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ブックマーク

たとえば一人で電車に揺られている時、
車窓からの眺めをぼーっと楽しむのが好き。

ただ、席の向きや混雑具合で景色を望めないことも。そんな時は本を開くか、素敵な言葉を集めておいたブックマークを開くのが好きです。

好きな言葉(記事)ばかりを集めているので、その世界に入り込んで行くにつれて、どんどん心地良くなっていきます。

noteでは、マガジンにお気に入りを集めていますが、他にも「北欧、暮らしの道具店」の「読みもの」も好きで、ブックマークしておいては読み返すことを楽しみにしていました。
だけど先日うっかり削除してしまい、、noteの記事に保存しておこうかと。

なので今回は私の記事と言うより、私的なブックマークです。


まずは、最近もっとも共感したお話。


それから私、自分の気持ちを素直に表現することに慣れてこなかったと思うんです。

「あなたはどう思う?」
そんな風に聞かれて、自分の気持ちをただ素直に伝えること。また、そうして話される言葉を、ただ素直に、最後まで聞くこと。

そんな経験を幼い頃から重ねていたら、随分違う世界になっていたのかも。

たとえば私は、「自分の気持ちとは裏腹に従う・合わせる」という生き方を選ぶことが多かったんです。

だけど素直に「私は嫌です」「私はこう思う」と誰もが伝えあえるとしたら、嫌だなぁと思う関係や面倒な場所なんてなくなるんじゃないか。
そう気付いたのは、大人になって結婚してからでした。


結婚の前後、私は夫の両親との関係や帰省が苦手でした。
息子の結婚に対して「こうしたい」という思いが強く、親戚の中でも一番最初の結婚ということも更に思いを強くさせたのでしょう。たくさん干渉を受けました。

それから数年後、夫の弟が結婚することになり、義両親とお嫁さんの関係をみていて気付いたんです。

私は干渉させて (干渉を許して) いたんだ!と。

義妹は良い意味で義両親を自分のペースに巻き込んでいて、軽やかに進んでいくんです。自分がしたいことは楽しそうに話し、嫌なことは断り、干渉は受けないというか、そもそも干渉を受け付けない空気というか。その為義両親も私に接する時とはキャラクターが違い、義妹は楽しそうに義両親と付き合っている。

義両親は干渉する人で
私は一方的に干渉されたのではなく、

私が敬うと言うよりも萎縮して、従うことを選んできた。干渉を許していたんだなって気付きました。

ちょうどその頃、習い事で出会った年上の女性が、「私は嫌」ということをとても可愛らしくさらっと言える方でした。それで場の空気や関係が悪くなるなんてことは微塵もなく。こんな風に言えばいいのか!と衝撃を受けたのです。
断るとか嫌だと表明することに罪悪感や怖さを感じてきた私は、飲み込んで後でもやもやするより、ずっと気持ちの良い生き方に見えました。

そして、ある方に言われたんです。
「主従関係ってね、従う人がいるから成り立つんだよ。対立(ケンカ)ではなく、納得出来ないことには従わない。疑問があれば抵抗するのではなく、ただ純粋に どうして? と問えばいいの。
それであなたの思いを受け付けることなく、力や常識を振りかざして従わせようとする人なら、家族でも仕事でも離れた方がいい。」


その頃から仕事でもプライベートでも断る、話す、ことが少しずつ出来るようになった私ですが、これはもう性格というより、自分の気持ちを話し合う関係や機会が圧倒的に足りなかっただけなのかも。

そんな風に思う私の心に、とても響いた永井玲衣さんの言葉と、「わかるわぁ~」と心を掴まれた、桒原さやかさんの言葉。

わたし自身の経験からも思うことですが、ひとというのは、自分の伝えたいことをすぐに言葉にできるわけじゃない。心のなかで『自分が伝えたいことと何かがずれてる、ずれてる』と思いながら、言いよどんだり、止まったりして、なんとか言葉を探して紡いでいる。

だから、“きく”というのは、とにかくそれをじっと待つことだと思うんです。あなたの言ったこと、まずはそのまま受け止めますよ、でも、もしかしたらもっと伝えたいことがあるのでは?と、じっくり待って、受け止める。そうするうちに、だんだんと本人も伝えたかった言葉がみつかっていく。

哲学対話を通して、お互いにそんな体験ができたらいいなぁと

【手のひらに哲学を】第2話


褒められて嬉しいのに、真に受けていると思われるのが恥ずかしくて、つまらないことを言ってしまったり。やってみたいのに自信がなくて、興味のない振りをしてしまったり。先回りして考えて、自分を守るために、ガードの体勢に入ってしまう。

でも、一歩引いて考えてみると、案外自分が惹かれるのは、照れて赤面しちゃったり、悲しい時に涙をぽろっと流しちゃう、そんな人間くさい人だったりする。そして、歳を重ねていくうちに、恥をかくよりも、素直じゃない自分に気づく方が、後悔が大きいこともわかってきたんだけどな。

【暮らしのみずうみ-松本便り】第16話


記事で紹介されている本が気になったり、著者の言葉に共感して買うことがよくあります。
永井玲衣さんの本も、記事を読んだその足で本屋さんに注文しに行きました。


この映画も観てみたくなり、今ウォッチリストに加えています。


思い出せないブックマークがまだたくさんあったのですが、記憶からも消えてしまったものは、今はもう必要ないのかも。
また新たに好きな記事を、ここに加えていこうと思います。




*2023年9月12日   追記
大手メーカーで研究員をされていた方が
「自分が納得出来るものを作りたい」と昔ながらの物作りを大切にしている小さな会社に転職し、商品を創り上げた話を読んだことがあります。
自分がやりたいこと、大切にしたいこと(もの)、それを転職や起業という形で実現していく。そんな生き方、好きです。








「身体だけは、自分が好きなものをおぼえていたんです。

でも泣くなんてびっくりしたから、理由をしばらく考えたり、相談したりするうちに、『そうか、飽きたんじゃなくて、自分にとっての違和感を感じないようにしてるうちに、好きなものも感じなくなったんだ』と気がついて。

人間、好きなことだけを感じて、苦手なことを感じないようにはできないのね」
(中略)
見たことのないような、チャーミングなエプロン。それを作るおふたりは、人生を軽やかに潔く、喜びとともに進みます。それが、似合う生き方だから。

チャーミングさとは、自分が喜ぶことを増やしていくことで醸成されるものなのかもしれません。

エプロンで、チャーミング|後編 
北欧、暮らしの道具店

やりたいことがあるなら、どうやったら実現できるかな?って、そんなふうに考えていたいんです

お話をうかがっているうちに、最初は別世界に感じた家が、竹沢さんの選択の結晶のように見えてきました。

竹沢さん:
「『大きな家に住みたい』がゴールじゃなかったんですよね。もちろん、好きなものに囲まれて暮らせることはしあわせです。

でも、たくさんのひとに支えられてこの家ができて、その過程で得られた経験、ここに集まってくれるひととの縁、そこから始まる新しいこと、わたしが欲しかったのはこれなんだと思います」

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