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【心得帖SS】「ワークライフバランス」の達人?

「はい…はい、分かりました。詳細は後ほどメールしますね」
営業二課課長、京田辺一登はスマートフォンの通話終了ボタンを押した。

「双葉ちゃん、まだ具合悪いのですか?」
隣に座っていた住道タツヤが心配そうに尋ねる。
「熱は下がったみたいだけれど咳が少し残っているので、大事を取って保育園は休ませるそうだ」
「良かった」
タツヤはホッと胸を撫で下ろした。

●●支店営業二課の営業事務、中山寺一美は営業一課も兼務で担当している。
以前は営業担当者だったが、結婚・出産を経て自分でタイムマネジメントを行い易い現在の職種に変わったのだ。

営業時代も優秀なセールスだったが、彼女の能力は営業事務担当者の立場でも存分に発揮されている。
業務の可視化、体系化、各種手順書の作成、経理業務の半自動化など、京田辺の指示もあったが着実に成果を積み重ねる彼女に、他メンバーからの信頼はとても厚かった。

そんな彼女の一人娘、今年3歳になる中山寺双葉は何回か支店のイベントに来ていたが、とても愛嬌があって可愛らしい女の子。
タツヤをはじめ、社員からアイドル扱いされている。


「この度はご心配をお掛けして、大変申し訳ございませんでした」
翌日、深々と頭を下げる一美に、京田辺は笑って手を振った。
「いやいや、お嬢さんが元気になって良かった。会社のパパやママ達がみんな心配していたからね」
周りを良く見ると、タツヤを含む多くの社員がニコニコと様子を見守っている。
「こんなに可愛がって貰えるなんて、双葉はホント幸せモノです」
少し表情が和らいだ一美に、京田辺はかねてから彼女に提案していたことを確認してみることにした。
「中山寺さん、この前の話、考えて貰ったかな?」
「フルリモートワークの件、でしょうか?」
下顎に手を置いて少し考える一美。
「中山寺さんに色々と整理して貰ったお陰で、大抵のことは営業担当者が自分でこなせるようになった。受け身ではなく、業務を対等な立場でやりとりする営業事務担当者として、更に前に進んだ取組に挑戦して欲しい」

お茶汲みや電話番、他メンバーからの依頼を受けるだけではなく、能動的な業務受託や改善提案、取引先業務支援を行う新しい営業事務担当者を創出すること。
それが京田辺が目指している新しい営業体制の1つであり、実現には中山寺の協力が不可欠であった。

「【ワークライフバランス】のモデルケースとして、本社の偉いさんも注目している。一緒に頑張ってみないかな?」
「…はい、分かりました」
一美はコクリと頷いて言った。
「どこまで出来るか分かりませんが、精一杯やってみますね」


中山寺がフルリモートワークを開始した1週間後には、早速効果が現れ始めた。
適度な距離が空いたことで、業務をアウトソーシングしているような新しい感覚がある一方で、社内の状況に精通しており判断も早い一美はタスクの処理スピードを益々アップさせていったのだ。

彼女の凄いところは、自分の領域をここまでと決めてしまうのではなく、営業担当者とも積極的にコミュニケーションを図っていることであった。
今日も一課二課の合同会議にリモートで参加、メンバーと色々な意見交換を行っている。

「わぁ…中山寺さん、素敵なお部屋ですねぇ」
小休憩の時間に、営業一課の大住有希がリモート会議画面に映った一美の背景を見て言った。
『そうですか、出来るだけシックに纏めている感じなのですが…』
画面越しの一美は、謙遜しながら話している。会社貸与のノートPCから映し出されているOA機器はどれも本格的で、どこか専門職的なこだわりを感じさせている。

(さすが、伝説のスーパー事務員さんだなぁ)
同じく会議に参加していた、営業一課新入社員の藤阪綾音は、ふと画面の左端に気になるものが映っていることに気が付いた。

(ん?あれって…)

学生時代から動画配信サイトにハマっている綾音は、いま最推しのバーチャル配信者が先日の生放送で『ついに買っちゃいました〜』と報告していた機材と、画面に映っているものが、とても良く似ているなぁと感じたのだ。


(バイノーラルマイク…だったっけ?)
そこで休憩時間が終了、会議が再開された。
参加者が各々次の概況資料ファイルを開いている中、綾音の頭の中は???で埋まっていた。


(中山寺さんは何故【mikazu】と同じバイノーラルマイクを持っているのだろうか…?)

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