【心得帖SS】「セルフマネジメント」の達人?
●●支店営業一課主任、長尾圭司はじっと目を閉じていた。
深く、深く意識を沈ませていく。
果たして、そこに待っていたのは自分と瓜二つの人物だった。
『来たか…』長尾のクローン(紛らわしいので圭司Bとする)は、口を開いた。
『今日は、何の件だ?』
「一昨日、とある企業が会社更生法の適用申請を行った」
長尾は静かに語り出した。内容は彼の部下である大住有希の担当取引先が売上急減少した中で、取引停止を持ちかけられた一件である。
『確か、売掛金は保険で回収可能という認識なのだが』
圭司Bは、その件は既に終わった話じゃないかと訝しむ。
「表面上はそうなのだが、深く見ていけば色々な反省点が出て来ているんだ」
『ふむ、具体的には?』
圭司Bが続きを促す。
「【与信管理】という観点からだ」
長尾の目の前に、該当取引先の月別売上推移表とグラフが浮かび上がる。彼はグラフの一点を指差した。
「この時点で、我々は何かおかしいと気付くべきであった。目先の売上増減に気を取られて、相手先の真の原因を紐解く機会を逃してしまったことは大きな反省だよ」
そこまで聞いて、部下を責めていると感じた圭司Bは慌てたように反論する。
『いや、大住さんだっけ?彼女はまだ若いからそこまでアンテナを張るのは難しいのではないか?』
「何を勘違いしている。これはキチンとした道筋を示すことができなかった私のミスだと言ってるんだ」
圭司Bとやりとりしている中で、長尾は何故自分がこんなにも苛々しているのか何となく分かってきた。
そう、今回は結果として、取引先が売掛金を意図的に下げて当社のリスクを低減させるほどの友好関係を構築していた、大住有希に救われたのだ。
勿論、相手先の部長が相当の人格者だったこともあるが、長尾自身今まで彼女ほど取引先に入り込めていたのかと問われると、言葉が詰まってしまうのだ。
「…部下に嫉妬するなんて、嫌な男だな」
まだ、何か言いたげな圭司Bに別れを告げ、長尾はゆっくりと意識を引き揚げていった。
彼が毎日朝夕に【黙想】を行なっていることは、支店のメンバーは皆認識していた。
彼曰く、朝は当日のTODOリストチェックと進行中のプロジェクト確認、夕方はその日の自己採点と課題の整理等に関して、頭の中で第三者を呼び出して行なっているとのこと。
いつからか、長尾は【セルフマネジメントの達人】と呼ばれるようになっていた。
彼自身も、自分はこうあるべきという意識が強すぎる、自分に厳し過ぎることは充分認識していた。だが、20年以上このスタイルでやって来たので、自身でも早々に改善できるとは思えなかった。
「…かと言ってこのままじゃあ、チョーさん自身も、チョーさんの部下も苦労するわなぁ」
「うわっ!」
いきなり目の前から声を掛けられた長尾は飛び上がった。
営業一課の統括課長、寝屋川慎司は手にした缶コーヒーをぐいっと飲み干して言った。
「瞑想の邪魔して悪かったな、通りがかったときに『嫉妬』という言葉が聞こえたものだから、ついつい足を止めて座ってしまったよ」
長尾の瞑想スペースとなっている奥の打合せコーナー、対面にどっかり腰を落ち着けた寝屋川は、ゆっくり諭すように言った。
「チョーさん、嫉妬には2種類あるんだ」
「え?」
意表を突かれた長尾はポカンと口を開ける。
「【悪い嫉妬】は自分の劣等感やコンプレックスから生まれた、他者を貶めようとする感情の塊。それに比べて、【良い嫉妬】は他者の良いところに目を向け、あの人のようになりたいという感情のことを指しているんだ」
寝屋川は長尾の肩に手を置いて優しく言った。
「部下の成長を妬むのではなく、更なるステージアップを願うことが上司の役割だ。良いところは素直に受け入れて自身のスキルアップに繋げるとなお良しだな」
その時、長尾は以前隣課の課長、京田辺一登から聞いた言葉を思い出した。
「マネジメントで大切にしていることは、【部下の幸せを、心から願うこと】かな」
「邪魔したね、お疲れ様」
ブースから離れて歩き出した寝屋川の背中に、長尾は思わず声を掛けた。
「ご指導…有難うございました、課長」
「いえいえ、壁打ちの相手ならいつでも声掛けてよ」
セルフマネジメントを重視した長尾に配慮した言葉を返す寝屋川。
「あっ、何ならチョーさんの瞑想に出演してもいいよ。今なら出演料はこれくらいで…」
「あ、それは本当に結構です」
「うーん、君は相変わらずボクに容赦ないねぇ❤︎」