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"くらしてみたあとに" ジョン・グアンチョルさん/東京都日野

katoyomeです。今回の記事は東京の日野在住のジョンさんのくらし。インタビューをするなかで、感じたことを書きたいと思います。

ジョンさんの活動はとても多岐にわたっている。
フォトスタジオの経営にカメラマン、大学院生、週に1回はボクシングで汗を流し、ときにはボランティアで海外にも行く。
これまでくらしてんに出ていただいた方々でも、ジョンさんと同じように様々な活動をしている方もいたのだが、ジョンさんの場合は動と静という感じで、外に発散していることと内側に吸収していることの両方が見えて面白く感じた。そして、「社会と繋がる」という一つの軸でそれらが繋がっていることも興味深かった。

そんなジョンさんの活動からとくに考えさせられたのは、「情報を伝える」ことの問題、そして「写真の力」だった。

「情報を伝える」ことに関する問題

ジャーナリズムに興味を持ったきっかけは、東日本大震災でボランティアをした経験だった。被災地の過酷な現状と、メディアで伝えられていることや東京での生活との温度差大きく違和感を感じた。そこから社会問題とメディアに関して興味が出てきた。

震災のような深刻な災害も当初は「状況を伝える」ことに徹していても、時間が経つにつれて「見てもらえる情報」に絞られて伝えられているように感じることがある。(まさに直近の台風の被害状況でも似たような感じだったかもしれない。)

私たち夫婦もくらしてんというサイトを立ち上げた動機の一つが、地方の移住向け情報(見てもらいたい情報)と現実との乖離でもあった。だから、ジョンさんの感じた違和感は、すこし違う視点ではあるものの共感できる気がした。

雑誌で「ジャーナリズム」は客観的に事実を伝えることが目的、「PR」は良好な関係を築くのが目的という記事を読んだが、こと移住の情報については、PRだけでなくジャーナリズムのエッセンスもないと、この先長い人生をリアリティ持って考えられないのではないか、と思うのだ。深刻な事実を伝えるではなく、もっとフラットに事実を伝えるジャーナリズム。それを見て移住をリアルに考えてくれたら、それこそ良好な関係を築く情報になるはず、と思っている。

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「写真の力」

写真を撮るという行為は「自分を知り、自分が見ているこの世の中を感じて、自分の生きるエネルギーにする」ということを教えた。

ジョンさんがボランティアで行ったカンボジア。発展途上のこの国でもスマホは広く普及しており、若い子たちは自撮りも手馴れているというから驚いた。

「カンボジアの若い子たち、自分は撮るけど、自分が見ている景色は撮らないんだよね」そんな子たちにジョンさんが写真教室で教えたのが、”自分の見ているものを通して自分を知る”という写真のもう一つのかたち。自撮りは自分を見せる行為だが、それとは逆に写真は自分を知る行為にもなる。

ジョンさんの話を聞いたとき、最近くらしてんで記事に協力してくれる方に「自分を改めて知るきっかけになった」と言われたのを思い出した。それも一人ではなく、何人かに。何人か共通しているので面白い感想だなと思っていたが、そうか、まさにそれが写真という行為なのか。私たちの記事が、見る側にはくらしを伝えるものになり、撮る側は自分をあらためて知るものになれば、「写真の力」を最大限示すことができるのかもしれない。


カンボジアの写真教室と似た話で、少し前に「未来を写した子どもたち」という映画があった。インドの売春窟に生まれ、毎日学校にも行けず、家事をさせられている子どもたちが、ジャーナリストが開いた写真教室を通して外の世界に飛び出していく、というドキュメンタリーだったのだが、貧しく先も見えない子どもたちがカメラに出会って表現する楽しみを見つけ、将来を変えていく様は印象深かった。(実際、子どもたちの一人はアメリカで教育を受ける機会を与えられ、その後映像監督になっている)伝えることや自分を知ることと同時に人を変えていくこともまた「写真の力」なのだろう。

今回の記事はいつもと違って、くらし自体ではなく、自分たちメディアとしての在り方をとても考えさせられる機会になった。こうした方と出会えるのも、本当にありがたい。こういう機会を大事に、私たちも成長していきたいと思う。

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