金魚

でもしかナース

2017年作のオリジナル。コンテスト用に書いたドラマ脚本。規定の尺は60分。これは昨年、私の父が他界したときのエピソードをもとに書いた作品。延命治療の現実と是非を医療従事者の目線でありのままに描いたのだが、実際放映するにはかなり一般論とかけ離れており、綺麗事なしのリアリティが世間一般に受け入れ難いものであったと振り返る。

※ト書き二行目以降、上3マス空白を空けることができないので、シナリオソフトのコピペに手を加えず掲載する


「でもしかナース」

〈人 物〉
浦野朋美(22)看護師
浦野広道(54)朋美の父、マイナー演歌歌手
浦野陽子(50)朋美の母、スナック経営
山崎千尋(38)看護師、朋美の指導者
嶋田猛(54)寝たきり患者、重度の失語症
嶋田瞳(20)嶋田の娘、大学生
丸山妙子(58)浦野家の隣人
大友文恵(54)看護師、朋美の同僚
客A(70)スナックの男性客
客B(48)同
救命医(29)救急隊に同行する男性医師
隊長(42)救急隊の隊長
女医師(34)救急診療部の医師
瞳の母(54)
患者A(80)男
妻(60)嶋田の同室者の妻
病棟医(45)男
看護師A(28)朋美の同僚、女
看護師B(27)同
看護師C(25)同
看護師D(26)同
家族(67)男


○江南大学慢性期医療センター・外観
東京湾近くの新築中規模病院。

○同・4階介護療養型病棟・廊下・中
オープンカウンターで廊下から中の様子がうかがえる。看護師たちが点滴の準備をしたりパソコンを睨んでいる。

○同・ナースステーション・中
ナースステーションの中ほどで点滴の準備をする浦野朋美(22)。廊下に立つ男性患者A(80)がナースステーションに近寄り、カウンターで作業をしている山崎千尋(38)に声をかける。
患者A「看護師さん。点滴まだかね?」
山崎「もう少し待ってくださいね。担当の看護師が伺いますので」
患者Aを見上げ、焦りの表情を浮かべる朋美。山崎、小声で朋美に言う。
山崎「慌てなくていいのよ」
朋美「はい。すみません」
患者Aがナースステーションに背を向け、ブツブツ文句を言いながら病室へ戻って行くのが朋美から見える。

○同・廊下
点滴を乗せたワゴンを押して歩く朋美。立ち止まってバインダーのメモを見る。408号から嶋田瞳(20)が出てくる。朋美を見つけて手を腰にあて、睨む。
瞳「看護師さん。いつになったら点滴始まるんですか? 点滴終わる前に経管栄養始まっちゃいますよ」
朋美「すみません。今やります」
瞳「今やる今やるって……」
朋美、急いで408号に入る。

○同・408号室・中
寝たきり男性の二人部屋。奥のベッドに太った大きな身体の嶋田猛(54)が仰向けで寝ている。ギョロッとした目を見開き、苦悶の表情を浮かべ、口で呼吸している。うめき声は出るが話すことが出来ない。嶋田、痰を絡ませて咳き込む。痰の量が多く、痰でうがいをするかの様な状況。その姿は一見すると、仰向けで溺れている様である。
朋美「……、点滴の前にサクション……」
と言いながら点滴を吊す朋美に向かい、瞳が次から次へと先回りして言う。
瞳「点滴の前に吸引してもらえますか?!」
朋美「あ、はい。すいません!」
瞳「あと、熱が出てきたんでまた冷やしてもらえます?」
朋美、吸引用のチューブを手にし、
朋美「はい。後でもってきます」
瞳「氷枕じゃダメですよ。父は脳梗塞なんで。わかってるかな~とは思うんですけど一応」
朋美「……あ、はい。すみません」
言われっぱなしで辛そうな表情の朋美。
嶋田の隣の寝たきり患者の付き添いの妻(60)が二人のやりとりを見て、朋美のことを気の毒そうに見ている。

○同・ナースステーション・中
朋美がワゴンを押して戻ってくると中で看護師たちがバタバタしている。心電図モニターの一つが警告音を鳴らす。山崎、警告音をボタンで消して言う。
山崎「中井先生は?」
看護師A(28)、酸素吸入器の加湿器に急いで滅菌蒸留水を注ぎ、セットしながら山崎の問いかけに答える。
看護師A「今ちょうど外来からあがってきて402号室に入っていきました」
また心電図モニターの警告音が鳴る。
山崎「ご家族には?」
看護師A「もう連絡してます。……そろそろ着く頃かと思います」
酸素マスクを持って足早に朋美の横を過ぎ、ナースステーションを出て行く看護師A。オドオド尋ねる朋美。
朋美「あの……、何かあったんですか?」
山崎「岩井さんが急変して……」
病棟医の男(45)が入ってくる。
病棟医「みたとこ今夜もたないかもね」
看護師B(27)・看護師C(25)・看護師D(26)がヒソヒソ話し出す。
看護師B「今日の夜勤、誰だっけ?」
看護師C「さっちゃん」
看護師D「さっちゃん、担ぎ屋だからね~」
山崎「中井先生、やっぱり心臓でしょうか?」
病棟医「いや、もう、全身でしょ? この人」
パソコンを見つめ、看護師Cが言う。
看護師C「先生、岩井さんのデータあがってま~す」
病棟医、看護師Cの背後からパソコン画面を覗き込んで、
病棟医「あ~こりゃひどいね。腎機高すぎ」
ついて行けずに突っ立ている朋美に向かって廊下から瞳が声を掛ける。
瞳「浦野さん! 父の点滴、落ちないんですけど、漏れてませんか?!」
朋美「え?! すみません! 今行きます」
走ってナーススーションを出る朋美。

○ 同・408号室・中
滴下が止まった輸液ルートの点滴筒。
嶋田の太い腕。点滴が刺さっている部位を確かめる朋美。それを冷たい目で見ている瞳。
朋美「少し腫れてるみたいなので抜きますね」
瞳「結局、夕の経管栄養、間に合わないですよね」
朋美「……すみません。ちょっと……先輩の看護師呼んできます」
瞳「早くそうしてください。もっと練習して上手くなってから来て下さい」
朋美「……。すみません」
朋美が申し訳なさそうな顔で病室を出て行こうとしたとき、経腸栄養剤入りの胃瘻のボトルを持つ大友文恵(54)が入ってくる。
大友「夕食の準備しますね~」
大友、隣の患者の天井にボトルを吊り下げながら瞳と朋美と嶋田を見る。
大友「あら? どうしたの?」
朋美「あの、点滴が漏れてしまって……」
大友「あら、まあ。じゃあ私がやってあげるから新しい針もってきてくれる?」
瞳「すみません大友さん。経管栄養で忙しいのに」
大友、嶋田の腕のテープを剥がして、
大友「そんなことないのよ~。あら、ほんと、少し腫れてるわね。嶋田さん大変申し訳御座いません。こんな痛い思いさせちゃって」
目を見開いているが反応のない嶋田。
居づらそうに見ている朋美。
瞳「よかった。大友さんみたいなベテラン看護師さんにやってもらえると父も安心すると思います」
大友「瞳さんは大学生よね? 毎日、学校終わってからお父さんのお世話しに来るなんて偉いわね~。お母様はお幾つなの?」
瞳「母は54です」
大友「嫌だ。私と同じ」
笑う大友。嬉しそうに大友を慕う瞳。俯いて病室を出て行く朋美。

○同・廊下
ナースステーションに向かって歩く瞳の背後に隣の患者の妻がいる。
妻「看護師さん」
気がついて振り返る朋美。
朋美に近づき、小声で話す妻。
妻「嶋田さんのお嬢さんの言うこと、あんまり気にしなくていいのよ」
朋美「(苦笑して)あ……、はい」
妻「あの子まだ働いたことなくて仕事の大変さを知らないで言ってるだけだから」
朋美の肩を叩いて笑顔を見せ、病室に戻って行く妻。悔しそうな顔でナースステーションへ早歩きで向かう朋美。

○同・ナースステーション・外
カウンター前に慌ただしい表情をした家族(67)がいる。
家族「岩井きぬの家族です。お世話になっております」
家族の横を朋美が早足で通り過ぎる。
朋美、出入口付近で病棟医とぶつかる。
朋美「きゃ! すみません!」
病棟医「なにやってるんだ!」
山崎、慌てて近寄り、
山崎「危ないじゃない? ちゃんと前を見て」
山崎の目を見て辛い感情があふれ出しそうになる朋美。こくんと頭を下げてナースステーションの奥へ歩いて行く。

○同・ナースステーション・中
引き出しから留置針を取り出し、溜め息を吐く朋美の疲れた顔。
山崎の声「すみません先生。大丈夫ですか? ご家族の方も申し訳御座いません」
家族の声「いえ、私は別に……。それより先生、うちの母はどんな具合ですか?」
俯いて呟く悲壮感に満ちた朋美。
朋美「まえを……見る………」
ナースステーションを見渡す朋美。
心電図モニターの警告音が鳴ったり止んだりする。
患者Aの声「看護師さん、検査まだ呼ばれないけどいつになったら呼ばれるんだ?!」
ナースコールが朋美の胸ポケットのPHSやそこら中から鳴り響く。

○海沿いの線路(夜)
明かりの灯った列車が走る。

○走る列車・中(夜)
窓辺に寄りかかる浮かない顔の朋美。

○安房鴨川駅・外観(夜)
出入りするまばらな客の中にイヤホンをし、俯いて出て来る朋美がいる。

○安房鴨川駅前ロータリー歩道(夜)
トボトボ歩く朋美。一台の停車中の車がクラクションを鳴らす。鳴らしたワゴン車の方へゆっくり歩いて行く朋美。

○軽ワゴン車・中(夜)
助手席のドアを開け、朋美が無言で乗り込む。朋美がチラリと視線を向けた先の運転席には浦野広道(54)がいる。
広道「朋美、お帰り。どした? 元気ないな」
朋美「別に」
スマホをいじっている朋美。
呆れ顔の広道。車が走り出す。

○鴨川市街地(夜)
朋美を乗せた軽ワゴン車が走る。広道がCDをかけて大声で演歌を歌っている。歌詞に『女の場数』と出て来る。
朋美「ねえ、女の場数ってなに?」
広道「そりゃあ~お前、あれだよ、あれ」
朋美「あれって?」
広道「女は男と恋をするたびにたくさんの場数を踏んで大人になるんだ」
朋美「なに妄想してんの?!」
広道「妄想じゃないよ。ぽん太への熱い想いを歌にしたんだ」
朋美「ぽん太はオスでしょ?」
広道「オスでもいいんだ! あいつはお前や陽子と違って俺に夢中なんだ!!」
呆れ顔でまたスマホをいじる朋美。

○山間の田舎道(夜)
田舎道を軽ワゴン車が走る。
田舎道を抜けると小さな港が見える。
○スナックぷーどる・店先・車道(夜)
一階建ての小さな古い店。行灯に明かりが灯る。朋美を乗せた車が店の前に停まる。広道よりも先に朋美が降りて店の中に入って行く。もたもた車に鍵をかけ、朋美を追いかけるように慌てて店に入って行く広道。

○スナックぷーどる・中(夜)
朋美がドアを開く。中では中高年男女3人がカウンター席で飲んでいる。
男の客A(70)が朋美を見て、
客A「お、白衣の天使のおでましだ」
丸山妙子(58)が立ち上がる。
丸山「うちの可愛い娘が帰ってきたわ」
丸山、朋美に駆け寄って抱きつく。
丸山「お帰り朋美~。なんだか都会の消毒薬の匂いがするよ」
朋美「ちょ……丸山さん暑い。また太った?」
丸山「太ってないわよ。変ね。これでもダンベル体操ダイエットで痩せたのよ」
カウンターに浦野陽子(50)が水割りを作りながら朋美と丸山を見ている。
陽子「ちょっと丸山さん。それ、うちの娘。お宅の息子はそこで酒飲んでる坊主頭の人」
酒を飲むつるっぱげの客Aを見て丸山、
丸山「私こんなじいさん生んだ覚えない」
客A「悪かったな、ジジイで!」
陽子「おかえり、朋美」
朋美、伏し目がちに元気なく、
朋美「ただいま……」
広道、店に入ってくるや否や、
広道「ションベン、ションベン」
股間を押さえてトイレに駆け込む。
男の客B(48)が広道を見ておもしろがって言う。
客B「ヒロさんもそろそろ朋美看護師さんにオムツ取り替えてもらわないとな~」
陽子「やめて頂戴よ。うちのお父さん、ただでさえすっとぼけてるんだから!」
笑い合う客と陽子。
店内には演歌歌手浦野広道の新曲『女の場数』のポスター。写真には一張羅を着た広道。ズボンのファスナーを上げながらトイレから出て来るボサッとした雰囲気の広道。
陽子「朋美、仕事は慣れたの? 看護師は夜勤もあって大変でしょう?」
朋美「うん、まあね……。ママ、なんか飲み物ある?」
陽子、厨房へ瓶ジュースを取りに行き、
陽子「あいよ」
栓を開け、朋美に渡す。
丸山「もう死にそうな患者さんの心臓マッサージとかしたの?!」
朋美「……別に看護師の仕事はそういうのばかりじゃないから……」
丸山「あらそうなの? じゃあ注射は? 血とか怖くない? わがままな患者さんいっぱいいるでしょう?」
朋美「……あの、あまり仕事の話はしたくないんで。どうせ私、看護師になりたくてなったわけじゃないし」
広道・陽子「……」
丸山「そんな……」
朋美「仕方なかったの。こんな不景気で就職難の時代に。大学行けない女が生きてく為には、看護師やるしか選択肢がなかったの」
しょんぼりする広道。気まずそうな客たち。冷たく朋美を観察している陽子。
客B「ってことは朋美ちゃんはでもしかナースなんだな~?」
『でもしか』の言葉にどきっと反応してますますしょんぼりする広道。
朋美「でもしかナース?」
客B「昔、でもしか先生っていう言葉があって、他にやりたい仕事がないから学校の先生にでもなるかとか、先生ぐらいしかなれないから先生になるか……みたいな仕方なく先生になった人がいたの」
朋美「……」
丸山「朋美はそんなんじゃないよ!」
客A「そうだ。朋美は昔から優しい子で、看護師さんになるべくしてなったんだ」
丸山「そうだよね? 朋美。きっと初めてのことばかりで疲れ切ってなんもかも嫌になっただけだよね? 鴨川で少しゆっくりして行きなさい。ね?」
一人でバツ悪そうに身をすくめて聞いている広道。広道をジロリと横目で見る陽子。陽子の視線に気づき、ビクッとする広道、慌てて場の雰囲気を変えるように明るく、
広道「陽子、俺のCDかけろ。今日は朋美に俺の新曲を歌って聞かせてやる」
朋美「さっき車の中で聞いたよ~」
面倒くさそうにCDを探す陽子。
広道「そうだ。心臓マッサージで思い出した。朋美、俺が元気なうちに言っとくから良く聞けよ。もし父ちゃんが死にそうになったら、あの苦しい管だけは絶対入れるなよ」
朋美「また延命治療の話?」
広道「そうそう、それだ。延命治療っていうやつ。口から管を入れて人工呼吸器みたいなので肺をバクバク膨らませるのだけはやめてくれよ。頼むからな」
客B「そう言ってても病院に連れて行かれたら嫌でもやられるんだよ、ヒロさん」
広道「もしものときは病院に連れて行かないで死ぬまでほっといてくれ」
客B「死にそうな人ほっとけって言われても」
客A「広道、何言ってんだ。お前はまだまだ先だろ?」
陽子、客Aの肩に手をやり、
陽子「そうよ、お父さん。順番から言ったらこっちが先なんだから」
一同、一斉に笑う。『女の場数』の前奏が始まる。ステージへ上がる広道。
丸山「朋美、大変だと思うけど、しっかり看護師さんのお仕事頑張って、何かあった時はお父さんとお母さんのことよろしくね」
客A「俺の面倒もな」
客B「じいさんはまず酒やめなきゃな」
笑い合う店内。浮かない顔の朋美。
気持ち良さそうに歌い出す広道。

○鴨川市の海辺(夜)
海沿いの護岸コンクリートから小さな集落が見える。穏やかな波の音。

○慢性期医療センター・外観(日替わり夜)
各フロア、病棟の明かりが見える。

○同・4階介護療養型病棟・中(夜)
朋美、山崎、大友が慌ただしく歩き回って働いている。ナースたちの胸ポケットのPHSが引っ切りなしに鳴る。朋美、ワゴンに血圧計などを乗せて病棟内を巡回している。

○同・408号室・中(夜)
ベッド頭側をギャッジアップして頭を起こした格好の嶋田。嶋田の脇の下から体温計を取り出す朋美。
朋美「嶋田さん、熱、下がりましたよ。よかった」
ニッコリ微笑みかける朋美。苦しげな嶋田の表情も若干、和らいでいる。
吊された栄養ボトルを見上げて朋美、
朋美「お食事終わったばかりなのでもう少しこのまま座っててくださいね」
反応のない嶋田。目だけギョロッと朋美を見る。

○同・408号室・出入口・外(夜)
朋美が408号室からワゴンを押しながら出て来る。余裕なくメモ書きを見ながら出て来るので廊下を歩く患者とぶつかりそうになる。
朋美「あ、すみません!」
朋美が見えなくなったと同時に大友がワゴンを押して408号室に入る。

○同・408号室・中(夜)
嶋田のベッドの天井に胃瘻のボトルがさげられ、チューブが腹部に繋がれている。大友は空になったボトルとチューブを外し、接続部から大きな注射器で水を注入し、嶋田の病衣を整える。
大友の胸ポケットのPHSが鳴り響く。
大友「どうしました? 痛くて眠れないの? はーい。今行きま~す」
大友、嶋田の頭部を下げてベッドをフラットの状態にし、部屋を出て行く。

○ナースステーション・中(夜)
朋美と山崎、電子カルテを見ている。
山崎「この方は不眠時の約束指示があるから」
朋美「あ、はい。これですね?」
山崎「うん。必ずここを見て、指示が出ていれば頓用から使ってください」
朋美「はい。わかりました」
朋美、メモを取る。
山崎「……、少しは仕事に慣れた?」
朋美「いえ、全然まだまだダメです」
山崎、微笑んで、
山崎「自己評価低すぎないかな? 浦野さんはちゃんと出来てるよ。もっと自信持っていいと思うよ」
朋美「あ、はい。でも……私、でもしかナースなんで……」
山崎「でもしか? ナース?」
朋美「看護師になりたくてなったわけじゃないんで」
山崎、声に出して笑う。
山崎「みんなそうよ」
朋美「え?」
山崎「みんなではないけど、お給料がいいから看護師になった人なんてごまんといる」
朋美「え? そうなんですか?」
山崎「私もそうよ」
朋美「え! 山崎さんが? でも山崎さん仕事バリバリこなしてるし、てっきり看護師が好きでやってるんだと思った」
山崎「嫌いじゃないけど、看護師しかやってないから看護師しかできないもの」
朋美「看護師しか……。でも、しか……」
山崎「でもしかでもいいじゃない」
微笑む山崎を見て安堵する朋美。
大友の声「ちょっと誰か来てー!!」
病棟内に響き渡る悲鳴のような声。
驚いてナースステーションを飛び出す山崎と朋美。

○408号室・外の廊下(夜)
大友が408号室から飛び出し、ナースステーションに向かって走ってくる。
大友「アンビュー!」
408号室に向かう山崎と朋美。
山崎「どうしたの?!」
大友「嶋田さん、呼吸止まってるのよ!」
山崎「え!」
408号室に入る山崎と朋美。

○408号室・中(夜)
病室に入ってくる山崎と朋美。
仰向けで目を見開き白目を剥く嶋田。
口と鼻から経腸栄養剤を嘔吐している。
青ざめて固まる朋美。
山崎「誤嚥してる……」
すぐに吸引器を作動させ、嶋田の鼻腔から吸引を始める山崎。
山崎「浦野さん、脈みて!」
すぐに頸動脈を触る朋美。上手く捉えられず、場所を変えて首を触っている。
朋美「触れません。ど、どこかわかりません」
山崎「ステート!」
朋美「あ、はい!」
聴診器を胸にあてて聴いている朋美。
朋美「山崎さんすみません、私じゃわかりません!」
大友、アンビューバッグ片手に戻って来るが手を出せずにあたふたしている。
山崎「大友さん、浦野さんの代わりに心臓動いてるかみて頂戴!」
大友「あ……」
慌てて朋美の聴診器を奪い、胸の音を聴く大友。
大友「……聞こえないかも知れない」
山崎「聞こえないなら心マ!」
大慌てで心臓マッサージをする大友。
山崎「びっしり気道に詰まってる」
苦しげな顔で必死に吸引を続ける山崎。
後ずさりする朋美。手が震えている。
山崎「浦野さん、ドクターコール! 当直の先生呼んで! あと家族にも!」
朋美「…………、はい! わかりました!」
大急ぎで病室を出て行く朋美。
山崎の声「嶋田さん!」
ベッドからずり落ちた嶋田の腕。
心臓マッサージを受け、上下に揺れる。

○同・ナースステーション前・廊下(深夜)
病棟は静まり消灯し、ナースステーションだけ明るい。
喪服に身を包んだ男二人が白い布の掛かったストレッチャーを押して病棟の外に運んで行く。両手に退院荷物を持った瞳の母(54)と瞳がカウンター近くに立ち、泣きはらした顔で病棟医と山崎にお辞儀をしている。
瞳の母「大変お世話になりました」
ただ黙って礼をする病棟医と山崎。

○同・ナースステーション・中(深夜)
憔悴しきった顔でデスクについてボーッと俯いている朋美。涙を浮かべた瞳が朋美を見つめながらナースステーションの中にフラフラ入ってくる。
瞳の母「瞳……」
瞳に気がついて顔を上げる朋美。
瞳「浦野さん、今まで本当にありがとうございました」
驚く朋美の両手を握る瞳。
瞳「これからも頑張ってください」
朋美、込み上げそうになる辛さを堪えるかのように真っ赤な顔になる。

○同・ナースステーション・外(深夜)
病棟入口の自動扉を手動で開ける大友。ストレッチャーの後について病棟を出て行く瞳と母の後ろ姿。小さくなる。

○同・職員玄関・外(翌朝)
眩しい日差し。
大友の声「それじゃあ、お先に……」
山崎と朋美の声「お疲れ様でした」
大友が先に玄関から出て来て一人で行ってしまう。少し遅れて山崎と朋美が出て来る。トボトボ歩く山崎と朋美。
山崎「大丈夫?」
朋美「あ……、はい……」
山崎「浦野さんは自分の夜勤で患者さん亡くなったのって初めてだっけ?」
朋美「はい。あの、本当にすみません。何もできなくて。本当に私、ダメな看護師です」
山崎「どうして? そんなことないじゃない。娘さんもお礼を言ってたじゃない」
首を横に振り、俯いたまま落ち込む朋美。心配そうに朋美を見ている山崎。
山崎「とにかく今日はゆっくり休んでね」
朋美「……はい。ありがとうございます」
山崎「……」
山崎の目を見ない朋美。覇気がない。

○朋美のアパートの部屋・中
カーテンが外の日光を遮り、薄暗い。物や衣類で散らかっている。リュックサックに荷物を詰めている朋美。

○JR品川駅中央改札・外
時計台の近くでスマホを見ている朋美。
朋美のスマホ画面にはリゾートバイトの求人サイト。沖縄や離島の住み込みバイトを紹介している。
朋美のスマホに電話がかかってくる。
朋美「今、品川駅です。はい。大丈夫です。面接終わったらすぐにでも沖縄に行けます」
通話を終えるとすぐに電話がかかってくる。朋美のスマホ画面に『看護部直通』からの着信が表示されている。
電話に出る朋美。雑踏にかき消され、途切れ途切れの朋美の声。
朋美「部長、すみません。どうしても私、病院辞めたいんです。ほんと突然ですみません。……あの、そうじゃなくて、看護師を辞めたいんです。辞めさせてください」
瞬きの度に涙を零す朋美。高崎線で人身事故のアナウンスが聞こえる。改札内の電光掲示板に遅延の文字が流れる。
○品川駅ホーム
山手線に列車が入ってくる。電車が巻き起こす風に吹かれる沢山の利用客。

○JR品川駅中央改札・外
涙を流す朋美の哀れな横顔。
朋美「私、何をやってもダメなんです。看護師やって行ける自信がないんです」
風が通り抜け、朋美の髪の毛が流れる。
朋美のスマホ画面に割り込みの着信で『お父さん』と表示される。スマホをスライドさせて怒り出す朋美。
朋美「何? 今、忙しいの! お父さんお願いだから電話かけて来ないでよ!」
電話の広道の声「お前、今、どこにいる?」

○朋美の実家・一階の居間・中
古い民家。広道、立って家の電話の受話器を持つ。静かな声で広道、
広道「母さんが骨折って大変だから店手伝いに来てくれよ」

○JR品川駅中央改札・外
イライラした様子の朋美。
朋美「今から出かけるの。私、忙しいのよ!」

○朋美の実家・一階の居間・中
電話近くの写真立てには朋美の載帽式の写真。それを見つめて広道、
広道「お前の勤め先から電話がきたんだぞ。お前、本当に看護師さん、辞めたいのか?」

○JR品川駅中央改札・外
黙って電話を聞いている朋美。
電話の広道の声「師長さん、仕事休ませてくれるって言ってるから、まずは鴨川に戻って来い」
手で涙を拭きながら泣きじゃくる朋美。
電話の広道の声「朋美。心配してるんだぞ。早く帰って来い」
○朋美の実家・一階の居間・中
ビニールのゴザの上にちゃぶ台があって、扇風機とうちわで涼を取る広道があぐらをかいている。近くに朋美が膝を抱えて座っている。朋美の隣にはリュックサック。リュックサックの匂いを嗅ぐ飼い犬。
広道「看護師さんの仕事が怖いんだったら父ちゃんを練習台にすればいいだろ?」
朋美「そういう問題じゃ……」
広道「父ちゃんもな、初めてのど自慢に出た時は怖くて怖くて震えたもんだ。でもな、ステージだって場数を踏んで行くうちに、怖いのはねつけられるんだぞ」
朋美「お父さんは働かないで好きなことやってるだけでしょう?! 自称売れない演歌歌手のクセに!」
広道「(ムッとして)売れないは余計だ! 俺だって毎晩、店で働いてるんだ」
朋美「あれはママのお手伝いでしょう?」
口をとがらせ、飼い犬の頭を撫でる広道。居間を出て行こうとする朋美。
広道「あ、朋美。俺、先に行くから母さんは来なくていいって言っといてくれな」
朋美、振り返り、
朋美「私は? 私も手伝わなきゃダメなの?」
広道「飲み屋は接客する女がいなきゃ意味ないんだよ。お前みたいなガキんちょでもな」
朋美「場数踏んでなくてスイマセンね。オバサンの場数ですけど」
勝ち誇った顔の広道。生意気顔の朋美。

○同・二階・寝室・中
左腕にギプスをした陽子が入口に背を向けている。ブラジャーを着けられずにいる。後ろから近づき手伝う朋美。
陽子「あら、朋美。帰ってきてたの?」
朋美「……うん。……まあ」
陽子「おかえり」
朋美「……ただいま」
服を着て振り返り、深呼吸をする陽子。
陽子「やっとこさ着替えられたよ」
朋美「何で折ったの?」
陽子「ダンベル」
朋美「ダンベル?!」
床に散らばる『ダンベル体操で痩せるダイエット』の本。朋美の呆れ顔。
陽子「カラオケのマイクより重い物もったことないんでねぇ」
朋美「女性は年を取ると骨粗鬆症になりやすいんだから気をつけないと」
陽子、朋美の話も聞かずベランダに出て洗濯物を片付けようとする。
朋美「都合悪いとすぐそうやって無視する」
陽子「あんた看護師さん辞めたいんだって?」
朋美「……」
情けない顔の朋美。振り返り微笑みを浮かべて朋美を眺める陽子。

○同・二階・寝室・ベランダ
乾いた洗濯物を物干し竿から取る朋美。窓辺に腰掛け、朋美が取った洗濯物をたたむ陽子。
陽子「あんたもお父さんとおんなじだねぇ」
朋美「え?」
陽子「あんたのお父さんはでもしか先生だったのよ」
朋美「え? そうなの?」
陽子「先生なんてやりたくないけど他にやれることないから教師にでもなるかとか言って小学校の先生になったの。お父さんが学生のときはでもしか先生の時代と違って簡単に教員になれる時代じゃなかったのよ。努力して教員免許取ったっていうのに……」
朋美「いうのに?」
陽子「すぐ辞めちゃって……」
朋美「演歌歌手?」
寝室に貼られた浦野広道『女の場数』のポスター。怒った顔で頷く陽子。
苦笑して笑い出す朋美。
陽子「ずっと自分に自信がない人でねぇ。教育ママのお婆ちゃんに過保護に育てられて、周りからは甘やかされて育った何も出来ないお坊ちゃんとバカにされて、自分で自分のことダメな人間だとバカにして、自分を責めてるのよ」
朋美「……」
下の階で犬が吠え始める。
寝室の中の階段の方向を眺める陽子。
陽子「お客さんかしら?」
朋美「ママはなんでそんな自信のない人と結婚したの?」
陽子「優しくて不器用でいつも損してばかりで鈍くさい人で、なんかほっとけなくて」
朋美、情けない顔で笑い飛ばす。陽子、立ち上がり、窓辺から階段へ向かう。

○同・一階の居間・中
階段を降りてくる陽子と朋美。
犬が吠えながら陽子に駆け寄る。陽子と朋美の視線の先には、気を失って倒れている広道の姿。
首から頭部にかけて強い力で突っ張るように後屈しているような格好で床に仰向けで寝転がっている異様な状態。
陽子「お父さん?!」
朋美「お父さん!」
広道に駆け寄る朋美。ふらふら立ったまま動けない陽子。気が動転している。
懸命に広道の頸動脈に触れようとする朋美。顔を広道の鼻と口に近づけ胸の上下を見て呼吸の有無を確認している。
朋美「お父さん息してない! ママ、救急車呼んで、早く!」
ビクッと気がついて電話で救急車を呼びに行く陽子。
陽子「救急車お願いします! 主人が……」
朋美「え~と、どうするんだっけ? え~と」
朋美、広道から離れ、考え事をするようにウロウロキョロキョロ何かを探し、
朋美「ちょっと貸して、ごめん」
陽子が持つ受話器を奪い取る朋美。
朋美「私、看護師なんですけど、うちの父、なんかアポッたような感じがして、呼吸してないんですよ!」
電話の消防士の声「看護師さんなのは患者さんの娘さんですか?」
朋美「はい! そうです」
電話の消防士の声「わかりました。今、ドクターカーが向かいましたので、到着するまで心肺蘇生法を続けてください」
朋美「わかりました!」
広道に駆け寄り、口対口で人工呼吸を行い、心臓マッサージを始める朋美。
朋美「お父さん! お父さん!!」
意識なく、目を半開きのままにさせ、ぐったり仰向けで倒れたままの広道。
口を押さえて広道と朋美の様子を見ている陽子。口元とギプスをしていない方の手が震えている。
朋美の呼吸が荒くなる。体力限界なほどハアハア言いながら心肺蘇生法を一人で続けている。
朋美「ママ、声、声、お父さんに声かけて!」
顔を歪め、必死で心肺蘇生を行う朋美。
朋美「お願い……戻ってよ。戻って来て!」
朋美の息、絶え絶え。
×   ×   ×
遠くから救急車のサイレンが近づいてすぐ近くで止まる。
陽子「きた……」
ふらふら家から出て行く陽子。
朋美「あともうちょっと。お父さん頑張って」
陽子を先頭に救命医を含む救急隊3人がストレッチャーを押して入って来る。
朋美「お願いします!」
広道の胸に素早くAEDのパッドを装着する隊長(42)と救命医(29)。すぐ近くで見守る朋美。
AEDの機械の声「体に触らないで下さい。心電図を調べています」
一斉に広道から手を離す隊員たち。
AEDの機械の声「電気ショックの必要はありません」
AEDのパネル。心拍数は20前後を示している。
隊長「ハートレート20」
救命医「自発呼吸なし」
すぐにアンビューバッグで人工呼吸を始めながらストレッチャーに広道を乗せ、外へ運ぶ隊員たち。

○同・玄関・外
近所の住民が集まって見ている。
救急車に広道を乗せ、隊長が言う。
隊長「ご家族どなたかお一人しか乗れません」
朋美、陽子を見る。陽子の動転した顔と片腕のギプス。
朋美「私が乗ります。ママ、私乗っていい?」
陽子、頷き、
陽子「お父さんのこと……よろしく」
朋美「ママはタクシーで後を追いかけてきて」
頷き合って、隊員たちが誘導するまま救急車の助手席に飛び乗る朋美。
ドアが閉められた救急車を見つめながら棒立ちの陽子。近くで見ていた丸山が咄嗟に肩を抱く。
隣人「陽子さん! 大丈夫? しっかりして」
救急車はサイレンを鳴らして走り出す。

○走る救急車・中
助手席に朋美がいて、後ろを振り返る。後にはストレッチャー上の広道。アンビューバッグでの人工呼吸は続けられている。心電図モニターが着けられ、救命医によって点滴が始まる。
朋美「どうしよう……。信じられない」
独り言をつぶやく朋美。
心肺蘇生にあたる救命医、
救命医「やはり自発呼吸が見られませんので挿管しますね」
朋美、助手席から振り返り、
朋美「はい、お願いします」
救命医の手には気管チューブと喉頭鏡。

○フラッシュ
スナックぷーどる。呼び止める広道。

○走る救急車・中
ふと、思い出したように目を見開く朋美。広道の土色の顔。朋美、振り返り、
朋美「あの、うちの父、生前から苦しい管だけは絶対入れるなよって言ってたんで、やっぱり入れなくていいです」
驚いた顔で間髪入れず救命医、
救命医「入れなければ死にますよ。いいんですか?」
動揺する朋美。
朋美「そうですよね。そうなんですよね。わかってるんですけど……ちょっと待ってください。すぐ考えますから」
シーンとした車内。サイレンの音だけ。
ただ黙って待っている救命医と隊員達。
携帯電話をかけるがすぐに切る朋美。
朋美「ダメだ。ママ出ない」
朋美、頭を抱えて考える。
朋美「管を入れなければ死ぬ。私がお父さんを死なせる……」

○フラッシュ
スナックぷーどるで語る笑顔の広道。
広道「朋美、良く聞けよ。万が一、父ちゃんが死にそうになったときは、あの苦し~管だけは絶対入れるなよ。頼むからな」

○走る救急車・中
考える朋美、ややして意を決し、
朋美「やっぱりいいです。私、一人っ子でどのみち私しかいないんで。母も決められないと思うし父は苦しいのだけは絶対嫌だって言ってました。私が責任取るのでいいです。管はやっぱり、入れないでください」
顔を見合わせる緊迫した顔の隊員たち。

○病院・救命センター・救急外来入口・外
千葉県内の大規模病院の救命センター。
救急車からストレッチャーで運ばれる広道、救急外来入口を通過して中に入る。広道の後を追って女医師(34)と朋美が話をしながら中に入る。
女医師「基礎疾患はありますか?」
朋美「特にないと思うのですが父は会社員じゃないので健診とか受けてないからわかりません。でも、延命措置は要りませんので」
女医師「ええ、聞いてます。まずは中で」

○同・ICU・中
広道を囲み、広道の服をハサミで切り裂き、血圧計や心電図モニターをつけるスタッフたち。
救命医「娘さんが看護師さんで、このまま看取りでいいって言ってますが、お一人で決断したようなので……」
女医師「ええ、念のため意思を確認します」
救命医「よろしくお願いします」

○同・ICU・外・廊下
不安そうな顔の朋美が長いすに座り携帯電話をかけている。
朋美「ママ出ない。何やってるの?」
ICUから女医師が出て来る。朋美の目線まで腰を落として話しかける。
女医師「医師の萩原です。浦野さんですがその後、やはり自発呼吸はなく、まだ心臓は微弱ながら動いている状態ではあります」
朋美「心拍数はどのくらいですか?」
女医師「20前後です。このまま行けばあと15分以内にはお亡くなりになられると思いますが、本当に気管挿管は行わなくてよろしいでしょうか?」
朋美、スッキリした様子で、
朋美「やらなくていいです。父の意思なので」
女医師「看護師さんということでお分かりかと思いますが私たちも仕事ですので念のため確認しております。本当によろしいでしょうか? あまりないケースなので」
朋美「え? あまりないんですか?」
女医師「ええ。患者様はまだお若いですし突然ですし、まずは延命治療を行い、ご家族様が集まって後悔がないよう話し合いをされた後、管を抜くか、そのままご入院ということが通常よくあるパターンですので」
泣きそうな顔で考える朋美。ややして、
朋美「いえ、それでもしなくていいです。うちはお祖父ちゃんお祖母ちゃん死んでいませんし、母は何故か病院に来ないし電話も繋がりませんが、母も苦しいことはしないで欲しいと言うと思いますし、何より本人の為にもしないで下さい。ずっと前から父はことあるごとに延命治療を嫌がっていたんです」
女医師「わかりました。それでは最後まで出来る範囲で全力を尽くさせて頂きます」
ICUに戻って行く女医師。
手で口を覆い、身を細め、一人ぼっちでぽつんと長いすに座る朋美。ふと窓の外を仰ぎ見る。青い空に揺れる枝。
朋美「これでいいのかな? お父さん、これでいいのかな? いいんだよね? ママ、事故にでも遭ったの? 早く来てよ……」

○(回想)江南大学慢性期医療センター・中
寝たきりの嶋田。目を見開き、苦悶の表情を浮かべ、口で呼吸している。看護師が嶋田に吸引している。

○(回想)スナックぷーどる・中(夜)
ステージで『女の場数』を歌うご機嫌な広道。陽子や客たちの笑顔。

○(回想)朋美の実家・居間・中
広道の心臓マッサージと人工呼吸を行う朋美。呆然と祈るように見守る陽子。

○元の病院・ICU・外・廊下
窓の外を見ている朋美。
木に止まる鳥の群れが一斉に飛び立つ。
朋美、ふと視線をICUの扉に移す。
扉が開いて女医師が出て来る。
女医師「浦野さんですが、たった今、お亡くなりになられました。ご臨終のお立ち会いお願いします。どうぞ中へお入りください」
ハッとした顔で立ち上がる朋美。

○同・ICU・中
7名の医療スタッフが取り囲むベッドの上に死亡した広道が眠っている。それに少しずつ近づく朋美。広道の胸に聴診器を当てる女医師。
女医師「この通り心電図も反応がなく心臓の音も聞こえません。14時13分、ご臨終です」
一斉にお辞儀をする医療スタッフ。
女医師「ご自宅で突然発症されましたので、この後、検死を行わせていただきます。ご了承ください」
朋美、広道の胸に額をつけて、
朋美「ありがとう。お父さん、ありがとう!」
広道の死に顔は穏やかである。
朋美の表情から悲しみが溢れ出す。

○同・ ICU・外・廊下
長いすに座る朋美。丸山に付き添われ、陽子がやって来る。
丸山「朋美、ヒロちゃんは?!」
朋美「死んだ。さっき。14時13分」
表情が固まる陽子。
丸山「嘘でしょう! 嘘よ! どうしよう!」
朋美「今検死してるからお父さんに会えない」
陽子「すぐに救急車きてくれてこんな大きな病院で診てもらってたのにダメだったの?」
朋美「うん。あの後もお父さん、呼吸が止まったままで。お父さん呼吸の管入れるの嫌だって言ってたから断った」
陽子「断ったの……? 管、入れてたら助かってたかも知れないの?」
朋美「わかんない。助かったとしても元のように生活できなかったかも知れない。入院して2~3日もった後に死んでたかも知れない。わからない」
陽子・丸山「……」
陽子、ショックな顔から平気な顔をし、
陽子「仕方ないよ。死んだものは仕方ない。お父さん、死にそうなときは病院連れて行かないでほっとけって言ってたからね。それでいいの。うん。それでいい」
丸山「そうだけど……」
陽子「検死終わる前に葬儀屋さん探さなきゃね」
陽子、目を泳がせて喋っている。
陽子「ちょっとどっか行って電話かけてくるね。先にお父さんの親族にも知らせなきゃ」
朋美たちに背を向けて歩き出す陽子。
丸山「陽子さん……」
朋美「ママ……」
薄暗い廊下をヨロヨロ歩く陽子の背中。
まだ興奮気味の朋美。

○スナックぷーどる・玄関ドア・外(夜)
『喪中にて休業』の貼り紙。

○スナックぷーどる・中(夜)
喪服の朋美がカウンターに座っている。喪服の陽子が厨房から生ビールを持って出て来る。カウンターでビールを飲む陽子。
陽子「お父さん、くも膜下出血だなんてお婆ちゃんと同じ病気で死ぬのね……マザコン」
朋美「お父さんのことバカにしない」
陽子「ファザコンのぽん太が心配」
飼い犬が朋美の足もとに伏せている。
陽子、餌の皿を置き、犬に向かって、
陽子「お前、頭痛くない? 大丈夫?」
朋美、恐る恐る、
朋美「あのときママどうして病院になかなか来なかったの? 電話にも出なかったし」
陽子、顔を上げず、犬を撫でながら、
陽子「植木鉢に水をやって、ぽん太のご飯の準備をして、お父さんの入院の準備をしてたの。帰ってきたらぽん太が死んでたら困るでしょう? ママ、こんなギプスして片手であれこれやってたから、携帯電話が鳴ってるのも気づかなかった」
朋美「……」
陽子「死ぬ時は死ぬんだから今さら言っても」
朋美「現実が怖くて逃げたかったの?」
陽子「あんたじゃあるまいし! 看護師のクセに死にそうな患者の相手するのが怖いとか言ってるあんたと一緒にしないでよ!」
朋美「看護師だって初めは人だよ。ママとおんなじ人間だよ」
陽子「ママだって人間だよ。あんたとおんなじ単なる女だ。長年連れ添ったお父さんがあんなことになったら訳わからなくなる」
朋美「……ごめん」
陽子「……ママもごめん。もういいじゃない。あんたが気にすることじゃない」
×   ×   ×
厨房で生ビールを注ぎ、広道の遺影の前に置く陽子。
陽子「お父さん、死んじゃったね」
朋美「……うん」
陽子「お父さん、今頃天国で何やってるかな」
朋美「演歌でも歌ってるんじゃない?」
陽子「天国行ってもでもしか演歌歌手?」
苦笑し合う二人。
陽子「あんたはどうするの? 看護師辞めてやることあるの?」
朋美「私さっき看護部長や師長さんに電話で謝ってまた働かせてもらうことにしたの。あの日の欠勤はそのまま忌引きになったし」
陽子「こんな辛いときにもう立ち直ったの?」
朋美、急にうるっと涙声になる。
朋美「……お父さんのことはまだ辛いよ。でも、お父さんをこの手で最後まで看取ったおかげで、少しだけ自分に自信がもてるようになった気がする……」
泣き出す朋美。そっと朋美の頭や身体を撫で、自分の胸に引き寄せる陽子。
陽子も鼻をすすって泣いている。
広道が一張羅を着て堂々と写っている『女の場数』のポスター。
陽子「朋美も女の場数を踏んだんだね。あ、ナースの場数か」
陽子と朋美、見つめ合って笑う。
遺影の中の笑顔の広道とビールの気泡。
陽子の声「朋美、これからも頑張りなさい」
カウンターチェアでくつろぐ飼い犬。

○江南大学慢性期医療センター・病棟・中
ワゴンを押して慌ただしくナースステーションから出て来る白衣の朋美。山崎が呼び止める。
山崎「浦野さ~ん。また一人で全部抱え込もうとしてる。みんなに仕事分けて頂戴」
朋美「山崎さん、心配おかけしてすみません」
山崎「そうよ。心配してるんだけどそろそろ浦野さんは心配いらないので来月から一人立ちしてもらおうかと師長と話してたとこ」
朋美「え! ついに一人立ちですか?!」
微笑む山崎。嬉しそうに照れる朋美。
患者Aの声「看護師さん。点滴まだかね?」
患者A、近くでムスッと立っている。
朋美「鈴木さん、点滴はおとといからもうやらなくて良くなったようですよ」
患者A「そうだったかな? 変だな……」
朋美「すみませ~ん」
患者A「すみませんは言わなくていい!」
朋美「すみません!」
朋美と患者Aのやり取りを見て微笑んでいる山崎と病棟スタッフたち。(終)

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