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「親の面倒を見るのは当然」という日本人独自の呪縛

周囲の介護をしている人たちに、無理をせず、一人で抱え込まないでヘルパーさんやショートステイなど他人の手を借りることも考えたら? と言ってもなかなか通じないので、『老いた親とは離れなさい』を2014年に書きました。介護をする人が倒れたら、介護をされている人はどうなるでしょう? また睡眠不足で疲れ果てた状態でやさしく介護をできるでしょうか。リフレッシュはお互いのためでもあるのです。自分を大切にしないと他人を大切にはできません。当時は介護をする人について書かれた本は少なかったのです。

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50代のある兄弟はパーキンソン病で介護が必要な母親のために、兄はビルの夜警をして昼間に母親の介護、弟は昼間工事現場で働き、夜は母の介護と二人で分担しています。

孝行息子の二人は独身でヘルパーの手も借りず母親の介護に明け暮れる毎日です。しかしこの生活がいつまで続けられるでしょうか。兄弟も年を取ります。二人にとっては「親の面倒を見るのは当然」で、当たり前のことのようです。つまり当事者は目の前の介護という課題を解決するのに精いっぱいなのです。そして他人のことなら、そんなに頑張らなくてもとか、無理すると共倒れになるのにということがわかるのです。
 また「親の面倒を見るのは当然」という思い込みがまっしぐらに介護へと向かうのです。

 中略

 前述の兄弟も母親がヘルパーを拒否していました。まさしくこの調査のように「他人の世話になるのはいや」で「他人に家に入り込まれるのもいや」で「家族だけでやっていける」というのが母親の主張で、息子たちもその言葉に従っています。2人は睡眠時間を削り、介護をしながら食事を作ったり洗濯や掃除などの家事をこなしているのです。そんなに無理をしなくてもよいのにと他人は思いますが、2人にとってはそれが当たり前のことなのです。
 そしてこの2人のように「当たり前」を疑わずに、倒れるまで頑張り続ける人がたくさんいるのです。

『老いた親とは離れなさい』2014年 朝日新聞出版 より

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