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いまあらためて「民藝」を思う。

今月の半ばに、鳥取大学で
「民藝」という美学 ~地域にひそむ新たな価値の発見~
という集中講義があり、オンラインでも受講ができたので久しぶりに聴講生のようなことをさせていただきました。


今年のはじめに「Newspicks」の動画で落合陽一さんと明治大学の鞍田崇さんの対談を観て、民藝にあらためて興味を持ち(それまでもぼんやりと好きではあったのですが)、鞍田さんのご自宅が掲載されていた本も買って、それがきっかけで沖縄のうつわにハマった、という記事も書きました。

その鞍田さんがSNSで「鳥取大学の集中講義があるよ」とおっしゃっていたのを見て、わ~それは受けてみたい(母校だし)!と申し込み、開催をとても楽しみにしていたのです。

4日間の集中講義、終わってみれば「やっぱり直接聴いたり見たりしたかったな」というのが率直な感想です。

何しろ、講師の方の私物の民藝の作品に触れたり、鳥取市の民藝美術館や牛ノ戸焼の工房を訪ねたりできたのですから…。もちろん、オンラインでも十分に学びはあったのだけど、やっぱり現場を直接見て肌で感じたほうが、俄然腑に落ちるものがあったと思う。
オンデマンドでこまぎれに聴講するので、没頭!というまでは行かず、それもちょっと残念でした。それくらい、実りある講義でした。

副題に「地域にひそむ新たな価値の発見」とあるとおり、自分の出身である鳥取のあちこちに点在する手仕事をあらためて知ることができましたし、個人的には仕事で何度かお会いしたことのある長谷川富三郎氏と民藝のつながりを知らなかったので、「あのおじいさん、すごい人だったんだな…」というのが一番の驚きでした。

鞍田さんや高木崇雄さんのお話はめちゃくちゃ刺激的でしたし、コミュニティデザイナーの山崎亮さんの講義もあって(知らなかったのでびっくりした。なんか嬉しかったです)、頭がパンパンになるなあ、という感じだったのですが(学生の頃、4日間の集中講義とかよく受けてたものだ…)、私がしみじみと感じたのは「あらためて民藝という概念をちゃんと知ることができた」という満足感でした。

それまでの私は「民藝」というと、例えば「小鹿田焼」「やちむん」、あるいは「松本の家具」といったものが「民藝のアイコン」みたいな感じで頭に浮かんでいました。それから漠然と「柳宗悦」「吉田璋也」「河井寛次郎」みたいな人物とか。

吉田璋也、河井寛次郎は山陰にゆかりがあり、また柳宗悦はバーナード・リーチさんといろんな地域を巡って指導したりして、だから島根も鳥取も民藝が残ってるんだよね…といった感じ。

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でも今回、「民藝」という言葉がいかにして生まれたのか、というおおもとのところを学ぶことができました。

柳宗悦がはじめに目覚めたのは朝鮮のうつわだったこと、「木喰仏」という木製の仏像を調べて日本全国地方を回ったこと、京都で暮らした際に東寺の朝市などで古いものに触れたこと…。これらは、本当に柳宗悦氏の生涯のひとかけら、初歩の初歩ではありますが、こうした複合的な要因があって地方性豊かな民衆の焼き物に目を向けていったのだそうです。

それまで「上手もの」との対比として「下手もの(げてもの)」と呼ばれていた手仕事の印象を新たなものとするため、あえて「民藝」という言葉を作って使い始めたのも柳宗悦でした。

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ある地方の陶工たちが、地元の土・地元の釉薬でつくったうつわを、地元の木やわらで燃やして、地元の人たちのために作る。
1日に何個も、何百個も作るうちに、かたちや柄はどんどん極められ、それが意図せずして「美」を生んだ。

「美しさ」や「醜さ」といった俗的な考えから解き放たれて、ただただ「実用」、つまり使う側の機能性や「使うときの気持ちの良さ」を追求したことで、結果的に「美」が生まれた、というのが、民藝の概念なのです。

日本には、そういった「地域の人のために地域の人が地域のものを使って」作られたものが、たくさんあったのでしょう。 それが、工業化や流通の発展によって、どんどん衰退してしまった。
 それを憂い、再興の実現を訴えた柳宗悦の思想にたくさんの人が共感し、多くの作り手やプロデューサー、スポンサーがいたことで、民藝というものが確立していったのだと思います。

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なぜ今の時代に、そういった歴史のあるうつわを見ると心が震えるんだろう、と考えていたのですが、講義を受けて何となく腑に落ちました。
もともとは地方の民衆のために、地方の民衆がつくりあげたものに宿る、美しさと潔さ。これらが現代の私たちにも何か「手でつくる」「時間と手間でつくる」ことの説得力を訴えてくるのですね。

それは、(比べようもありませんが)くらしアトリエが考える「シビックプライド」や「地域と暮らしをつなげる」といった概念と大いに共通していて、だから私は民藝に惹かれていたんだなあ、とあらためて納得しました。

でも、じゃあ古いものを毎日漫然と作り続けていればいいのか、というとそうではないはず。今の時代や生活様式に合わせて、歴史に学びつつも新しいものを加えていくことも、大切なんじゃないかと個人的には思います。

吉田璋也が牛ノ戸焼やランプやネクタイをデザイン・プロデュースしたように、時流を読んで「さらに良いもの」を求め、作り続けていくなかに、また新しい民藝も生まれていくのだと思う。

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今回私たちが企画しているうつわイベントの中でも、小石原焼・砥部焼・沖縄といった民藝の産地から作品がやってきますが、伝統と新しさがしっかりと感じられて、今の私たちにとって「いいな!」と思う説得力がある。
手前味噌ではありますが「いいものが集まるな~」と思います。

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もうひとつ、講義の中ですごく印象的だったのが「無名」という概念についてのお話でした。
よく民藝について語るときに「名もなき陶工の」みたいなフレーズが出てきます。
確かに、古い窯元で「名もなき」作り手が作り続けたことで民藝が今に続いているわけですが、講義の中で高木崇雄さんは「当たり前の仕事に生きる民衆がいて、そうした名工がただただ積み重ねていった”贈与”が時を経て”忘却”され、”無名”として残るのだ」ということをおっしゃっていました。

つまり、ただただものづくりに真摯に取り組んできた(確かに存在していた)人々の時間の積み重ねに与えられたのが「無名」という称号であり、そこにはとてつもない重みがあるのだ、というお話です。

私はこの話を聞いていて、ガーン!と雷に打たれたみたいになったのでした。

名を成そうとするではなく、ただただひたむきに「もの」と向き合う時間を積み重ねた人々がいたからこそ、私たちはいま、彼らが残してくれた財産を享受しているわけじゃないですか!それってすごくないですか?

「ああ、民藝のたたずまいが残ってるね」なんて軽く言っちゃってたけど、その背景には何百年も前から連綿と続く「ものづくりの大河」みたいなのがあって、この形もこの高台もこの持ち手も、誰かの作った作品が受け継がれ、少しずつ改良されてバトンを送り続けてきたからこそ、私たちが楽しむことができるわけです。

このお話を聞いた後は、例えば仕入れにうかがってカップ1個を手に取ったときにも、今までは見えなかった陶工の汗や思いのバトンみたいなのがぶわーっと見えてくるようになりました。すごいなあ、学びって。話を聞く前と聞いた後では、見える景色が変わっちゃう。

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そして、これも比べようもないのだけれど、私たちくらしアトリエの活動もひたすらに「私」を消して積み重ねていくことで、いつか存在そのものも忘れ去られ、後に「島根ってしみじみいいよねえ」という概念だけが残るような、そんな存在でありたい!と強く思いました。

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勝手に自分とつなげて考えてしまったのですが、これも、民藝が民衆のものであるから、つまり生活に根差しているからであり、遠いどこかの話ではないからこそ、自分の身に置き換えて考えることができるんじゃないかな。

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まだまだ未消化な点も多くあり、うまく言語化できませんが(集中講義の中で感じた学びのひとつは、「概念を言語化できる人ってやっぱりすごい」ということでした。柳宗悦しかり、講師の先生方もしかり。)、幸いにして島根は民藝について学べる場所が豊富にありますし、「山の図書室」にも民藝に触れる本がいくつかあります。

一見するとつながりがないように見えても、学びによって新たな知識を得ることによって、もっと深く、もっと楽しい暮らしができるかもしれない。直接ではなくても、あるきっかけになるかもしれない。

はなはだ未熟ではありますが、うつわや、くらしアトリエの活動を通して、「”この地域で暮らしていく”ということの根源にある、それぞれの地域に佇む豊かさ・贅沢さ」みたいなものを、折に触れて伝えていけたら、と思いました。

少しずつ学びを深めて、手に取るうつわひとつひとつに、もっと思いを馳せられるようになりたいな、と、わくわくしています。




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