伊勢金比羅参宮日記(1) 上州出立・関宿・深川
同行人:伊勢崎医師 時谷洞庵
同行人:伊勢崎医師 小暮貞次
同行人:伊勢崎医師 設楽栄庵
僕 :2人
計 6人
嘉永3年(1850年)
正月28日(出発の日)上州伊与久
昨夜から降り始めた雨は、夜中にはどしゃぶりになり、そのまま翌朝まで降り続いていた。その日の午後になって、ようやく雨はあがり晴れてきた。
知り合いが町外れまで見送ってくれ別れを告げた。親戚の者たちは伊与久の中居(群馬県佐波郡境町剛志駅付近)まで見送ってくれ、そこから境町村上に立ち寄り、大黒屋にて酒を振舞ってもらい、午後5時頃尾島町徳川に到着する。大竹茂左衛門宅に一泊する。
次の日の朝、日の出と共に船は出発し江戸まで川を下る予定である。
夜中は風が強く、船は出したもののどうなるものかと大変不安に思ったが、夜が明ける頃には風は止み、凪(なぎ)となった。
1月29日(2日目)関宿
夜明けとともに船は出発。
風はなお強く、船の中は寒さが厳しい。皆その寒さに苦しむ。
私は布団のお陰でその寒さを免れた。旅をするのに、布団がいかに重宝するか知っておくべきである。
膳か島から富士山を見る事が出来た。
昨夜の雨は、山々では雪になったらしく、銀色に光っていて美しい。
川股にて弁当を食べて、栗橋で休んだ。午後3時のことである。
4時頃関宿に到着。野村勘兵衛の営む船宿にて食事をとる。夜10時には出発し、松戸にて夜が明ける。食事を売る者が来る。
「砂浜に見える鳥の群れは何か奇妙な鳥だ。小舟に乗り合わせる人々は皆同じように思ったようだ。」
関宿では、夜に船を出すのが習わしである。なるべく朝から頑張って急ぎ歩いて、早目に宿に到着するよう心掛けるべきである。もし遅くなってしまった時は、二番船や三番船も出るのだが、一艘貸切りしようと思うと、次の日まで丸一日待たなければならず、次の日の夕方に出発しなければならなくなり、とても不便であるので、その点心得ておくべきである。
1月30日(3日目)深川
今日は雲一つない暖かく良い天気である。深川沙村の亀久という茶店へ正午12時頃着船する。しばらく休憩した後昼食をとり、それから馬喰町二丁目の辻屋平兵衛宅に宿泊することにして、両国へ遊びに出かけた。
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