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おとなになるとは

大人になるってどういうことなんだろう、と思いました。

タイトルなしの編集中の記事を開くと、こんな書き出しが残っていたので、続きを書くことにする。

大人になるってどういうことなんだろうね。最近ちょっと理不尽な目にあって、怒り狂って、悲しんで、という感情の動きがあったんだけど、友人の支えを受けながら、対処したことで少し成長できた気がする。

小学校高学年とか中学生くらいのときの自分は、勉強がそこそこできて、いわゆる“優等生キャラ”だった。

優等生だと言われることは嫌ではなかったけれど、いつからか“優等生”を演じるようになってしまった気もしていて、例えば、授業中に初歩的なことを質問するとみんなに笑われて、バカだと思われるかもしれないから、ちょっと違う角度で質問してみようとか、急なお願いをされても「頼られてる!」と思って何でも引き受けてしまう、とか。

年上の人の言うことを聞いたり、友達のお願いを聞いたり、叶えたりしてあげることが「いい人」なんだ、と思っていた。そんな「いい人」でいようと思った。
宿題見せて〜と言ってくる友達に、いいよ〜って言って見せながら、でもこれってこの人のためにはならないよなぁ、まあいっか、ダメって言って嫌われるの嫌だし。なんて考えていた。

いい人、とは。

そんないい人をやってるうちに、私は「断り方」とか「相手に伝わる怒り方」みたいなのが苦手な人になってしまった。断ったらどうなるかがわからないから、黙って進めてしまうとか、怒ってもそれが怒ってるように伝わらないから、怒るのを諦めたり、自分の怒りの正当性がわからなくなったりした。
あるときの恋愛では、断れなさとか怒れなさが理由で、相手のいいように利用されてただけだったんだな、と別れてから(厳密に言うと自分から別れようと決断したとき)気づいた。

今回あった理不尽な内容は詳しくは書けないけれど、簡単に言うと、私の人生を大きく左右する選択で、チャレンジや勇気を伴う決断をしたにも関わらず、全く違う条件を後出しされた、という感じだろうか。

詳しく書けないのでうまく伝わるかわからないけれど、1位を取るために勇気を持ってチャレンジして「おめでとうございます!」と言われて喜んでいたら「あなたは2位です」と言われるような感じ。
「おしい!けど2位でした。がんばりました!」って言われたかった。

例え話では伝わらないかもしれない。とにかく、私はがんばったし、期待していただけあって、後出しされたことに怒り狂ってしまった。

その話を友人にすると、友人も「ひどい」と怒ってくれて、自分の怒りが正当なものであることにホッとした。怒りや悲しみに満ちていた心に晴れ間がさした感じだった。そして私はこの理不尽な状況に立ち向かうことにした。今までなら「いい人」をやって、何も言わずに運命を引き受け、相手の都合のいいように流されていたと思う。

けど今回ばかりは、怒らなきゃと思った。自分のために。誰かに利用されてばかりいてはいけない、これ以上自分の「声」を押し殺してはいけない。
結果は覆ることはなかったけれど、相手に怒りを表現できたことは自分にとって良かったことだと思う。相手が怒りを正しく受け取ってくれたかどうかはまた別問題だけど、何も言わずに従うのと、こちらの意見を言った上で従うのとは違う。

生殺与奪の権利を他人に握らせるな、というマンガ(アニメ)のセリフを思い出した。大事な権利を他人に握られたままにしてはいけない。自分で掴みに行くことが大事なんだと思う。

そうそう、あるときの恋愛でも「あなたに権利を与えたら」という言葉を言われて、ハッとしたんだった。この人はこれまでずっと私から権利を奪っていたつもりだったんだ、って。自分の権利を守る行為を取ることができて、少し成長した気がする。



くらむぼん

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