『ピアニスト』 向井山朋子展最終日レポート( 文:こたにな々)
--------------------------2019.02.28 銀座メゾンエルメス フォーラム
最終日。午前11時開演。外は雨。
午前10時45分に会場に到着した頃には、インスタレーションの一部となった人で埋め尽くされた会場は満員で、私は上の階へと案内され、演奏を見下ろす形となった。
天井に吊るされたピアノを含める会場の14台のピアノ。調律されているのはこの中の2台か3台で、その元、向井山さんは着席し、ピアノに向き合う。
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奏でられるミニマル・ミュージックの演奏の中、自分の脳の中に溢れてくる人生の記憶を反復して反復して、自分を試しながら、また何度も反復される音の旋律を聴いていた。
音は不思議と、沈んでいくようでも、浮上していくようでもない。どの言葉に身を置いたらいいのか分からないけれど、非常に気持ちの良い、心地の良い時間だった。言葉にならない「希望」っていうのはこういう風に生まれてくるのかも、とかも思った。
演奏を見下ろしながら、流れ、押さえる指の動きや、譜面をめくる瞬間、向井山さんのオレンジ色のドレスの、開いた背中を見つめながら...願わくばピアノの置かれた床に座って、迫る音の振動を体感したかった、と。下階からやって来た音は、まさに掴み取るような感じで。だんだん空気へと、人の吐く感嘆とが緩く混ざっていた。
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予定されていた2曲の演奏が1時間をかけて行われ、大きな拍手の後で去られた後、再びトイピアノを弾きながら美しい歌声で舞い戻った向井山さん。あ...としか自分の口から漏れないのを確認していたら、その瞬間は終わっていて、会場には再び奇跡を感じたい会場のアンコールが溢れていた。
戻ってきてくださった向井山さんのはじける少女のような挨拶から、演奏が30分間延長され、
ついに真下のピアノに来てくださって、
弾いてる瞬間の表情を観る事が叶った。
眉間に薄く力を寄せて、時に悩ましげで、時に音の先を見据えたような、耐えるような美しく凛々しい表情で−
弾いている様を観て、これは感性だけで成立するものではなく、筋肉と身体が重要で、彼女はピアニストとしての人生を生きているのだと思った。
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友人が終演後のアフターパーティーに顔を出した向井山さんに、自身が作曲する際の心得などを伺っていて、その時、向井山さんが眩しい笑顔で「私には才能がないので」とおっしゃっていて、倒れそうになった。もしそれが謙遜ではなく、本当に向井山さん自身が感じている事だったとしても、向井山さんは確実に自分の人生と向きあって、自分の出来る天命を全うしている–
「私には才能がないから」それは希望の言葉のように思えた。
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『イースト・シャドー』向井山朋子(2012)
『カント・オスティナート』 シミオン・テン・ホルト(1976)
『ゴルトベルク変奏曲:アリア』ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
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-『ピアニスト』 向井山朋子展
開館日:2019年2月5日(火)~2月28日(木)
開館時間:日ごとに異なる
会場:銀座メゾンエルメス フォーラム
2月5日から28日まで、毎日連続して、一時間ずつ開演をずらして行われた向井山朋子さんのピアノ演奏。14台のピアノ展示の中で行われたそれは、エルメスのガラス窓から入ってくるだけの光と、暮れていく暗さと、明けていく景色の、大勢の観客とが混ざり合った最高のインスタレーションだった。
演奏会場の隣のフロアで静かに布団をかけられ、時間を止めていた2台のピアノ。3.11の津波から救い出され、補修されたピアノだった。
多くの傷の後が痛ましく、忘れられない時間を思った。
向井山さん本人によるキャプションには最後このような一文が書いてあった「ピアニストが寝ている間も練習できるよう、死んでからもピアノが弾けるように」−
文:こたにな々 (ライター) 兵庫県出身・東京都在住 https://twitter.com/HiPlease7
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