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【心得帖SS】「要件定義」は誰のモノ?

【●●支店スケジュール共有システム】は、全国展開を見据えたトライアル企画として開発プロジェクトチームが立ち上げられた。
プロジェクトマネージャーには総務部課長の忍ヶ丘麗子、プロジェクトリーダーに営業一課主任の長尾圭司という面子で、各課から相応のメンバーを揃えてスタートしたのだが…。

「進捗、良くないですね」
ランチセットのサラダを突きながら、営業一課の大住有希がポツリと呟いた。
「そうね…」
彼女の隣に居た営業二課の四条畷紗季も、その意見に同意する。
本来であれば現状分析と課題抽出、ギャップの可視化と定量化、優先順位付けまで終えている時期なのだが、進捗率はその3割程度。
その主たる原因が…。


「2人ともそんな顔しないしない。折角の美人が台無しだぞっ!」
彼女達の前で大盛パスタを頬張っていたのは、本社情報システム開発部の海老江建。
同部のエース社員で元スーパーハッカー(自称)なのだが、現時点ではその片鱗すら見えて来ない。
しかも、初見でよっぽど気に入ったのか、機会があれば紗季と有希に絡んで来ている。

「あのー海老江さん」
有希が海老江をキッと睨み付けて言った。
「営業サイドの課題と対応策は早々に纏めたのに、システム側の提案はいつ上がって来るのですか?」
「んー、鋭意作成中だよー」
クルクルと器用にパスタを巻き付けて、海老江は彼女の抗議を受け流す。
「昨日も同じこと言ってませんでしたか?って言うかあなたいつまで滞在するつもりなのですか?」
「おっ気になる?何なら有希ちゃんの家に泊めて貰おうかなぁ」
「却下です!」
海老江のアプローチを一刀両断する有希。
その様子を、紗季はじいっと見ていた。

「ん、ナニ紗季ちゃん。俺のこと熱い目で見つめて。もしかして愛の…」
「海老江さん、そこまでして時間稼ぎをしている理由は何ですか?」
「…つっ」
「図星なのですね」
彼の表情を冷静に分析しながら、紗季は話を続ける。
「おおかた、情報システム開発部の中で上手く交通整理ができていないのでは?」

「紗季ちゃんには叶わないな…」
海老江はふうっと息を吐くと、幾分声のトーンを落として話し始めた。
「その通り、いま情報システム開発部は文字通り2つに割れてしまっているんだ」

本件を推進しているシステム開発部長と、反対派の副部長の対立が表面化。周囲の部員も巻き込まれて全ての開発案件がストップしてしまった。
副社長が間に入って調整中だが、双方の溝は深く、なかなか決着が見えて来ない。

「年配者の恨みは根が深いですからね」
話を聞き終わった紗季は、納得顔でフォークを置いた。
「現場レベルで進められるところは進めているが、どうしても上長の承認が必要なプロセスで流れが止まってしまっている。全くもって申し訳ない」
深々と頭を下げる海老江。
有希はプリプリしながら彼に話し掛けた。
「全く海老江さんはどうしようもないですね」
「返す言葉も無いよ」
「そうじゃなくて、ねえ紗季さん」
「そうそう、最初から素直にそう言って貰えれば打つ手は色々とあったのに」
「…え⁈」

翌日から、今までの停滞が嘘のように承認作業がどんどん進み始めた。
「驚いた…」
すっかり冷めてしまったカップ珈琲を啜って、海老江は隣席の紗季に話し掛けた。
「教えて欲しい。キミはどんなマジックを使ったんだい?」
「企業秘密です」
澄ました顔で応える紗季。
「海老江さんも真のエースを目指すのなら、もっと視野を広く持ってくださいね」
ニコッと笑う彼女を見て、海老江は人差し指で鼻の下を擦って言った。
「眩しいねぇ。本気で惚れてしまいそうだよ」
「ゴメンなさい。わたしはもう心に決めたヒトが居ますので」
「あら、そいつは残念」


『…今回の件は、貸し一回だぞ』
「分かってるって」
電話の向こうでニヤニヤしている本社商品開発部チーフの御幣島密に、京田辺一登は表情を抑えながら応えた。
『まあこちらも、情シスの面倒な派閥を一掃できたから、チャラにしておいてやるよ』
「密の迅速な判断と行動に感謝するよ」
関連会社への左遷が決定した副部長の苦い顔を思い浮かべて、京田辺は改めて御礼の言葉を述べた。


『しっかし、一登は相変わらず四条畷さんに甘いなぁ』
「ん?」
『いくらお願いされたからって、普通こんな奥の手は早々使わないぞ』
「そうか…そうだよな」
詳しい内容は割愛するが、下手をすれば京田辺と御幣島のクビが飛んでもおかしく無い立ち回りを行っていたのだ。
しかも自分のためではなく、紗季のためにである。


『一度、冷静になって考えてみたらどうだ?』
同期の優しいアドバイスを半分流して聞きながら、彼の残り半分は自身が今回その様な決断を行った理由について、ゆっくりと思考を巡らせていった。

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