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「推し」への思いを考察する。

今日の「時々、コラム。」は、過去に2回書いた「沼を楽しむ」がテーマのコラムの、さらに続編です。

2020年11月に書いたこちらのコラム。

いわゆるステイホームの間に動物園のインスタライブを観て、「カバ→シンリンオオカミ」にハマった、というお話です。

その続編として昨年に書いたのがこちら。

シンリンオオカミからさまざまな動物を経て、「ホッキョクグマ沼」にすっぽりとハマった経緯について綴っています。

その後もホッキョクグマ沼にひたひたと浸かり続け、昨年にオンラインサークルのメンバーで作ったZINEも「ホッキョクグマ」をテーマにするなど、推しを愛でる生活を送っていたのですが、今年の夏、とある用事で神戸に行かなくてはならなくなり、「どうせ関西に行くなら、やっぱり会いたい…!」と、動物園行きを決行しました。

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昨年作ったZINE。


念願の「推しに会える」機会がやってきたのです。

神戸の王子動物園と大阪の天王寺動物園、どちらもホッキョクグマがいるのですが、ここはやはり、コロナ禍で私の心を癒やしまくってくれた、2020年生まれの「ホウちゃん」がいる天王寺動物園に行って、直接お礼が言いたい!と、大阪行きを決意。
ひとりで行くのは心細いので(学生時代に梅田で迷子になったことがトラウマになっている)、関西に暮らすムスメに声をかけて、同行してもらいました。
出かけたのは8月のはじめ。まさに猛暑まっさかりです。

この日のために、モバイルバッテリー・ハンディ扇風機・虫よけ(意外に虫が多いと書いてあった)・塩分補給タブレット・スポーツドリンク・首を冷やすタオル …などを買い込み、万全の体制で動物園へ乗り込みました。

開園前からゲートの前で待機し、オープンと同時にずんずんとホッキョクグマ舎へ。地図を片手に「えーとこっちかな…」と道を探すムスメに「こっちな気がする!この壁、動画で見たから!」と、自らの記憶を頼りにに足をすすめて、まっすぐホッキョクグマ舎に到着。

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ホウちゃん。湯たんぽを持ってます。

すると、屋外プールに、いました…。いました、念願の推しが…!
ホウちゃんと、お母さんのイッちゃんが、まったりとプールに浸かっていました。

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コーンと湯たんぽ、2つで遊ぶホウちゃん。


推しに初めて会えた感想は「…近い!」。檻もガラスもなく、私がフェンスを越えてプールに飛び込めば、すぐそこにホウちゃん・イッちゃんがいるくらいの距離感です(そんなことをしたら命がありませんが…)。

暑い中、エアコンの効いた寝室から出てきてくれて、プールのくぼみに隠してあるおもちゃを次々にギャラリーに見せてくれる、ファンサの塊・ホウちゃん。「存在してくれてありがとう…!」と、心から感謝の気持ちでいっぱいになりました。

この日は最高気温が35℃で、影のないところを歩くと本当に、汗がしたたり落ちてくるくらいの暑さ。ムスメは、汗だく・びしょびしょになってクマを愛でる母親(50歳)を目の当たりにして、多分、かなり引いていたと思います。

元来、私は極度の暑がりで、30℃を超えるともう使い物になりません。
そんな私が自ら真夏の動物園に足を運ぶなんて、自分でもすごいなあ…と思うほどです。でも、不思議と疲れはなく、逆に「ホウちゃん・イッちゃんに会えた…生ホッキョクグマがすぐそこに存在していた…」という喜びに満たされ、その日は一日、ふわふわと宙に浮いた感覚でした。

「推し」がもたらす効果というのは、こういうことなのかな、と思います。身体的な疲労をも超越した、心の満足感をもたらしてくれる存在。
「いてくれてありがとう」という、完璧な全肯定。そこに、邪念や狡猾さが入る隙間はありません。

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少し前にテレビで小泉今日子さんが「推しは恋愛と同じ幸福感を与えてくれる」というようなことをおっしゃっていたのですが、心の満足感や肯定感、という意味では、そのとおりかもしれません。

でも、私の場合、推しへの思いは恋愛とはまったく違います。
どちらかと言うと「神仏」への思いに通じるというか…崇め、敬い、見返りは求めず、ただただ見守り、応援する存在。
見返りは求めないからこそ、与えてくれるものに素直に感謝できる。あるがままの姿を享受して、「ありがとう」と思える。自己分析するとそんな感覚なのです。

コロナ禍で家にこもりがちになり、動物にハマった、という人は多いそうです。これは、閉園中もインスタライブやYoutubeなどで動物たちの姿を発信し続けてくれた、動物園・水族館のスタッフの方々の努力の賜物だと思うのですが、人との直接的な交流が妨げられたことで、何か「愛でるもの」「かわいがるもの」が欲しくなる、というのは、行動としてすごく分かりやすいことなのかもしれません。

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同じように、いろいろなものが「推し」の対象です。
私は某歌劇団が大好きで、それも「推し」の対象だし(歌劇団では「推し」ではなく「ご贔屓」という言い方をして、その世界はまたディープなのですが、私はいろんな人を広く応援しています)、ほかにもアニメキャラとか芸能人とか、多種多様なものを「推す」人がいます。そのどれもが肯定されるべきなのですが、「推し」に対する気持ちを体感していない人は、もしかしてこの一方的な偏愛が理解できないかもしれないなあ、と思うのです。
私自身、こんなにも動物園・水族館の動物たちにハマると思わなかったし、沼に落ちる前はもしかして、パンダ好きな人やペンギン好きな人たちのことを「…変わってる…」「何もそこまで…」という目で見ていたかもしれません。
行き過ぎた偏愛は分断を生むので肯定できないけれど、健やかに愛情をそそぐこと、思いを募らせることは、広く認められるべきだなあ、と、いまは思えます。
私に「多様性」や「寛容さ」に気づかせてくれたのも、動物たちなのでした。

今年は4月28日に、鹿児島の平川動物公園でシンリンオオカミの5つ子が生まれ(5頭ともすくすくと育っていてとても嬉しい)、また先日、9月12日には北海道の旭山動物園でライオンのイオが出産し、オスのオリトがお父さんになった!と、日本中が沸きましたね(スタッフに聞いたら「そんなに沸いてないよ…」とのことでしたが…私の周辺は確かに沸いた)。

推しの動物たちをただただ見守っていたたくさんの人たちが、命が次の世代へつながったことを純粋に喜び、飼育員さんたちに感謝の気持ちを述べておられて、とてもあたたかい光景でした(Twitter上が)。

こうした、純粋な気持ちが積み重なることが、結果的に動物たちの健康的な生活につながり、推しが幸福になる…と思っています。

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推しを持たないスタッフは、「そういう存在がいてうらやましい」と私に言います。確かに、コロナ禍で得た最高のギフトかも…!

でも、対象が何であれ、「夢中になる存在」があるというのは生きる活力につながります。「推し」とはちょっと違うかもしれませんが、スタッフは旅行好きが高じて世界遺産検定を受けていましたし、ガーデニングが好きすぎて「庭のことしか考えてない」というスタッフもいます。

私自身、推しを愛でるうちに、クマ特有の「着床遅延」という繁殖の仕組みとか、国内飼育のシンリンオオカミの血統や、それに伴う将来への危機感など、いろいろなことを調べ、今までになかった知識を得ることができました。それらは、特に学ぼうと思わずとも、自然と推しの背景を深掘りしていくうちに得られたものです。

同じように、「好き」を突き詰めていくと、世界が広がり、暮らしが楽しくなる。今までとは違う視点で物事を考えられるようになる。それってすごく魅力的ですよね。

閉塞感があるいまの社会で、推し活が盛り上がるのは、そういった派生的な理由もあるのかな、と思いました。



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