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伊勢金比羅参宮日記(2) 川崎大師・鎌倉

2月2日(5日目)川崎大師

 夜中から雨が降り始め、朝になってようやく小降りになる。
 浅草に徳川将軍様(12代徳川家慶)が来られるという事で、家々はみな戸を閉めている。午前10時になってようやく出発出来た。

品川

 大井、大森には鶴がたくさんいて、恐れもせず気安く人に近付いてくる。しかし、決してその鶴を追い立てたり、ましてや石など投げてはならない。

 ここは幕府が鶴を保護している場所であり、「鳥見」という役人に見つかってはとても厄介なことになるので気をつけること。

川崎

 川崎から大師川原へまわり、護摩を焚くことにする。私は今年で42歳の厄年にあたるからである。

 降っていた雨は午前10時頃には止んでいたが、まだ曇り空である。夕方、川崎の朝田屋武左衛門にて宿泊する。この辺は梨がとても安い。

 しかし旅の間は生の冷たいものには気をつけること。

 この近辺で少し菜の花を見た。

 

2月3日(6日目)鎌倉


 朝8時頃から晴れて来た。

神奈川

程ヶ谷から鎌倉に向かう。

保土ヶ谷
戸塚

 長沼、今泉、笠間などの村を過ぎて鎌倉に到着する。まず円覚寺を参拝する。



 山門には円覚興聖禅寺の額があった。人皇103代花園院様の真筆である。岩屋弁天石像は古びた色合いで愛らしい。伝教大師の作ったものらしく御朱印がある。

 650石の円覚寺の中には24の寺があり、出世天満宮八代の貞時の建てたもの。仏師の成朝作。 大光明宝殿の本尊釈迦は丈6尺でこれも成朝作。御本坊茅屋本尊は運慶作。十一面正観音佛身舎利殿も成朝。

 御霊屋大唐能仁寺にお参りにいくと、大きな釣り鐘があった。

 それには「正安三年辛丑八月七日本寺大檀那従四位上行相模守平朝臣貞時勧縁同成大器當寺住持伝法宋沙門子曇謹銘」と刻まれている。

 杉谷弁天最明寺時頼建立。弘法大師の作。建長寺表門巨福山の額は一山の書である。山門建長興国禅寺の額は宋の僧侶の書である。陣太鼓は楠の木で作られていて、さし渡し5尺8寸で、建久四年のものである。地蔵堂は時頼の像であり、古めかしくて趣がある。

 八幡宮に参試する。午後5時頃丸屋留吉に1泊する。

2月4日(7日目)江ノ島


 天気は快晴、今日は鎌倉を巡る。鎌倉権五郎の社である御霊神社、坂東札所第4番海光山長谷観音(長谷寺)を参詣する

 七里ガ浜を通り江ノ島へ行く。

 途中40歳前後のひとりの男性が近付いて来て、100メートル以上も付きまとった。橋を渡るためのお金をくれなどいろいろと話しかけてくる。それでいくら欲しいのかと聞くと、4文でいいと言うので分けてあげた。

 こういった事からこの辺りの雰囲気が察せられるというものである。私の住んでいるあたりでは、子供であってもこのような卑しいものはいないものである。

藤澤

 その後、江ノ島恵比寿屋で昼食を食べた。
 この島に到着したならまず泊まるところを決めて、荷物の多い者は、その荷物をそこの宿屋に預けて、それから岩屋弁天に参詣した方が良い。岩屋弁天に到着したら奥の院に参ること。案内料は12文である。この島をよく知らない人は岩屋には行かず、また岩屋に行っても奥院を参らない人が多い。気をつけること。

 江ノ島で食べた食事の値段は三人前で2厘が並だという。並とは言えこの値段とは少し高い。こういう場合は茶屋に着いたならば参詣する前に、食事はいくらかちゃんと聞いた上で登山するべきである。

 また、参詣から帰って来て食事の時に酒を飲む場合、食事が出て来てからお酒を何合と注文すること。なぜなら出してくれるお膳にお酒や肴は十分にあるからである。

 また、鎌倉ではエビが必ず出てくる。これは珍しいものであるからと言ってあまり食べてはいけない。これを食べ慣れない人が食べると虫にあたることが多いから、慎むこと。

平塚

 ここから大磯まで歩こうと思っていたが、かなり足に疲れがきてしまったため、平塚に宿泊することにした。

 この宿場は貧しいところなので良い宿屋がない。しかし、物知りのご老人から聞くところによると、必ず箱根の手前で足を痛める人が多いと言う。その理由は足がまだ旅の足としてかたまらないうちに、道中が珍しいものばかりで先へ先へと進みたくなり無理をするからであると言う。

 これは遠くまで歩いて旅をする時に気をつけておかなければならないことである。


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