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"くらしてみたあとに" トクダさん/富山県朝日町

あたりまえの世界から漁師へ

katoottoです。
今回は、富山県朝日町で、漁師をしているトクダさんのくらし。

トクダさんは、大手自動車メーカーのお膝元である豊田市で生まれ育ち、高校卒業後はなんの疑問もなく自動車関連会社に就職しました。
そこで、ストレスフルな日々を過ごした後、30歳を契機に漁師になることを決意して富山県朝日町に移住しました。

あたりまえのように企業に就職をした彼が、その後漁師になる経緯は、自分と重なる部分も多く、考えさせられるインタビューでした。


シンプルさのなかに戻っていくこと

魚を獲って売る。
買った人が喜んでくれる。
そして、自分がたくさん魚を獲れば、その分稼ぎも多くなる。

漁師というのは、清々しいほどシンプルだ。

トクダさんの話を聞いていて、そう思った。
そして、それとは対照的だったのが、トクダさんの前職である会社員の仕事だ。

トクダさんは、大手自動車メーカーのお膝元である豊田市で生まれ育った。豊田市では、8〜9割ほどの人たちが、高校を卒業するとそのまま地元の自動関連企業に就職するという。トクダさんもその例に漏れず、なんの疑問も持たずに自動車関連会社へ就職したということだった。

"そのころから漁師になりたいとは思っていなかったんですか?”

"なんとなく憧れみたいなものはあったんですけど、普通にまわりの人と同じように自動車関連会社に就職するものだと思ってたんで。
ただいいなぁって思ってるだけでしたね。"

そしてトクダさんは、就職した自動車関連の会社で、クレーム対応などの多い品質保証の部門で働くことになった。

"謝るのが仕事みたいな感じでした。
なんの楽しみもなく、働くために生きてるような毎日でした。"

大変だったんだろうな。
話しを聞きながら、そう思うと同時に、自分のこれまでとどこか重なっていくのを感じた。トクダさんの話は、同世代だからか共感する部分が多い感じがした。


なんとなく流れ着く先

地方で生まれ育った私たちは、進学、就職とステップを重ねる中で、当然のように東京に流れ着きました。

これは、私たちがサイトをはじめた頃の想いを綴ったものだ。
(詳しくはこちらをご覧ください。)

私たちのような平均的な30代にとってこういう感覚は、少なからずあるだろう。
高校を出ると、大学進学のため地元を出て、就職は東京という絶対的なレールがあって、自分の道を選びとるというよりは、"流れついた"という感覚なのだ。

流れ着いた先である東京では、最初はアトラクションのように面白がっていた満員電車も、毎日のくらしのなかに溶けていくと、ストレス以外のなにものでもなかった。疲れて家に帰ってきて、狭い家で壁を見つめながら、こんなものなのかなと思っていた。

"なんとなく流れ着く先"

私たちにとってそれが"東京"であったし、
トクダさんにとっては、"自動車関連企業"だった。

だけど、そこからの反省として、
私たちは、いまのくらしを漠然と受け入れるのではなく、自分らしいくらしを探すために"くらしてん"をはじめたし、
トクダさんは、朝日町で漁師として生きることを決めたのだ。


つながるという感覚

"漁師をしていく上でのモチベーションってどんなところにあるんですか?"

"自分のペースでいられるところですね。
あと、わかりやすいところです。人に喜んでもらうのが好きなんです。
おいしいものを食べるとみんな喜んでくれるじゃないですか。
だから、おいしい魚を獲って人に届けるのが、うれしいんです。"

だれかのために仕事をする。するとそのだれかが喜んでくれる。
そんなトクダさんの仕事がうらやましいと思った。
当たり前のようだけど、そのシンプルな関係性がなかなか感じられない複雑な社会になっている。
だから、トクダさんのようにシンプルに人と繋がれることを、うらましく思う人たちは僕も含めて少なからずいるだろう。

僕自身も、組織で働いていると、
自分はいったい何のためにこんなことをしているんだろう。
この給料は何に対する対価なのか。
とふと思うことがある。

組織が複雑化されていくことで、自分と人との関係性がみえなくなっていく。

特にトクダさんは、大きな組織のなかでも特にストレスフルな部署にいたのだから、思うところが多かったはずた。

昨今の移住ブームのなかで、人々が求める"つながる"という感覚とはこういうことなんだろう。そう思った。


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