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大小という数値では測れないものがある。

この頃、ささやかなことで幸せを感じることが多い気がします。

ステイホーム以降、自分のまわりに目を向ける機会が増えたからでしょうか。
外出が減ったり、直接会う人が少なくなったりした分、手の届くところにあるちょっとしたことに心が動き、じんわり幸せな気持ちになります。

先日、久しぶりに娘と雑貨店に出かけたときのこと。
庭が素敵なそのお店で私が歩いていると、後ろから娘が「あ、鳥が巣を作ってる」と言うのです。ふり返ると、娘が見上げているその視線の先、木の上のほうに、枝を使って作られた巣のようなものが。「こんなところに巣を作るんだね」と言いながら、私は娘が「上を見上げて歩いていたこと」に、妙に感動してしまいました。

ついつい視線を落とし、下を向いて行動しがちな自分に対して、上を向いて木々の中から鳥の巣を見つけられる娘の感性は眩しく、「素敵だなあ」と思うと同時に、そんな瞬間がとてもいとおしく、幸せを感じたのでした。


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毎日の生活の中に、幸せは存在しています。
例えば、おいしいごはんを食べたときの「あ~幸せ!」という高揚感!

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まさに今日、事務所近くの展望公園でカレーピクニックを開催したのですが、とびきりおいしいカレーをとびきりの風景のもとでいただくなんて、何という幸せだ!!と、お腹も心も満たされる時間を過ごしました。

ほかにも…高齢の犬との毎日の散歩。「金木犀のにおいがするねえ」「あ、また新しい家が建つねえ」と話しかけながらゆっくり歩くときの、答えは返ってこないのにもかかわらず、満たされる心地良さ。

通勤途中の松江城近くで、楽しそうに歩いている観光客の方の、「楽しく島根を過ごしていただけているなあ」とこちらまで嬉しくなる風景。

庭の落ち葉の中にきれいな葉っぱが混じっていた時の「あ、きれい」というちいさな心の動き。

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そんな、日々のあちこちに散りばめられた幸せによって、私は毎日を健やかに過ごせているんだと思います。


大きなサプライズとか、物理的に満たされることとか、そういうことよりも、日々の中にささやかな幸せが転がっているほうが、きっと豊かで楽しい。

そんな風に思いながら暮らすことを「ていねいな暮らし」という言葉にすると、途端に作り上げられた、パッケージ化された商品のような印象を受けてしまうことがとても悲しいのですが、でも本当に言葉どおりに、日々をていねいに、ささやかな「あ、楽しい」「あ、嬉しい」を積み上げていくことが、人生を楽しむ秘訣だと思うのです。


同時に思うのは、「幸せの大きさは他人には測れない」ということ。

自分にとって些細なことが、ほかの誰かにはめちゃくちゃハッピーなことだったりするし、その逆もある。自分には自分の幸せの価値があり、その大小は人に評価されるものではない。このことは、人の目を気にして暮らしがちな自分にとって戒めともいえる考えで、自らに課していることでもあります。人と比べない、誰かと比較して上だ、下だと考えない。そんなことは表面的なことなんだ、と。

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学生時代、文化人類学の授業で印象的だったお話があります。

「東南アジアのある国で伝統的に踊られている民族舞踊は、一見すると静かで、動いているのは指先やちょっとした顔の動きくらい。フラメンコやタンゴのような、感情がそのまま表れるような踊りではない。でも、その地方ではその動きこそが感情を表しており、見る人が見れば、そのささやかな動きですべてが分かる。すなわち、民族ごとに発展している感情のベクトルが違うのであり、単に動きが大きいか小さいかで感情を測るものではない。」

という内容でした。

大きい・小さいという数値だけでは、測れないものがある。

ものの見方には、いろんな方向性がある。

大学の時に学んだそんな知識が、「くらしアトリエ」の活動を始めてからすごく生きてきました。

声が小さな人が、感情が小さいわけではないということ。

大きな声を上げる人が偉いわけではないということ。

また、声の大きな人であっても、心の中には繊細なものを持っていることがあるということ。

都市部は便利で良い・地方は不便でダメ、とひとくくりにしてもあまり意味がないということ。
だから、都市部にあるものを地方にそのまま持ってきても、うまくいかないということ。

すべては、「大小という単一的な価値ではなく、ベクトルを意識して、いろんな方向性でものを見る」という、ある種のていねいさが必要なんだと思います。

じゃあ「くらしアトリエ」の、「シマシマしまね」のあるべき方向性はどこだろう。どの部分を伸ばしていくべきなんだろう。
それはきっと、最初に述べた「ささやかな幸せを感じられる暮らしを、提案し続けていく」ことなのだと思います。

そして、それには「住んでいる土地を誇りに思う」ということが欠かせない。
うつわを売っても醤油を売ってもイベントを開催しても、芯の部分でこの持論を、言い続けていくしかない。いろいろ考えても、やっぱりこの原点に帰ってくるのだから、きっと自分たちにとってのライフワークなのでしょう。

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…コラムを考えるのは毎週とても苦行で(楽しいけど)、自分の考えをうまく言葉にできないことがもどかしい日々ですが、「これだけは自信を持って言えるな」ということを、今日はまとめてみました。


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