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【心得帖SS】「昭和」のサラリーマン

「待たせたな、一登」
駅前のカフェで濃厚カフェラテを飲んでいた京田辺一登に、寝屋川慎司が声を掛けた。
「また凄いモノを…」
トレイに載っている山盛ポテトとダイエットコーラをチラ見して、京田辺がなんとも言えない顔をした。
「これから退職者懇談会だと言うのに、そんなに食って大丈夫なのか?」
「むしろ腹に何か溜めておかないと悪酔いするだろう?」
早速ポテトを齧りだした寝屋川を無視して、京田辺はマグカップに口を付けた。
「とうとう西木津さんも定年退職か。月日の経つのは早いなぁ」
「確かに。オジキの目にも涙は浮かぶのかなぁ」

会場であるホテルの宴会場では、総務部を中心に準備が進められていた。
「あとは名札を並べて終了ネ」
総務部課長の忍ヶ丘麗子が、腰に手を当てながらフロアを見回した。
「課長、マイクテスト問題無しです」
「ありがとう、敬子ちゃん」
珍しくフォーマルなスーツ姿の星田敬子が、テキパキと業務をこなしている。
頼もしい部下の働きぶりを眺めていると、エレベーターホールから初老の男性が歩いてくるのが見えた。
「お久しぶりデス。お早いお着きですネ、西木津部長」
「もう引退したから役職名はやめてくれ、忍ヶ丘クン」
帽子を取った元本社営業部長の西木津誠は、白髪混じりの頭を触りながら不機嫌そうに応えた。

「全くガラじゃないなぁ、こんなセレモニーなんてよ」
「あラ、第2の人生の門出を祝うステキなイベントじゃないですか?」
「そんないいもんじゃねえよ…ただ」
西木津はフンと鼻を鳴らした。
「久しぶりに、ボウズ達の顔を見ておきたいと思ったんでな」
「ふふっ、そうですネ」
20代の京田辺と寝屋川の若々しい姿を思い出した麗子は、目を細めて笑った。

「それでこの一本釣りですか…」
床がビチャビチャに濡れているレトロな居酒屋で、京田辺と寝屋川はテーブルを挟んで西木津の前に座らされていた。
懇談会はつつがなく終了。適宜解散の流れになった瞬間、2人は彼に首根っこを掴まれてここに引き摺られてきたのだ。
「ああいう堅苦しい場所は酒が進まなくて敵わん。これからが本番だよ」
焼酎のお湯割(濃いめ)を片手に焼き魚の身をほぐし始めた西木津は、機嫌が良さそうに話はじめた」
「ボウズたち2人とも課長になったのか、偉くなったものだな」
「西木津オジキの鉄拳指導の賜物ですよ」
既に日本酒に切り替えている寝屋川がまぜっ返す。
「ホラ、ボクの鼻まだ少し左に曲がっていますから」
「ほう、では逆から殴って元に戻してやろうか?」ぐるぐる肩を回し始める西木津。
「勘弁してください笑」

「あの頃は楽しかったなぁ」
だいぶ酒が回ってきた西木津が昔の武勇伝を語り始めた。
「【夜討ち朝駆け】とか【一夜城作戦】とか言っても、今の奴らは分からないだろうな」
「まあ、ある意味【昭和の営業】ですからね」

【夜討ち朝駆け】とは、元々新聞記者の用語で、アポイント無しで夜遅くまたは朝早くに取引先を電撃訪問すること。
【一夜城作戦】とは、売り込みたい新商品などを人海戦術で取引先の店舗で一気に陳列することで登場感を演出する手法のこと。
時代の流れで営業手法は色々と変化しているが…。

「商売の根っこは何も変わっちゃいねぇよ」
焼酎をちびちびやりながら、ポソリと呟く西木津。
「大事なことは【相手を如何に気持ちよくさせるか】だからな」
なかなか強引なだが、京田辺と寝屋川には昔から妙に響く言葉だった。

「さっきから男の子だけで盛り上がってつまんないなァ」
実は西木津の隣にずっと座っていた麗子が、濃厚ハイボールのジョッキをカラカラさせている。
「せっかくの3文字同盟なんだかラ、お仕事以外の話もしましょうヨ」
ちなみに3文字同盟とは、苗字が3文字のメンバーが集まった飲み会のことである。
「麗子ちゃん、テーマはどうするのさ」
顔を真っ赤にさせた寝屋川が尋ねる。
「そうねぇ。例えば隣県の支店に入ったお嬢さまの話とか」

「ああ、サオリン❤︎ね」

そう軽口を叩いた寝屋川は、次の瞬間いきなりワイシャツの首元を絞め上げられていた。
「寝屋川てめぇ、語尾に❤︎付けるとかウチの娘に随分馴れ馴れしいじゃねぇか」
「ぐあっ!オジキ待って待って、そんなに絞めたら僕イケナイ場所に旅立ってしまうからぁ!」
手足をバタバタさせている寝屋川を見て、京田辺と麗子はやれやれと首をすくめて其々のグラスに口を付けた。

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