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この病院の中でだけ、僕は彼女の弟だ

「旦那さんは外で待っててくださいね」
そう言われるのは、うれしかった。

もちろん、喜んでいる場合じゃない。
でもこの時一緒にいた彼女も内心喜んでいたらしいから、僕のぬか喜びくらいは大目に見てほしい。

体調を崩し、救急外来を受診してそのまま入院が決まった彼女。命にかかわる疾患ではないことだけが救いだった。寝たまま健気にピースを繰り返す彼女と雑談を繰り広げていると、看護師さんが入院に必要な書類を手渡してくれる。ああ、そうか。彼女の「旦那さん」でいられる時間はもう終わりか。

書類の「緊急連絡先」に書くのは、弟の名前だ。僕ではない。
僕の名前を書くと、病院の人が困るからだ。

「弟さん、仕事は大丈夫?」
「大丈夫です、在宅なので。何かあればすぐ連絡ください」

看護師さんからの質問に僕はいけしゃあしゃあと音を鳴らして答えた。そう、僕は「緊急連絡先」と「主に病院に来る人」欄に弟の名前を書き、弟の名を騙り、実際には自分が病院に行って手続きを何もかも行っている。彼女が入院したときはいつもそうだ。

僕はいま、彼女と結婚していない。
正確に言えばまだ結婚できないのだ。
僕の戸籍上の性別が、女性だからである。

いけしゃあしゃあな弟騙りが板についている僕も、彼女が初めて入院したときはもちろん自分の身分を明かして手続きを進めようとした。「自分は彼女と同居している者です、入院手続きと荷物の受け渡しは僕がします」と。

「それはちょっと……別の方はいませんか、彼女さんのご家族とか」

看護師さんは困った声でそう言った。
僕も困ってしまった、彼女のご家族は海賊なのだ。

海賊というのは、暇さえあれば彼女の銀行口座から奨学金や給与を抜き取って豪遊したり、酒をかっくらって謎に腹を立て、彼女や彼女の弟を殴ることをライフワークにしている人たちのことだ。つまりは彼女の両親だが、彼らはてんでダメでクソッタレでここにはとても書き記せないような罵詈雑言でしか形容できない「どうしようもない選手権」シード権獲得初戦敗退の実力者なので、こうした場に引き出すことはもちろんできない。

「彼氏じゃダメですか、手続きは」
「ご家族でないと同意できない書類があるんです」

彼氏と自分で口に出すのが恥ずかしくて同居人と言ったのに、困って口が滑ってしまった。見ると、看護師さんも困っている。
そりゃあそうだ、看護師さんは悪くない。

だって書類やマニュアルにはそう書いてあるんだろうし、何かあった時に家族に連絡が取れなければ責められるのは病院側だ。こうした形でのリスクヘッジは本当に大事だし、確実に家族と連絡をとれないといけない、というシステムになっていること自体は仕方のないことだ。

だから僕は、弟を騙った。
病院側も、僕が彼女の弟でないと困るし、僕も彼女の弟を騙らなければ必要な手続きがとれなかった。まさにWin-Winの関係だ。これは一度言ってみたかった。

ちなみに、騙るにあたって弟の許可はとってある。僕らは普段、僕と彼女と彼女の弟の三人で1DKにミッシリ詰まって暮らしているため、弟の名前は兄特権でフリー素材なのだ。

ふざけてはみたが、僕だってもちろんこんなアホみたいな嘘をすすんでつきたいわけではない。しかもネット上で「はい! 私病院でウソつきました~!」なんてこれっぽっちも言いたくない。人は誰しも悪者になりたくないものだ、特にインターネット上では。

でも、これは僕が言うべきことじゃねえの、となんとなく思った。

彼女の配偶者になれず、弟を騙るしかなかった僕のように。この国には、望まぬ嘘を吐き続けている人間がいる。
いまも、あなたの隣にも、きっと。

もしかしたらあなたがそうかもしれない。それならお互い大変ですねと笑いかけたいし、あなたがそうでないのであれば、今後も嘘をつく必要に迫られることなく生きていってほしいと強く思う。

でもやっぱ、嘘ばっかりつかされてる僕からしたら「正直者でいられる人たち」は……ちょびっと、いやかなり、どうしようもなく羨ましいけどね。



緑の紙切れ一枚出すのに100万円が要る世界

僕は彼女との同居歴で言えば今年6年目を迎える、彼女業界ではベテランと名高い優秀な人材だ。しかし悲しいかな、母親の腹から生まれ出るときに性別を間違ったまま生まれ出でてしまった。

いわゆる性同一性障害、トランスジェンダーの当事者だ。性自認は男性だし、男性社員として会社で労働しサラリーをマンしている。

でも、女性だ。
僕は彼女と結婚できない。少なくとも今は。

明日にでも民法が改正されるか急に自治体の対応が大らか極まれば話は別だが、そんな上手い話はそうそうない。彼女の彼氏としてひとつ屋根の下に暮らせているだけでもこの生涯における幸運をすべて使い果たしていると言ってもいいこの僕が、現在の幸福に上乗せして民法改正レベルのラッキーを望むとなればさすがに全国の問屋が裸足で逃げ出してしまうだろう。

え? 性同一性障害でも結婚できるんじゃないの? ほら、手術すればさ……。という物知りな方もおられるかもしれませんね。その指摘は半分正解で、半分間違っているのです!(死ぬまでに絶対に使いたかった表現)

私ね、彼女と結婚するのに100万円かかるんです。
そう、本来の性別に戻すために必要な「性適合手術」を受けるのに、安くてもだいたいこれくらいかかるんですよね。

いや高ぇ~~~わ。

シンプルに高ぇ。
何? 婚姻届たったの一枚受理してもらうのに100万円? 新手の詐欺かな。

僕の中では「性適合手術」って結婚するためだけに必要な謎の儀式で、彼女と法の下仲睦まじく婚姻関係であると認められるために必要なだけの事務手続きみたいなもんなんですが、どこの世界に事務手数料で100万とられる国があるんですか? はい! そうです! 今ここにあります!!!

といった具合で。

現代に生きる27歳男性(社会人3年目)の中のいったい全体どれほどの人間がポンッと100万出せるんですか? え? あなた出せる? じゃあそれいまから僕の指定する口座に全額ご入金いただいていいですか? 

ありがとうございます。
100万円を合法的に手にしたところで、冷静に話を続けます。

僕ね、一生懸命働いてるんですが、働けど働けどなお福沢先生御一行100名さまを口座にお迎えできないの。理由は簡単、お金がないから。

もちろん手術は早くした方がいいから、一時は「借金してでも……」と思ったりもしました。でもね考えてみたらすでに僕、20越えてからこのかた借金まみれなんですよ。なんでこの上に「やりたくもない手術代:100万円」をトッピングせにゃならんのだってのが正直な感想です。エクストラホイップじゃあるまいし。

え、やりたくもない? と思った方、そうです。僕は別に手術、特段やりたくありません。性同一性障害の人が性別適合手術をすると聞くと、まるで長年の夢が叶ったかのようにお祝いする人がいるんですけど、実は全員が全員「待ち望んだ夢が叶う日!」みたいに思ってるわけじゃないんですよね(もちろんそうやって喜ぶ人もいます、要はいろんな人がいるってことです)。

だって僕からしたら、生まれたときから折れてる骨を治すみたいなもんだから。多分なにか思うにしても「あー、やっと元に戻った……めんどくさかった~」と思い、あとは術後の痛みに半泣きで耐えるくらいが関の山ですよ。

骨折して入院した人の手術前に「やっと治るね、よかったね~」はわかるけど「ずっと待ち望んでいた夢の叶う日だね! これからが真の人生のスタートだ!」なんて祝う人がいたらちょっと引くでしょ。それと同じです。僕の人生の目標、別にここじゃないし。手術せずに済むならできればやりたくないんです。「彼女と結婚できない」以外に不便なこともないのに、なんで好き好んで100万使って大怪我しなきゃなんねんだ。

くそっ、こんなことなら在学中、株トレードとFXに手を染めておけばよかった。

楽天家族カードの申込レベルでお気軽に結婚したい

偽らざる本心をぶちまけさせてもらえばね、「あ~~ 紙一枚書いてハンコ押して役所に出せば結婚できる身分になりたい!なんで何も悪いことしてないのに100万払って全身切り刻まねーと婚姻届すら出せねぇ~んだ!」と。思っているわけです、僕は。

いや世間にはいろんなご事情を抱えた男女その他さまざまなご関係があることは重々承知です。承知の上で、僕の中の虹村億泰が言ってます。あ~あ、いいよなァ~~ッ、嘘つかなくてもいい連中はよォ~~~ッ!

「なんでそんなに結婚にこだわるの?」って疑問が生じるのもわかります。答えは簡単、社会的な手続きや行政に関わる部分で彼女の隣に立つとき、部外者扱いされたくないからです。

結婚しないと僕は一生、彼女とは何の関係もない赤の他人として扱われます。実際のとこ、警察署でもそうでした。

海賊というか、彼女の父母が一度だけ、家の近所に襲来したことがありました。彼女が僕のもとで暮らし始めてすぐのことです。

僕と彼女が彼らに付き纏われてどうしようもなかったので、事前に家庭内暴力で被害届を出していたこともあり速攻でポリスメンに通報しました。しかし警察署で彼女や弟が警察に事情を説明している間、僕は一人だけ廊下で待たされていました。理由は簡単。家族じゃないから。赤の他人だから、当事者じゃないからと言われてひたすら廊下で待っていました。

現在27歳の僕が当時21歳だった僕の横に立てるとしたら、たぶん大きな声でこう言うでしょう。

「いや、こいつも当事者だから!!!」

実際警察に通報したのは僕で、彼女と一緒に彼らに付き纏われてああだこうだと脅迫まがいのことを言われていたのも僕です。急にかかってきた電話でアホみたいに罵詈雑言を並べ立てられていたのも僕なんです。

それなのに、彼女との社会的な関係が「ただの同居人」だと露骨にハブられるんですね。完全に現代社会のバグ。もうそんな扱いはまっぴらなんですよ。

だから結婚したいのに、「他の人がお気軽にできる婚姻手続きが、なぜか僕だけクッソめんどくさい上に高い」のっておかしいし、そもそも手術なんてしたくない。したくもない手術を結婚のために強制されている状態って、あれぇ? 人って法の下に平等なんじゃなかったっけ?

もうね、本当に、僕は楽天の家族カードを申し込むくらいの「手続き感」で結婚したいんですよ。見てくださいこれ。非常にシンプルで明快で、僕にとっては救いでしかない文章が「楽天カードお客様サポート」のページにあります。

Q.同性パートナー(LGBT)も家族カードの申し込みはできますか?

A.生計を同一にする同性パートナー様であれば、お申し込みが可能です。
新規ご入会時に家族カードをお申し込みいただく場合は、続き柄「配偶者」をご選択ください。

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「生計を同一にする同性パートナー様であればお申し込みが可能です」、これですこれこれ、これくらいの手続き感でいいでしょう別に。婚姻手続きでもこんなノリを採用したらいいんじゃないですか? って話ですわ。

僕は、いつか誰かが何とかしてくれることを期待することができない。自分でなんとかしなければ、法も社会も動いちゃくれない。

僕が僕のまま彼女の横に立てるその日まで、僕はこうしてボヤき続けるんだと思う。

彼女と結婚できないのが嫌だ。
したくもない手術をするのは嫌だ。
結婚するためだけに100万とられるのは嫌だ。

理解してくれなんて思わない。
ただ、ただ、普通の権利が欲しい。
嘘をつかずに生きていける権利が。

心の底から淀みなく、僕が僕であると宣言できるその日まで。頭の後ろを掻きながら、それでもだらだら歩いていこうと思うから。

ボヤきながら進むくらいが、たぶん僕にはちょうどいい。だからまあ、お互い無理せず。せいぜいのんびりいきましょう。あなたも大変でしたねと、いつか笑って話せるその日まで。




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