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マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」読了。1200ページとかなり大部な本で、全部読み込んでたら何日かかるか分からないため、注釈部分(といっても本文より多いかもしれない)はほぼ飛ばした。また難解な記述も多々ったが、無理に理解することは諦めて全体を読み通すことを優先した。

読んでみたら、本文は全体の50%ほどで、後は訳者解説と主要索引。それならもう少し頑張って細かく読めたかも。ただ、それでも600ページあるから、それなりの分量ではある。

本書では、近代的な資本主義を支える精神の源流をプロテスタントの教義に求めている。ルター以来のプロテスタンティズムがもつ「禁欲」と「天職意識」が職業を神から与えられた召命との意識をもたらし、快楽の享受のためではなく、事業の成功それ自体を自分の使命と見なすよう信者を駆動した、という論。

完全に理解するためにはキリスト教各派の教義やその実践に立ち入らねばならず、私にその是非が判断できるわけでもないが、ひとつ思い当たるのは日本人の職業意識との類似性だ。

日本でも、生活の必要や余暇の楽しみためではなく、仕事それ自体を目的とするような意識がある。「仕事人間」がよしとされ私生活を犠牲にすることが美徳とされるような風潮だ。

最近でこそワークライフバランスが叫ばれ、「仕事が生活」ではなく「生活の中に仕事がある」という考え方が浸透しつつあるが、少なくとも戦後かなりの期間は働くことそれ自体を人生の目的とする考え方が根強くあった。

いまでも「生涯現役」「体が動かなくなるまで働く」という人は多いだろう。決して経済的な事情でそうせざるを得ないということばかりではなく、仕事が生きがいである、という生活態度だ。

日本の場合はキリスト教の影響などなく、源流としては西洋のそれとはまったく異なるが、働くことそれ自体が目的である、という帰結は相通じるものがある。

戦後の経済成長を考えるとき、こうした人生観は決して無視できない。もちろん仕事のためにすべてを犠牲にするような生き方を今後将来に渡って推奨することはできないが、少なくともそれがあったからこそ私たちは今の生活をしていられるということは意識しておくべきだろう。

ウェーバーによれば、それこそが資本主義を発展させる根本的な精神なのだから。

仕事を絶対視せず私生活を楽しむのはいい。私もそうしたい。だが、かといって「仕事は悪」「働くのは必要最低限」「休むのが目的」「楽をするのが善」となってしまうのはいかにも誤りである。そうなってしまっては「日本のモノづくりは世界一」だの「日本のおもてなしは類を見ない」だのという評価もなくなる。ひいては、今の生活を維持することも覚束ない。

せめて「仕事は大切」であり「尊い」ものという感覚は、忘れないようにしたいものである。

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