見出し画像

【生き方、暮らし方、働き方 vol.1】 石黒繭子さん

「社会的に孤立してしまいがちな人たちに、
誰もが優しく手を差し伸べる社会にしたい」


こんにちは!暮らすroom'sです。
長野県の女性の多様なウエルビーイングを実現するために、緩やかなコミュニティーを作ることを目的にローンチした3年間のプロジェクトです。

長野県で多様な活動をされている女性をゲストに招いて、月1回オンラインで配信していく「生き方、暮らし方、働き方」。今回、記念すべき第1回目は、飯綱町を中心に活躍する石黒繭子さんにお話いただきました。

大学院生時代の石黒さん

人生の休憩と考えた30歳でキャリアチェンジ

名古屋出身の石黒さんが、長野県飯綱町に移住し12年。この年月、飯綱町での石黒さんの貢献は、汲めども尽きない。

障がい者の地域生活を支えるNPO法人SUNに所属し、何らかの支援が必要な子どもの早期発見や特性に配慮した支援がつながる仕組みづくりを始めた。代表的な取り組みとしては、行政と協働し町で唯一の障がい児が通う施設である放課後等デイサービス「たいよう」の立ち上げと運営がある。

そして、2021年9月に株式会社ククリテを起業し、ひとり親や施設で育った子どもたちのための暮らしのサポートに挑戦している。今の道へのきっかけは、“女性として”のキャリアを考えたことだった。

石黒さん:30歳を迎える時に、女性としてキャリアチェンジをするなら、区切りの年齢かなと考えました。当時保育士をしていましたが、退職し大学院に通い始めました。浅はかではあったんですけど、キャリアチェンジのために学びが必要かなと思ったんです。

高校時代、1年間のオーストラリア留学で「ペイフォワード(ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいくこと)」という言葉に出会って、福祉の大学にすすんだ石黒さん。社会福祉士の国家試験に合格し、社会福祉協議会でボランティアコーディネーターとしてキャリアをスタート。その後、もっと人と直接関われる仕事を求めて、保有していた資格をいかして保育士を経験。そして、そこで障がい児に出会ったことから、大学院で発達障がいについて学びたいという思いにつながっていく。

大学院を卒業後、学んだことを実践する場を探した。人伝に長野県飯綱町で自閉症児教育の専門家がいることを聞く。

石黒さん:飯綱町を見に行った時に、風土ののどかさや仕事の時間の流れの違いを感じました。都会では1日12時間以上働いているような生活だったので、全然違う光景が目に入ってきて、ここで仕事したいなと思って、飯綱町に移ることを決めました。

シェアハウスのリノベーションの様子。教え子たちや近所の方たちと一緒に行った。

教え子へ挑戦する姿を見せるために、シェアハウス事業で起業

障がい児が通う施設を立ち上げて10年。当時は、園児だったり、小学校の低学年だった子どもたちが大きくなってきて、社会に出るタイミングが訪れ始める。

石黒さん:障がい者雇用といっても、飯綱町や隣の信濃町には、企業が少ないんです。「この子たちは、この町でどうやって暮らしていくんだろう」と思ったことが、自分の課題みたいになっていきました。

まずは、雇用を作り出すために、仲間と一緒にNPO法人を立ち上げて薬草栽培や森林整備などの仕事づくりを始めた。

さらに、働くためには暮らしの基盤が整っていることが大事だと考え、シェアハウス事業を軸とし、2021年9月に株式会社ククリテを起業。生活の部分からのサポートも展開していくこととなった。

石黒さん:母子ともに障がいがある親子がいました。この子が18歳になって、就労して、仕事も一人暮らしも初めてで、自立できるのかなと。ぽーんと社会に飛び出すだけでは、うまくいかないんじゃないかって思って、その子の将来を案じていた時に、シェアハウス事業をやらないかという話をいただきました。

同じ頃、起業したいとも思っていた石黒さん。ちょうどタイミングがあって、起業へと結びついていくことになる。

石黒さん:団地を持つ女性オーナーが、社会的マイノリティーの方たちに向けて活用してくれる人を探していて、そのお話が巡り巡ってきて、ご縁がつながりました。長野県のソーシャル・ビジネス創業支援金をいただけることになったのもありますし、挑戦するなら会社を作り、「社長だよ」っていって、子供たちやお母さんたちにも夢や勇気を与えられたらいいなとも思いました。

5階建ての昔ながらの団地。その10部屋を借りて、1部屋をコミュニティースペースと設定し、クラウドファンディングによって改修資金を集めた。住居者の共有スペースとなるよう、石黒さん自身も居座りたくなるような居心地がよく、機能的で、おしゃれな空間を目指している。DIYで進めているが、施設の子供たちやその友達、入居予定者、近くの訪問看護ステーションの人たちが手伝ってくれていて、地域の交流も生まれているそう。

ほか、4部屋はシングルマザーの世帯用、残り5部屋は費用を抑えられるよう2人定員のシェア用とした。各部屋は、4畳半が2間と6畳が1間の3K。家電は助成金を使い揃えたので、生活がすぐに始められるような仕様となっている。

2022年5月、離婚を経験した年配の女性が入居者第一号だった。「住所がないから仕事が探せない」という状況から、入居したことで仕事を見つけて、立地を考え退去されていったそう。たまたま石黒さんが出演した、10分程度のラジオを聞いていたことで、問い合わせにつながった。「いいリスタートのお手伝いができたかな」と石黒さんは微笑む。

ソーシャルビジネスを回す事業の仕組みとは

事情があり、資金が潤沢でない方たちをサポートする目的で立ち上げたシェアハウス事業。ビジネスとして回していくために、どういった仕組みになっているのだろうか。団地の家賃は、世帯用で4万5000円+共益費、シェア用で3万5000円+共益費だという。

石黒さん:副業ということもあり、一旦は自分のライスワークとして計上しないでもやっていける計画としています。1軒だけだとスケール的に厳しいというのもあり、もう1つ始めました。

飯綱町で古民家を改修し、シェアハウス2号を作る計画だという。

石黒さん:ただ、2軒回してもようやくトントン。正直、シェアハウス事業で食べていくのはあまり考えておらず、今までの障がい福祉業の経験をもとにしたコンサル業などで、生計を立てていけたらと思っています。

石黒さんのシェアハウスは、オーナーさんがいて、サブリースの形を取れていることも、事業継続の見込みが立った大きな要因だという。石黒さんが借り上げて賃貸料を負担するのではなく、入居者が入った時点で賃貸料の収入をオーナーさんと折半する形での契約を結んでいるそう。社会貢献を目指したオーナーさんがハードを担い、社会的マイノリティーの方の支援を続けてきた石黒さんがソフトを担うことで成立した事業だと言える。

頼れる人を増やし、温かい社会の循環を目指したい

そうはいっても、日々、プレッシャーなども感じているという石黒さん。暮らすroom'sの「頼れる人を増やすことが、自立した女性」というコンセプトにも共感しているそう。事業を始める時も、「他力本願」をキーワードに掲げた。

石黒さん:今まで、一人で頑張っちゃうタイプの人間でした。どこまで自分が人に頼っていけるのかと、頼った時にどれくらい人や社会が助けてくれるのかを自らが体感していくことで、温かい社会の循環を回していけるんじゃないかと、目下練習中です。

「できない・わからない自分を認めていく」ことで、人に頼れるようになっていくのではないかと考えているそう。

今まで石黒さんは、福祉の業界に長く身を置いてきた。関わる人々に対し、自己肯定感を高め、自分への思い込みや固定概念を外し、社会で当たり前とされてきた価値観に縛られないことを伝えてきた。

石黒さん:特に、「障がい児を産んでしまったお母さん」というレッテルの中にいらっしゃるお母さんが、私のところには辿り着かれる。「学校に行くべき、何歳になったらこれができるべき」ということは全部外して、違う価値をおいていくこと。さらに、母という女性の可能性を引き出し、輝きを取り戻していく手助けをする。そうするとお子さんも元気になるし、家族も円満になっていく。それは、この地球を明るくすることだって感じています。一方で、自らは自己肯定感が低い方で、「どうせお前には無理だろう」という自分の内なる声と常に戦っています。「起業してしまった、どうしよう。今ならまだ引き返せる」、「いやいや頑張ろう」という波は結構あります。内面は不安や焦りでいっぱい。だから、コーチングを受けたり、学んだり、そういうことはやり続けています。

人間は揺らぎがあるのが自然。いつでも元気でいられる方が不自然なのに、いつでも元気を求められているかのような社会。特に女性にはホルモンバランス的にもバイオリズムがある。

石黒さん:女性は、ゆらぎを常に感じてきているから、ボジティブだけで成立するわけではないと、体感でわかっていると思います。だからこそできる女性らしい経営の仕方があると思っています。

あなたにとって幸せって何?

私はペイフォワードが信念なので、他者が幸せであることが幸せです!
私の師匠である児童精神科医の佐々木正美先生も「幸福とは他者を幸せにすること」とお話しされていて、とても印象に残っています。



石黒繭子さん
株式会社ククリテ 代表取締役 / ソーシャルワーカー・保育士
愛知県名古屋市出身、1978年生まれ。愛知県立大学で福祉を学び、社会福祉士資格取得。卒業後、保育士として就職。2009年退職し、自閉症や発達障がいを学ぶために川崎医療福祉大学大学院進学。2011年4月、飯綱町の予想以上の田舎ぶりと雪かきの苦労を心配しながらも、NPO法人SUNに就職。2012年、障がい児の放課後等デイサービス「たいよう」担当。障害児福祉サービスの立ち上げ、運営に従事。2019年NPO法人ライフワーク・レインボー理事として、フリースクールの立ち上げ、障害者雇用創出に携わる。2021年株式会社ククリテ設立。代表取締役社長。シングルマザーおよび脱養護の若者向けシェアハウスや障害福祉コンサルタントとして活動している。


[編集後記]
パブハブ代表 平賀裕子
実現したい未来のために今を積み上げていくということが当たり前のように思われてきた。いい会社に入るために、いい学校にいく、いい学校に行くために勉強をする・・・というように。もっと今にフォーカスしていいんじゃないかと、うすうす思っている。納得のいく今を積み上げていく先に納得のいく未来が待っている。石黒さんがシェアハウスにたどりついた経緯を聞くと、まさにそれまでやってきたことの積み重ねが人の縁をつなぎ、「シェアハウス」が向こうからやってきた。もう今を逆算するのはやめよう。目の前のことに自分自身を傾ける。それが、たどり着きたい未来への唯一の道かもしれない、、、ということに石黒さんのおかげで確信を持てた。

ライター 田中聡子
石黒さんは、長年積み重ねた実績、大学院での学びや国家資格保有している本業をお持ちで、今回その実績から派生したビジネスとして、副業のシェアハウス事業を始められました。「副業は、生計の柱として考えていない」と話されていましたが、副業を始めたことでサポートを必要としている社会的マイノリティーの方の心の支援、雇用の支援、暮らしの支援と、一連の循環する形を作られていると感じました。継続をするためには、利益が生まれる仕組みが必要ですが、利益を生む事業と生まない事業を組み合わせて、循環させることが、ビジネスと取り組みを持続可能にするのではないかと、石黒さんのお話から感じました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?