田辺課長、本日は有難うございました」
営業一課の大住有希は、ホール玄関から出てきた営業二課の課長、京田辺一登に頭を下げた。

「どういたしまして、以前大住さんがこの分野に興味があると言っていたのを思い出したので声を掛けさせて貰ったんだ」


隣県で月例開催されている外部セミナー。
今月の講師は有希が学生の頃から感銘を受けていた人で、新入社員のとき京田辺には世間話程度に触れたことはあったが、まさか今まで覚えていて貰っているとは思わなかったのだ。

「何か得られるものはあったかな?」
「はい、学生時代は漠然と捉えていた言葉に少しだけ自分の経験や考えを載せることが出来ました。まだまだですけれど…」
有希の返事に若干のトーン差を感じた京田辺は、ふむと首を傾げながら言った。
「大住さん、この後まだ時間あるかな?」


「【戦略の種】ですか?」
一杯目のビールに口を付けた有希は、キョトンとして尋ねた。

「ああ、カタい言い方だと【将来への投資】かな」
海鮮サラダを器用に取り分けながら、京田辺が応える。子どものように夢中になっている彼の姿に、有希はクスリと笑った。
「我々現場の営業部隊は、数字に追われる中、どうしても足元や目の前に意識が行きがちになってしまうけれど、半年・一年以上先を見据えてプランを練ることも大切なんだ」
「はい、本当にそうですね」
思い当たることがあったのか、有希は身を縮こませる。

「戦略の立て方が良く分からない場合には、どうすれば良いのでしょうか?」
一旦気持ちを落ち着けた有希は、京田辺に尋ねる。
「そうだね、まず大住さんがその取引先さんとどうなりたいのか、理想の姿を思い浮かべるんだ」
胸元から自前のボールペンを取り出した京田辺は、手元にあった紙ナプキンの右上端にGoalと記した。
「そして、現在の立ち位置から何が足りていないかを確認していく」
左下端にNowと記したあと、2つを上向き矢印で結んだ中央にGAPと付け加えた。
「次に足りないものを具体化していくのだけれど、実際に相手先とのやり取りをイメージしながら、そこに辿り着くまでの道筋を思考していくと、最初の一歩をどうしていくかが朧げに浮かんで来るんだ」
「…なるほど」
取引先のチーフバイヤー、名塩美由紀の姿を思い浮かべた有希は納得顔で頷いた。

「ラフ案ができたら、チームで共有しながらワイワイガヤガヤやってプランをカタチにしていく。慎司課長でもチョーさんでも、勿論私も頼って貰って良いからね」
「はい、色々とアドバイス有難うございました」
有希はこの日一番の柔らかな笑顔を見せた。

「それ以外にも、何か悩んでいるのかな?」
京田辺が、若干気遣いながらポツリと聞いた。
「え?」
「いや、気のせいだったら良いのだが、いつもの大住さんらしくないような気がしてね」
努めてフラットに居ようとしている京田辺に好感を抱いた有希は、お酒の勢いもあって少し胸の内を打ち明けてみたくなった。


「実は、認めて欲しい人が出来まして…」
「うん、そうなんだ」
「仕事でも頑張りたい、成長した私を見て欲しいという気持ちになりましたし、1人の女性としても、ちゃんと認識して欲しいなって」
そこまで話した有希は、ハッと気付いて慌てて付け加えた。
「あ、これから課長に告白する流れじゃないですよ。凄く尊敬はしていますが、そんな感じではありませんので」
「いやいや、そこまで自惚れていないよ」
流れで振られた感じになった京田辺は思わず苦笑した。
「それで、彼に認めて欲しい自分があって、今の立ち位置から前に進んでいきたいのかな?」
最初の相談内容と上手く絡めながら、彼は更に尋ねてみる。

有希は、表情を引き締めてハッキリと言った。
「私、こういうモヤモヤした気持ちは初めてでしたが、意外に腹を括るタイプのようです。相手の人には『これからどんどんアピールしていくので覚悟しておいてください!』と伝えたいですね」

「いい覚悟だね。相手の人は大変だけど、そう言う女性は嫌いじゃないよ」
「だから残念ですが課長はタイプではないので…」
そう言いかけた有希は、京田辺が何となく遠い目をしていることに気が付いて口を閉ざした。

「京田辺課長、ちょっと踏み込んだ質問をしても宜しいでしょうか?」
「…内容によるけれど」
「個人的な興味でお伺いしますが、課長って独身貴族ですよね?」
これまで会社の女性陣が誰も斬り込めなかった部分を彼女はえいやっと乗り越えてみた。
(さあ、どういう返事が来るかしら)

暫く考えていた京田辺は、やや引っ掛かった感じでそう応えた。

「お察しの通り、いまはしがない独身のアラフォー男だよ」

「…そうですか、今の発言で課長の隠れファン達がザワザワしますね」
「いやいや、そんな奇特な人は居ないって」
ややおどけた口調で言葉を返した有希は、彼の台詞に隠された意図を考えていた。

(なる程、いまは、か…)

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