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【心得帖SS】ものづくりの「寺子屋」

「教育部…ですか?」
本社会議の終了後、顔見知りであった人事部長に声を掛けられた京田辺一登は、聞き慣れない言葉に思わず聞き直していた。

「そう、来春人事部に新設される予定の新しい組織だよ」
人事部長の天満宮浩市は、よほどの思い入れがあるのか、胸を張って鼻息も荒く話し始めた。
「当社には優秀な人材が数多く存在しているが、残念ながらスキル・ノウハウの継承が上手く行われていない。そこで、これらを解決すべく、新たに従業員スキルアップ専門の組織を立ち上げることにしたんだ」
「はあ…」
主旨は何となく理解できたが、今ひとつ具体的なイメージが持てていない京田辺は、一番の疑問点を尋ねてみた。
「で、部長は何故この話を私にしているのですか?」
「そうそう、京田辺君に是非お願いしたいことがあってね」
人懐こそうな笑顔を向けた天満宮は、京田辺の肩にポンと手を置いて言った。
「是非、君に口説いて欲しい男性が居るんだ」


「…すみません、ここまでの話で何だかお腹が一杯になりました」
ポケットから取り出したティッシュで鼻を抑えながら、総務部の星田敬子が唸った。
「何だか思い切り勘違い妄想をしているようだが…BL的な要素は何も無いからな」
ムスッとした表情でハウスブレンドに口を付ける京田辺は、話を続けた。


「要するに、教育部に講師役で来て貰えるベテラン社員のピックアップを任された訳だよ」
「それはそれは、全く捗らないハナシですね」
残念そうに呟く敬子。
書店仲間である2人は、併設された焙煎珈琲店でしばしば雑談することがあった。
今日は先日の出来事を京田辺が敬子に話していたのだ。

「今更ですが、この話は私が聞いちゃって良かったのですか?」
「そこは問題無いことを確認済。総務部からの視点で色々アドバイス貰えると助かるしね」
「そうですか」
敬子はむむむと考えた。
「ウチの支店、何気にベテラン勢が多いですからね」
「確かにね。でも1人目はもう決めてるんだ」
空のマグカップを持って、京田辺は立ち上がった。
「良かったら星田さんも来る?」
「それは何だか捗りそうな予感がしますね。ぜひご一緒させてください」
「そっち方面は期待しないで」
慌ててトートバッグを持って立ち上がった敬子を見て、京田辺は思わず苦笑した。

大通りを二筋ほど外した裏繁華街の片隅に、ひっそりと佇む立ち呑み居酒屋。
肩肘張らず、素の自分になりたいとき、京田辺一登はこの店の暖簾をくぐる。
果たしてそこには、すでに一人の熟年サラリーマンが黒枝豆をツマミに中ジョッキを傾けていた。
彼は京田辺と同じ会社、生産部に所属しているベテラン社員の徳庵義雄であった。

「トクさん、お待たせ」
「おう、先にやってるよ」
「お邪魔しまーす」
遅れて入ってきた敬子を見て、徳庵は目を細めた。
「一登君、麗子ちゃんだけでなく彼女の部下の女の子にも手を出していたのかい」
「そういう冗談はやめてください」
苦虫を噛み潰したような顔をした京田辺を見て、徳庵はかかっと笑った。

2人が注文した飲みものが揃い、改めて乾杯したあと、早速京田辺が主旨の説明を始めた。
「…という訳で、是非トクさんにも参加して欲しいんです。暫くは現行業務との兼務になりますが、行く行くは専任職として後身を導いて欲しいのです」

京田辺の説明を目を閉じて黙って聞いていた徳庵は、2杯目の生ビールをぐいっとあおって言った。
「嫌だね」
「まあ、そう言うと思っていました」
予想通りの返答に、京田辺は肩を竦める。
「一応、理由を聞かせて貰えますか?」
京田辺の言葉に、徳庵はううむと唸った。
「自分自身が人様に何かを教えるほど大したことをしていないってのが一番の理由だが、天満宮の坊主があまりに浅はかな考え方なのが気に食わねぇよ」
「本社の部長を、坊主扱いですか」
苦笑する京田辺に、徳庵は笑って言った。
「そう言う一登君も、本音では上手くいかないと思っているだろ?」
「さあて、どうでしょうか」
ビールを飲むフリをして、京田辺はすっとぼける。

「あのー、ちょっと宜しいでしょうか?」
ここで今まで黙っていた敬子が手を挙げた。
「私は良いプランだと思ってしまったのですが、何故上手く行かないのですか?」
「一登君、このお嬢さんに説明してあげて」
「私はまだ何も意見を言ってませんよ…」
徳庵の無茶振りに戸惑う京田辺だったが、やがてやれやれと言った感じで話し始めた。

「組織を変える上でよく失敗する例としては、充分な検証を行わないでカタチから入ってしまうことが挙げられるんだよ」
「なるほど、あるあるですね」
「今回の件で言うと、現場のスキル継承が目的であるなら、感度レベルの定性情報で語るのではなく定量的なデータ検証、どの部署でどのようなスキルが存在していて、どれだけ習得不足なのかを可視化しなければならない」

京田辺の説明を聞いて、敬子は首を傾げた。
「でも、それってもの凄く時間が掛かりそうじゃないですか?」
「その場合は、何処かの組織限定で試験的に始めて、データの蓄積と検証を進める方が良い。何れにせよ勢いだけでコトを進めるのは非常に危険なんだよ」

「相変わらず食えないオトコだな、一登君は」
そこまで黙って聞いていた徳庵が、カカッと笑って言った。
「おおかた、そのお嬢さんを同席させたのも理由があるんだろ?」
食えないオトコ、というパワーワードに過剰反応をして頬を赤らめている敬子を横目に見て、徳庵は話を続けた。
「で、俺に何をして欲しいんだ?」


「雑談を、お願いしたいです」
京田辺は、ここまで温めていたプランを取り出した。
「今はリモート会議システムがあるので、何処でも繋がる環境が整っています。そこで、トクさんと私、そして星田さんの3人で社内限定のミニ番組を立ち上げたいと考えています」

「…ほう」
「えっ!わたし初耳ですが」
納得顔の徳庵と、突然の無茶振りに驚く敬子。
彼女のことはとりあえず傍に置いて、京田辺は話を進める。
「ラジオ番組風の掛け合い形式にすれば、アガリ症のトクさんも自然に振る舞えるかと。テーマ設定はこれからですが、私の希望としては、是非過去のエピソードを面白おかしく話して貰いたいですね」


「…一登君に上手いコト乗せられた感じは気に食わないが、内容はよぉく分かった」
テーブルをパァンと叩いた徳庵は、店主に日本酒の追加を頼みながら言った。
「早速打合せといこうか。まずは天満宮の坊主が工場を水浸しにしてしまい、半泣きになった話からだな!」
「個人的にもの凄く興味はありますが、1回で番組が打ち切りになりそうなので勘弁してください」
「ねえ、わたし本当に初耳なんですけどぉ〜!」


この夜の打合せは、深夜遅くまで続くことになった。

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