見出し画像

たぶん心の瓶が壊れてる。

 やはり夜というのは思考が回る。嫌な方へぐるぐると。

 最近は、納車予定のバイクで頭の中がいっぱいだったから、それほど病むこともなかった。死にたくないから、と安全運転の方法を動画で学ぶ私に、別の私が嘲るように「死にたいんじゃなかったの?」という程度。

 いや、死にたいけど、バイクでは死にたくない。痛そうだし、人巻き込みたくないし。あと、親にバイクの免許取ったって言ってないから、怒られそうだし。

 というわけで、使い方を間違えると殺戮マシーンになるブツを手に入れたわけだけど、絶対に道路交通法に則って安全に運転しようと心に決めている。そんなもんである。

 ウキウキの納車が終わったからか、また思考がぐるぐるとしはじめた。満たされない、満たされたい。足りない、壊れたい。死にたい、死にたくない。それでも、ここまでは生きねばと、ツーリングの予定を眺めている。

 ベッドから起き上がるのにすら気合いがいるようになって3ヶ月。人がいれば、約束があれば動けるのは、気合の入り方が違うから。きっと仕事も、初めてしまえば気合いで行けるのだろう。

 取り繕うのが上手くなった。笑顔を貼り付けられるようになった。笑って喋れるようになった。でも私は、床に座り込んだままだ。

 本当は手を伸ばしてほしい。手を伸ばした先に、助けてくれる人が欲しい。そんなこと望んだって、誰もいやしないのに。願望ばかりが溢れていく。孤独じゃないことを知っているのに、みんな優しいこと知っているのに、私の手は外に伸ばすということを知らないまま。

 毎日、数滴ずつ与えられる私への関心を一生懸命小瓶に詰めて、まだもうちょっと、もうちょっと溜まってから飲もうねと心を宥めている。

 いますぐ愛されたい。大事にされたい。大好きな人が横にいて、大きな手でこの体を抱かれて、体温に触れて眠れば、きっと悪夢など見ないのに。

 問いたい、のに問えない。「私のこと好き?」の答えが「好きじゃない」だったとき、たぶん生きる気力を無くすから。だから、少しの言葉に縋り、約束に縋り、思い出に縋り、泣いてはトーク履歴を見返して、まだ大丈夫だからと笑うのだ。

 特定の人でしか満たされない心というのは、本当にバグの多いOSのようだ。本来、自分の心は自分で満たせるはずで、それがままならないまま空っぽの瓶になけなしの関心を詰めている。

 大事な大事な瓶を抱えて、抱えて、強く握って割れてしまって。「あーあー」といいながら、ガラスをあつめる。切れた指の赤さは、取り戻せない過去の象徴だ。

 もう、優しさを詰める瓶すらなくなってしまった。割れたガラスを指で転がして、唇は二つの音を紡いでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?