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伊勢金比羅参宮日記(1) 上州出立・関宿・深川

 時は江戸末期(1850年)、ペリー来航の3年前。
 上州伊勢崎藩御殿医栗原順庵42歳の厄年に利根川を下り、東海道を歩きお伊勢参り。続いて奈良から高野山、和歌山から四国へ渡り金毘羅参り、瀬戸内海を赤穂、姫路を通り大阪、京都へ。中山道を通り群馬まで帰るまでの伊勢金比羅参宮日記をここに記します。


  • 同行人:伊勢崎医師 時谷洞庵

  • 同行人:伊勢崎医師 小暮貞次

  • 同行人:伊勢崎医師 設楽栄庵

  • 僕  :2人 

  • 計   6人


嘉永3年(1850年)

正月28日(出発の日)上州伊与久

 昨夜から降り始めた雨は、夜中にはどしゃぶりになり、そのまま翌朝まで降り続いていた。その日の午後になって、ようやく雨はあがり晴れてきた。

 知り合いが町外れまで見送ってくれ別れを告げた。親戚の者たちは伊与久の中居(群馬県佐波郡境町剛志駅付近)まで見送ってくれ、そこから境町村上に立ち寄り、大黒屋にて酒を振舞ってもらい、午後5時頃尾島町徳川に到着する。大竹茂左衛門宅に一泊する。

 次の日の朝、日の出と共に船は出発し江戸まで川を下る予定である。
 夜中は風が強く、船は出したもののどうなるものかと大変不安に思ったが、夜が明ける頃には風は止み、凪(なぎ)となった。


1月29日(2日目)関宿

 夜明けとともに船は出発。
 風はなお強く、船の中は寒さが厳しい。皆その寒さに苦しむ。

 私は布団のお陰でその寒さを免れた。旅をするのに、布団がいかに重宝するか知っておくべきである。


 小蒲団:友禅織切にて二布真綿入り。この蒲団の穴は背負う時に少しのものなら入るので良い。また夜分金子胴巻きのまま入って、それを敷いてその上に寝られるので用心できる。

小蒲団

 


 膳か島から富士山を見る事が出来た。

 昨夜の雨は、山々では雪になったらしく、銀色に光っていて美しい。

 川股にて弁当を食べて、栗橋で休んだ。午後3時のことである。


 4時頃関宿に到着。野村勘兵衛の営む船宿にて食事をとる。夜10時には出発し、松戸にて夜が明ける。食事を売る者が来る。

 「砂浜に見える鳥の群れは何か奇妙な鳥だ。小舟に乗り合わせる人々は皆同じように思ったようだ。」

 関宿では、夜に船を出すのが習わしである。なるべく朝から頑張って急ぎ歩いて、早目に宿に到着するよう心掛けるべきである。もし遅くなってしまった時は、二番船や三番船も出るのだが、一艘貸切りしようと思うと、次の日まで丸一日待たなければならず、次の日の夕方に出発しなければならなくなり、とても不便であるので、その点心得ておくべきである。


1月30日(3日目)深川

 今日は雲一つない暖かく良い天気である。深川沙村の亀久という茶店へ正午12時頃着船する。しばらく休憩した後昼食をとり、それから馬喰町二丁目の辻屋平兵衛宅に宿泊することにして、両国へ遊びに出かけた。




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