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亡き人を思うには、少し早すぎた夏

 2023年7月、私を可愛がってくれた叔父が亡くなった。

 父の妹の旦那さんで、私と血の繋がりがあるわけではない。叔母が結婚したのは私が小学生の頃だった。以降、お盆とお正月くらいしか会わなかったけれど、たくさん相手をしてくれたのを覚えている。

 父方の祖父母の家は超がつくど田舎で、心配性の祖父母と父親のせいでどこに出かけることもできない私を連れ出してくれたのが叔父だった。

 昔祖父母の家で飼っていた犬の散歩ついでに遠くまで歩いてみたり、「タバコ買いに行くからついてくる?」って誘ってくれたり。どこにも行けない私を思いやってか「ちょっと滝でもみに行こうぜ」と、叔母と2人を連れてドライブしたり。

 「もういい歳して花火なんて」と笑う私の父と違って、ノリノリで手持ち花火を一緒にしてくれる人だった。夏の夜に一緒に笑ってくれた。冬の昼間に「散歩いこーよ」って外に連れ出してくれた。

 叔父は滝とバンドとカエルとタバコとバイクが好きだった。お土産に買って帰る京ばぁむを1人でむしゃむしゃ食べるから、叔父のためだけに京ばぁむを買って帰った。

 叔父が病にかかったのは5年くらい前だった。少し障害が残ったが、それでも元気になっていつも通り冗談を言うようになった。きっと良くなったのだと信じていたのに、今年の3月に再発して、もういなくなってしまった。

 祖父母の家での楽しい記憶のほとんどは、叔父の叔母によるものが多い。叔母もまた私とたくさん遊んでくれた人だった。そんな夫婦2人が大好きだった。

 叔父のお葬式は仕事をほっぽり出して、どうしても行かねばならないと思った。8月になり、初盆参りをしても実感は湧かない。また、14日の親戚の集まりに「こんにちは〜」ってやってきて笑ってるんじゃないかと思う。

 ひょうきんな人だった。ちょっと変で、優しくて、叔母と仲が良かった。子供のまま大人になったような人で、私も叔母もケラケラと笑っていた。

 病が再発して、もう助からないと寿命を宣告されてから、叔父は好きなバンドのライブを観に東京まで行ったらしい。医師も看護師も止めたけれど「最後だから」と諦めなかったと聞いた。

 斎場には叔父が吸っていたピース・ライトの箱がたくさんあった。向こうでも吸えるように、と叔母がたくさん棺に入れていた。愛煙家だったから、もうそろそろ吸い終わってしまっているかもしれない。

 お盆は亡くなった人が帰って来るなんていうけれど、私はきっと会えないんだろう。

 もういない人を想うには少し夏が早すぎた。それでも、彼のことだから天国でタバコをふかしながら「ゆきちゃん、暇そうやねぇ。どっか遊びに行くか?」って言ってそうな気もするのだ。

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