見出し画像

精神の入れ子構造 芦田愛菜の変貌

入れ子構造とは、同じものが階層化された構造になっているものを言います。わかりやすい例として、ロシアの民芸品のマトリョーシカ人形があります。

画像1
マトリョーシカ人形(ロシアの民芸品)

画像のように、日本のこけしのような人形が、胴体のところで上下に分かれていて、その胴体を開けると、中からもうひとまわり小さな人形が、次々出てくる仕組みになっています。

情報処理の観点からみると、マトリョーシカ人形の外側の大きい人形は、中にある小さな人形の情報を含んでいて、より包括的な存在と言えます。個々の具体的な情報を包括的に捉えると言うことは、個々の事物の本質・共通の属性を引き出して行き、最後は、一般的な概念(抽象概念)として、捉えることになります。

入れ子構造は、いくらでも階層を増やすことができるので、高度な情報処理システムを構成することができます。自然界では、進化的に最も新しい、哺乳類の大脳皮質に認められています。とりわけヒトの大脳皮質では、多段階の階層が発達しています。下位の階層は一次感覚野・一次運動野であり、個々の具体的な感覚が処理され、また、要素的な運動がプログラムされます。最も多段階に情報の処理が進んだ最上位の階層は、前頭葉の前頭前野であり、概念的・抽象的な思考が行われます。

人の社会にも、同じ構造が規模を変えて何度も出現する入れ子構造が認められます。例えば、集団の意思決定をする政治の仕組みは、市町村議会があり、その上に都道府県議会があり、またその上に国会があります。階層が高度なほど、下位の階層を包括し、情報は抽象化、一般化されます。ですから、市町村議会では、住民の生活に密着した具体的なサービスが話し合われ、国会では外交や防衛などの国家の長期ビジョンについて話し合われるなどします。

入れ子構造をもった情報処理システムである人の精神は、どのように現象するのか?過日、NHKの教養番組「スイッチ・インタビュー」で放映された、芦田愛菜と糸井重里の対談が参考になります。

3歳から子役で芸能界にデビューした芦田愛菜は、現在14歳となり、聰明な少女へと変貌しました。その芦田愛菜の話す言葉の特徴は、間接話法であることです。

彼女は、自分の母親のことを、改まった対談の場では、普段、家庭で呼んでいる、うちの「お母さん」、ではなく、うちの「母」、と変化させて、抽象的な名称で呼びます。

過去の自分の体験を話すときは、過去の自分の映像を想起して、それを対象化して、話しているのが仕草で判ります。私たちがイメージを観るときは、イメージが眼前の空間に実在しているかのようにして、その方向と距離に一致させて視線を向けます。幼少期の自分を思い出して話しているときの芦田愛菜は、右斜め前にいる糸井重里から視線を外して、左前1mのところに涼しげな眼差しを向けていましたので、収録の現場から独立した世界にイメージを見ているのが判ります。

オーディションに落ちた時の体験は、「くやしかった!」という直接話法ではなくて、「そのドラマを見て、出れたかもしれない、という思いで、泣いてたりした」と、自分を対象化して描写した内容を記述していました。

つまり、彼女の中の「幼少期の体験の人形」を包み込む、「ひとまわり大きな人形」が形成されているのです。そうして、客観的に自分を対象化して見ることができるようになると、過去の体験を想起して、様々に別の解釈ができ、さらに、本で読んだ他者の経験なども付け加え、解釈を深めることで、一連の体験を多くの他者にも役立つ知識にできます。それは、自分のみならず、他者の生き方を変えたり、助けたりするでしょう。

コピーライターの糸井重里は、言葉を扱う達人です。代表作のひとつは、1980年代に発表されたキャッチ・コピー「おいしい生活」です。慣用的な表現だと、生活は、豊かだったり、貧しかったり、あるいは、おもしろかったり、つまらなかったり、するわけです。言葉は、現実の事物そのものではなく、それらを概念化した記号なので、現実を離れて、自由に操作・結合することができます。いわゆる「言葉遊び」が可能になります。そうして創造的な表現が生み出され、その言語表現によって新たな体験(おいしいという身体感覚)が生み出され、現実が変化します。その変化は、言葉の一般性によって、社会全体に波及する力があります。

70歳の糸井重里は、そんな言葉の世界の極みへと、56歳年下の芦田愛菜を誘っていました。芦田愛菜には、それを受け取るのに相応しい精神があります。

(2019年4月14日)

 

 

 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?