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家族とともに歳を重ねるということ。

2年ほど前にこんなコラムを書きました。

ガラケーからスマホデビューした70代の母に付き添った体験から、歳を重ねることへの思いを綴ったもの。あれから時が経ち、親をめぐる心配や、なんとも言えない切なさは、日々深く、心に突き刺さってきています。

先週末、父親のスマホの料金がとんでもないことになっていて、慌てて実家に帰りました。何というか、いろいろ大変だった(詳しくは書けない…)し、「ついでに聞くんだけどさ~」みたいなノリで出されたクレジットカードの明細書により、「けっこう前から毎月、謎の支払いがある」という新たな事実も発覚して(すでに解決済み)、家に帰ってからどっと疲れました。

実家のリビングでひとり、父親のスマホと格闘しながら、「これからこういうことがどんどん増えていくんだろうな」と、暗い闇の中に自分が進んでいくような気持ちになったのでした…。

同時に、のんびりとコーヒーとお菓子を持って来て「冷めちゃうから早く飲んでよ~」と言う母の緊迫感のなさにもまた、冷静さを保つのに努力したり…。これはまだ序章で、これからどんどん大変になるのかもしれないと思うと、いても立ってもいられない気持ちになります。

30代の頃にはまだまだ自分と子どもが世界の中心だったので、親のことは二の次で、親世代もまだまだ元気だったから、こういう気持ちって本当に、自分も歳を重ねないと得られないものなのだなあ、と思います。


翻訳家でエッセイストの村井理子さん。双子のお母さんで犬と暮らしていて、勝手にシンパシーを感じていて大好きなのですが、村井さんと義理のご両親との関係性が夏くらいからどんどん大変になっていて、エッセイを読みながらドキドキしてしまいます。

全体的にめちゃくちゃ面白いんだけど、「いや村井さん、相当大変だな…」と毎回思ってしまう。

これは連載エッセイで、毎回とても楽しみにしているのですが、この1か月は本当になんのドキュメンタリー?というくらい、ひっ迫しています。

そしてこちらは村井さんの個人ブログ。こっちはさらに大変そう。大変そうだけど、ふとしたところで村井さんの心の生の声がつぶやかれていて、「そうだよなあ…」と一緒に落ち込んでしまいます。

まだお義父さんが(高齢にも関わらず)お元気で、村井さんがツイッターで「サブちゃん」とお義父さんのことを呼び、突然家に来て100%の善意で持ってくるものに「#いらねえけどありがとう」というハッシュタグがついていたのも、今は懐かしい。
先日のツイートでは「最近、義父という言葉でさえうっすら嫌になりかけていたので、ダグラスと呼んでいる」と書いてあって、切ないけどそんな中でも笑かしてくれる村井さんってすごいなあ、と思ってしまいました。


ブログの中にあった言葉で、ちょっと考えさせられたのが

子育てもそうだけど、プロの助けを借りるのが大事だと、こういう局面になるとよくわかるんだよね。それから、高齢になればなるほど、友人や趣味は必要。一人でいることに耐えられるのは、よほど強い人だけだよ。
孤独って怖い。

Everything hurts and I'm dying


確かに、周りに頼れるプロがいたり、愚痴をこぼせる人がいたりすることで、歳を重ねることの「怖さ」みたいなのがちょっと薄れるのかな、と、この文章を読んで思いました。自分も高齢になった時、他愛もない話ができる人が近くにいたり、何か熱中するものがあったり、というのが、きっと大切なんだろうな…。

私自身、知り合いも少ないし内にこもるタイプなので、「孤独なおばあさん」になるんじゃないかと思うと、急に怖くなってきました…。

そう、親の高齢化を切なく思ったり不安になったりするのと同時に、最近は「自らの老い」に立ち向かっていかなければならないことへの不安も、少しずつですが感じ始めているのです。

なぜそう思うかというと、最近自分の娘がLINEするたびに「身体に気をつけてね」「無理せんでね」と言ってくるからです。

なんか、労わられている…。

こないだまで「ちゃんとごはん食べてるの?」「無理せんようにね」ってこっちが言う側だったのに。

親と子って、年を経るに従って関係性が逆転しますよね。大きくて逆らえない存在だったのがいつの間にか、こちらが逆に親に強くものを言ったりする場面も増えてきたりします。

実の親子の場合は特に、力関係が行ったり来たりして、「娘である私」「親である私」の気持ちが現実についていけない、そんな不安定さが、もやもやした不安につながるのかもしれません。

「やさしくしたい」「認めたくない」「元気だったのになんで」「子どもだと思ってたのに」という、家族だからこその「こじれ」みたいなのが厄介で。

多くの人が通らなければならない道だけど、その道のりはひとつひとつ家族によって違うから、最後まで正解が分からないというのも、不安の原因の一つだと思います。

両親に対しては、とりあえずこの年齢になっても元気でいてくれていることにまずは「ありがたい」と思い、なるべく凪の心で、機嫌よく残りの時間を過ごしてもらえるようにいざなっていけたらいいなあ、と思っています。
とはいえ、ついつい「だぁ~か~らぁ~!!言ったでしょ!」と、語気が荒くなってしまうのですが…。

ストレスなく言いたいことを言い合いながらも、あくまでもお互い機嫌よく…というのが、目下の目標です。

そして、自分自身はまず「子どもに心配をかけない大人でいる」ことに注力したい!日々楽しく、好奇心を持って暮らしていくこと、身体的なメンテナンスをしっかりしていくことで、「前向きな自分=普段の自分」という軸に自分を保っていきたいな、と思います。

大好きな動物園にもたくさん行きたいし、オットや子どもたちと旅行にも行きたい。できれば、文章もずっと書いていたい。そのためにできることを日々、積み重ねていかねば。

そのうえで、娘が労わってくれることに対しては素直に喜んで、甘えるところは甘えようとも思います。

こうやって「自分の家族オリジナルの歳の重ね方」がだんだんと確立してくるのかもしれませんね。

とかく家族のことは個々の判断にゆだねるしかなくて、冷静でいられなくなることが多いように思いますが、時々はこうして俯瞰的に自分と家族の関係性を分析して、外の力も借りながら、あくまでも「前向きに」歩んでいかねば、と思う日々です。


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