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②トラウマのようなもの

以前、このnoteの「そんなにキレイに生きられない」という記事に同じようなことを記したが、私は働くことやお金を得ることに対してプラスのイメージを一切持っていなかった。

話は少し逸れてしまうが、実家はおそらく裕福ではなかったので、「お金に執着するのは汚い人間」と母親からよく聞かされていたうえに、欲しい物ややりたいことがあっても「そんなお金はない」で一蹴されることが幼い頃から常だった。

そして、「私立高校はお金がかかるから絶対に公立に行け・でもそれなりのレベルの学校じゃないとダメ」と、小学校低学年の頃から徹底的に叩き込まれた。

しかし、公立高校はまんまと不合格となり、地域でも特に学費が高い私立高校に入学することになった(誰にも言えなかったが、個人的にはこの私立高校が第一志望であった)。

第一志望校に合格したにも関わらず、誰にも打ち明けられず罪悪感でいっぱいの私に母は、小遣いは渡せないから必要な金銭はアルバイトで得るよう指示した(とはいえ、これまでもこちらが申し出ないと小遣いなどもらえなかったのだが)。

友人達は放課後や土日の自由な時間を謳歌する中、私は学校に許可を得て地元のファストフード店でアルバイトをし、クレープやフライドポテトなどを作り売っていた。

それでも、田舎の高校生が得られる収入など雀の涙である。
たまに友人と遊んだり、厳選しつつも好きな本やCD、洋服などを買えばすぐに消えてしまった。

働けど働けど豊かになれない。
大げさかもしれないが、15歳ですでにその現実に直面した。

また、バイト代では賄えない金銭が必要だった場合…例えば学校での有料の補習を申し込みたい、英会話スクールに通いたいなど母に言えば一瞬で却下→「ただでさえ高い学費を払っているのに」「あなたは口を開けば”お金”ばっかりでお金に汚い」など言われる→自身を容赦なく否定される発言の数々に心を無にして耐える→お金に関するネガティブな思考を惜しみなく植え付けられる…までがセットだった。

とにかく、「お金さえあればこんな思いをしなくて済むのに…」と悔し涙を飲む日々の繰り返しだったのだ。

そして日常的に浴びる、「お金がない」「お金は汚い」というネガティブな言葉のシャワー。
なぜ彼らは働いているのにそんなにお金がないのだろう。

実情は分からなかったが、働けば豊かになれるなんて、やっぱり嘘なのだろうと思った。

このような日々の中、「働くのは辛い」「お金を得るのはとっても大変」「仕事なんて辛いだけ」「辛い思いをしないとお金は得られない」という負のイメージだけがどんどん大きくなり、心にこびりついたのだった。

そしてその固定観念のまま、就職活動のタイミングを迎え、こじらせてしまったのである。



過去記事「そんなにキレイに生きられない」
 ※長すぎなので追って編集します。


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