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言葉をあきらめない。「まとまらない言葉を生きる」から考えたこと。

今日の「時々、コラム」は、ちょっと読書感想文的に。

夏季休業の間に何冊か本を読んだのですが、その中の1冊をぜひ紹介したいな、と思ったので。どこまで気持ちをまとめられるか分からないのですが、書いてみようと思います。

紹介するのは荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』。

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荒井さんは大学の先生で、障害者文化論、日本近現代文学を専門とされています。私はこういう荒井さんの肩書を知らず、とある本屋さんがおすすめされていたので「へえー面白そう」というノリで注文したのですが、読んでいるうちに「…これは!すごく大事なことが書かれているじゃないか!」と心を揺さぶられ、ちゃんと心にとめておかねば!と(自分にしてはとても珍しいのですが)付箋を貼りまくりました。

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この本は、「言葉が壊れている」という危機感を持った著者が、それに抗いたい、言葉の力を信じたい、という気持ちで書き連ねたエッセイで、18の話が掲載されています。

障害者文化論がご専門ということもあり、話の中には障害者運動家や女性運動家たちの言葉の持つ力について、また、例えば保育園に入れない、病気を持っている、など、生きにくさを抱えている人たちについて、冷静に、でも熱さも伝わってくる文章で綴ってあります。

「言葉の乱れ」ということについては「それもまた言語の進化のひとつ」だと割り切ることもできますが、著者が言っている「言葉が壊れている」とはそっちではなく、言葉に負の感情がまとわりついたり、聞いていてしんどくなったり…そういう意味で使われています。こっちは深刻ですよね…。

・「負の感情」の処理費用
・「ムード」に消される声
・一線を守る言葉
・言葉に救われる、ということ

など、エッセイのタイトルからも「どんな話なんだろう」と興味がわいてくるかと思います。出会った人たちとの会話から、また残された言葉から、筆者がどんなことを感じたのかが淡々と綴られていました。


実はこの本を読み始めたとき、ちょうど世間ではメンタリストDaiGoさんが動画で発言した内容が物議をかもし、燃えに燃えていました。

私自身、あの発言を読んで言葉にならない怒りを持ったし、なぜあんなことを公然と発言できるのか、意味が分からず混乱し、過去に起こった凄惨な事件のことを思い浮かべました。同じように感じた方もおられたのではないでしょうか。

そんな精神状態で手に取った本に、偶然にもまさにそのことが書いてあって、余計に刺さってきたのかもしれません。もやもやっとした「まとまらない」感情が言葉にしてあり、自分の中の意識もアップデートすることができました。

また、先日から熱戦が伝えられるパラリンピックを観ていても、本の中に書かれていることをあらためて考える機会がたくさんあり、何度も読み返し、そのたびにずしりと得るものがある、そんな内容でした。


表紙をめくると、

言葉が「降り積もる」とすれば、
あなたは、
どんな言葉が降り積もった社会を
次の世代に引き継ぎたいですか?

という言葉が綴られています。


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私は、例えきれいごとであったとしても、他者を敬ったり、いとおしんだり、讃えたりする言葉を積極的に使う世の中であってほしい、と思います。

貶めたり傷つけたりする言葉をなるべく使いたくないし(自分がそういう言葉に耐性がないし、過剰に反応してしまう)、なるべく言葉の裏側や影の部分をとらえたりすることがない、懐疑的でない社会であってほしい。

言葉に敏感であればあるほど、何気ないひと言に対して「裏に何か思惑があるのでは」「それってこういう意味なのでは」と勝手に考え、しんどくなる傾向にあると思います。これって、お互いにすごく疲れます。

「頑張ってね」という言葉が気軽に使えなくなり(もう頑張ってるわ!と言われたらどうしようと思ってしまう)、純粋に人を応援することがしにくくなってしまう。
特に今、あまり人に直接会えない状況下では、「言葉」の裏や影の部分にひそむものを増幅させてしまう場面も多いように思います。そんな状況が分かっていてあえて投げつける人もいて、しんどいなあ、と思うことも。

そういう、言葉の持つ「とげ」みたいなのをなるべく丸く、本来の言葉のままに投げ合えるような社会になってほしいのです。

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「まとまらない言葉を生きる」って、よく考えたら「くらしアトリエ」そのものを表しているような気もします。
日頃から自分たちの考えや行きたい道の先に見えているものを、なかなか上手に言語化できない、というもどかしさを抱えているからです。

でも、本の中で著者が切々と綴っている文章を読んで、例えば自分がこうして文章で何かを発信するときにも、「どう受け取られるか」「曲解されてしまったらどうしよう」などとネガティブになり、「伝えやすさ」「分かりやすさ」を優先してきれいに収めようとするがあまり、大切な言葉のかけらをそぎ落としたり、ふるいにかけて捨てたりしていないだろうか、と考えてしまいました。

いま「Delete」キーを押して消してしまったその言葉は、本当に世に出さなくても良いものだったのか。

「分かってもらえないから」という負い目を持ちすぎて「みんなが分かるだろう平易な言葉」を多用するのではなく、もっと熟考し、言葉を選び、なるべく完璧に近い形で表現する、ということに、力を尽くさなければいけないのではないだろうか。

その過程は面倒だし、結果として答えが出なかったりするから、ついついおさまりの良いふんわりとした言葉で「言い換えた」つもりになっているかもしれないけど、そこをもっと突き詰めていく必要があるんじゃないか。

そんなことを感じたのでした。

本当はもっと具体的に「何ページのこの言葉が!」とご紹介したいのですが、やはり引用や要約ではなく、実際に相対していただきたい。言葉の持つ力をあきらめたくない、という方には、ぜひ読んでほしい1冊です。良かったら、手に取ってみてくださいね。

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これからもいっそう、言葉をあきらめずに、真摯に向き合っていきたいと思います。


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