スマホとの付き合い方
今時の情報収集ツールは間違いなくスマホだ。
世間を賑わせた星野源と新垣結衣の結婚は最初ツイッターで知ったし、インスタはお洒落なお店や流行を知るのに最適。ユーチューブは面白いコンテンツや自分の興味のあることを知れるものがたくさんある。
私はテレビを持っていない。
テレビがなくても、なんとなくそれなりに生きていける。
だけど、スマホはなかったら困る。
友達との連絡もSNS、情報収集もSNS、スマホをなくしたときは本気で落ち込んで泣きそうになったし、情報過多で心の余裕がなくなるあまり、「デジタルデトックス」という言葉も聞くようになった。
わたしたちはスマホに「スマホに生かされている」
私たちはスマホがなくては生きていけなくて、「スマホに生かされている」と感じる。みんなが持つその小さな機械の中にはそれぞれの個人情報から嗜好まで全てが詰まっている。
そして、私たちの大事な情報収集源は、自分にとって都合のよいように作り上げられている。
ツイッターのタイムラインは自分のフォローしている人とそれに関連する情報のこと、インスタグラムのアルゴリズムは自分に興味や関連するものが上位に、ウェブ広告は今までの自分の検索から最も最適な商品を提示している。
10年近くスマホを使っていて、自分に必要な情報が瞬時に見つかるようになった反面、知らない情報や興味のない情報は自分から取りに行かなければならない、自分の当たり前は他人の当たり前ではないとようやく気付いた。
知らないことを知っていると思われている違和感
私はSNSで繋がった知り合いが多くいるのだが、かといって友人の友だちが私の友だちではないことが多々あった。
友人の友だちをAさんと仮定すると、私の友人はAさんの話をする。だけど、私はAさんのことをフォローしていないから知らない、ましてやAさんの噂話など興味もない。
私の友人はAさんを知っていることが当たり前だと思っていて、それを前提に話をするからおかしなことになる。「私、何も知らないんだけど」となる。
この状態にもやもやを感じることが多々あったけど、次第に当たり前の勘違いでそうなってるんだってわかったときに、「知っている前提ではなく窺う」もしくは「相手のレベルまで合わせる」、そして「知っていなくても落ち込まない」マインドが必要だと思った。
自分で調べる重要性
新型コロナウイルス関連についても私たちは情報に踊らされているような気がする。
テレビをつければ毎日毎日同じような情報が流れている。実家に帰って数日テレビをつけただけでも、ノイローゼになりそうだ。
不安を煽るような情報や過激な意見が飛び交っていたり、何が正しいのかわからなくなる。
ワクチンや予防法について調べたときに、「ワクチンなんて打つもんじゃない!!」とか「副作用で死ぬ!」とかそんなのが出てきて、不安になったのも最近の話。
このことに限ったことではないけれど、前述したスマホ(正確には検索に使う媒体の性質)の特性上、ひとつの情報を検索するとそれに関連した情報が出てくる。ということは、ひとつの意見に偏ってしまう可能性がある。
ワクチン反対派の周りにはワクチン反対の意見を持つ人が多い。
ひとつの意見に偏ることで間違った知識を得てしまう危険性もあるし、正しい知識を得る機会をなくしてしまう気がする。生きていくのには不具合はなくても損してしまうことだってあるんじゃないかなとも思う。
こんな便利な時代だからこそ、自分で調べる重要性って大きいと私は思う。
スマホとの向き合い方
文明の利器を手に入れた私たちは、ちゃんと使わないと良いように使われるような気がする。企業は情報にアクセスさせるように様々な手段を使う。それが便利な反面、上記のように心がかき乱される瞬間が増えたと思う。
健全に生きるためにも、自分が手にしているスマホは「自分にとって1番快適に作られている」こと、「ひとつの情報に一喜一憂せず多方面からアクセスする」というのを大切にして、冷静に使っていきたいと思う今日この頃。
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