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24章 死ぬまで元気ぃー? 前編

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 深夜のK社の事務所で、赤いランプの灯った旧式のファックスがカタカタと巻紙のように大量に紙を掃き出している。

 朝、事務所のドアを開けて、あかりのスイッチを押した蔵子は、目の前の光景に立ちすくんだ。床に乱雑に白い紙が広がっている。
一瞬、泥棒かと思い後ずさりしたが、他に異常はないので、恐る恐る近寄って見るとファックスの紙だった。

 しゃがみ込んで紙を巻いていると、まろみがおはようございますと能天気に現れた。
「蔵子さん、なにしてるのですか」
「大量のファックスが来たみたいで、この通りよ」蔵子は顔をしかめた。
「もしかして、いたずらとか、いやがらせ? 悪質ですねえ」
それがそうでもないみたいと、蔵子は手元の紙に目をやった。

 ファックスは紙がなくなった印の、黄色いランプがチカチカしている。
「どういうことですか」
まろみも紙を集めた。
「それが、『SGC』って、知ってる?」
「最近SDGsはよく聞きますけど、SGCは聞いたことないですね。しっかり、がっぽり、貯金する集まりとか…シニアゴールドクラブ、これだとカード会社にありそうだけど。
シングルガールクラブ、セクシーギャルクラブなーんて、ちょっといかがわしいけど、ありそうな…イヒヒ」
「あのね、セクシーギャルが来る訳ないでしょ。全部、次回の『新わくわく片付け講座』の申し込みなのよ。」
「ほんとだ、会員番号まで書いてある」
「でも、どこの会員かはわからない。ざっと見ただけで五〇人は超えてますね」
まろみは立ち上がり、FAXの操作盤の蓋をあけた。
「紙がなくなっています。紙を入れたら、まだまだ来るかもしれません。どうします?」
「とにかく、紙を入れてみて」

 ファックスに紙をセットしながら、まろみはまだ考えている。
「鮭に、胡麻に、ちりめんじゃこで、SGC」
「はあ? 今度は何なの」
「ふりかけ愛好会なら、こうなります」
なるほどと言いながら、蔵子は連なった申込書を一枚一枚はさみで切り離していった。
まろみがファックスの蓋を閉めた途端に、ピーと鳴り、またズズズと紙をはきだした。
「あれぇー、どれだけ来るの?」
「新記録をどれだけ更新するか見ものねえ」
蔵子はファックスを見て、面白そうに腕を組んだ。
「しかし、蔵子さん、これでは…」
「別に、天地がひっくり返った訳ではないのだから心配することないわよ。それよりファックスの紙はまだあったかしら」
「買い置きはこれで終わりです」
「小学校の前のブンブン堂で買って来てくれる?」
まろみが事務所を飛び出してから、蔵子は申込書を一枚ずつ見ていった。
「やっぱり」

 まろみが事務所に戻った時、蔵子は電話中だった。
ファックスはまだせっせと動いている。
「このファックスも新しいのに換えれば、床が紙だらけになることないのに、こういうところがケチなんだから…」
電話が終わった蔵子は、まろみをじろりとにらんだ。
「ちゃんと、聞こえてるわよ。古いからといってまだ使えるものを捨てるわけにはいかないでしょう」

はいはい、と答えるまろみに、ハイは一回でいいの、という蔵子の声が飛ぶ。
まろみが調子に乗って聞いた。
「ところで、この超常現象はどこから来たのですか?」
「これは、超常現象でも、心霊現象でも、シンクロニシティでも、悪魔や妖怪の仕業でもありません」
蔵子は断言した。

 まろみは、宇宙人や不思議なことが大好きなので、がっかりしたようだ。
蔵子は朝からの騒ぎでばたばたしたから、コーヒーでも淹れましょうと台所に移動した。
まろみもひとりでは落ち着かないらしく、付いて来た。
「興奮したら、血糖値が下がったみたいで、甘いものが欲しくなりました」と、まろみはクッキーの缶を抱えている。
なんだか、よくわからない理屈だけれど気持ちはわかると、蔵子はマグカップにコーヒーを注いだ。

 まろみはチョコチップクッキーをかじりながら聞いた。
「子どもでもスマホを持っているのにメールでなくて、このナイアガラの滝のようなファックスはなんなのでしょう? スマホの電波の通じないところにいるか、スマホを持たない世代、もしくは信条の団体、宗教もありかな?」」
 宗教はないわねと蔵子は笑ってコーヒーを一口飲んだ。

 蔵子の古い友人のマキ・G・クレイグが数年前から家事評論家として活躍している。
シニア女性向けの講演活動をしていくうちに、ファンクラブができ、それが発展してSGCという団体になった。
活動は、インドのアシュラムへヨガの修行に行ったり、フィレンツェマラソンに参加したり、トルコ料理を味わう旅をしたりである。
「その、マキなんとかさんって、外国人ですか」
「名古屋生まれの大阪育ちの日本人よ。イギリスの人と結婚して、十年くらい向こうにいたみたい」
「家事評論家ってよくわからないのですが」
「雑誌の記者が勝手に肩書をつけたみたい。よく知らないけど」
「なんだか冷たい言い方。はは~ん、その人が嫌いなんだ」
「嫌いな人とは友達にならないわよ。嫌いな人は単なる知り合いと言います」
「それで、それで、SGCは?」
まろみは身を乗り出した。

蔵子は笑いをかみ殺しながら答えた。
「死ぬまで元気クラブだって」
「…? クラブ活動ですか、変なの」
「要するに、“ピンピンコロリ”」
はあ? ピンコロリンですかと言いながら、まろみはこっそり三つ目のクッキーを手にしていた。
「まろみちゃんは知らなかった? 死ぬ前までピンピンしてて、コロッと逝きたい願望」
「うちのおばあちゃんがお参りしている“ぽっくりさん”みたいなものですか」
「それはお地蔵さんでしょ。この人たちは、自力で頑張ってるみたいよ」

 まろみは四つ目のクッキーに手を伸ばしたところを、蔵子に押さえられた。
「糖分取り過ぎ」
ばれましたーと頭をかきながら、まろみはファックスに目を向けた。
「アッ、止まってる」
ほんとだと、蔵子はまた波を打っている紙をかき集めた。
まろみはくるっと椅子を回転させて、それで、どうしてこの人たちが申し込んだのですかと聞いた。
「マキさんが、SGCの新年会で紹介したらしいの」
 申込書を確認しながら、蔵子は、会員の平均年齢は六〇代後半と見当をつけた。
「でも、家事評論家のファンクラブがなぜSGCなのですか」
「マキさんは手抜き家事の提唱者なの、それで時間を作っていろんなものを見たり食べたり、心の栄養になるような体験をしましょう。楽して死ぬまで元気でがんばろう、っていうのがコンセプトらしいのよ」
「なんとなく、ファンになるのがわかるような…」
「マキさんの話によると、不要な物がたくさんあるから、家が狭くなって、掃除も手間がかかるし家事も増える。そこでうちの『新わくわく片付け講座』を紹介してくれたわけ」
「しかし、マキさんの影響力はすごいですね」
「そうねえ、最近はカリスマらしいから。それに、会員の人たちも内心、荷物を減らしたい、身軽になりたいと思ってらしたのかもしれない。そこへマキさんが、ぽんとひと押し、スイッチを押したものだから、ドッカーン」

「今度の会場には入りきれませんよ」
「マキさんに連絡をして、日程を改めて連絡することにしたわ。事前に話をしてくれれば良かったのだけれど」
「お話はなかったのですよね」
「そう、あの人は段取りとか、根回しとかとは無縁の人だから」
「ひぇー。そんな人が、家事評論家なのですか」
「妹さんがマネージメントをしているから、本人は言いたい放題なのよ。そういう規格外れの人だから、日本ではうまく生きられないと言って、イギリスに行ったのだけれど、時代が変わって、そんな彼女に魅力を感じる人が大勢いるらしい」
「それでは、次回の講座はいつも通りですね」
「ええ、明日にでもマキさんのところに行って、SGCの件は相談してくるから」

 翌日の午後、蔵子はマキのマンションを訪れた。
インターホンで名乗ると、どうぞと、一階玄関ホールの大きなドアが開いた。
一八階でエレベーターを降りると、ゴールドのジャンプスーツを着たきらきら光るマキが立っていた。宇宙人みたい。
 あいさつもそこそこに、蔵子は聞いた。
「マキさん、その衣装は?」
「これ? 来月、皆でエルビスに会いにメンフィスのグレイスランドへ行くから、その時のための衣装の仮縫い中」
 ジャンプスーツの袖を振ると、長いフリンジが揺れ、まばゆさが増した。
 ゴージャスで飾り立てたリビングを想像していたくら子は、目を見張った。
案内された部屋は 和室で床の間があり、窓には障子がはまり、家具と言えば座卓と、茶棚だけだった。
フリンジを翻しながらマキは座布団を勧めた。
「驚いた?」
マキは楽しそうだ。
「ええ、予想外でした」
「イギリスの生活でわかったのは、昔の日本の畳の生活がいかに素晴らしいかということ。
この部屋だと、お掃除も、ささっとはたきをかけて、箒でぱぱっと掃くだけだし」
 今の時代に、はたきや箒のある家がどれだけあるのか。
蔵子には新しい畳のにおいが懐かしく感じられた。
「確かに、気持ち良さそうですね…」
「蔵子の言いたいことはわかるわよ。年を取ったら椅子やベッドの生活が楽だってことは、でもね、十年後二十年後に備えるより、今を大切にしたいのよ。膝が痛くなって和室がつらくなったら模様替えをするか、もっと狭い部屋に引っ越すわよ。ロンドンでずっと椅子の生活をしていて、どれだけ畳に寝転がって手足を伸ばしたいと思ったことか」
確かに、そのお気持ちはよくわかりますと蔵子は答えた。

蔵子さん、こんにちはと、お盆を手にマキの妹のケイが現れた。
「また、姉さんのくだらない屁理屈を聞かされてるのでしょう。あれこれ言ってるけど、畳の部屋が恋しくなっただけよ。そのうち飽きるから」
 マキはフンと横を向いた。こういうところは昔と変わらない。
ケイと蔵子は顔を見合わせて笑った。

 番茶の横には鯛焼きが添えられていた。
マキはむしゃむしゃと頭から鯛焼きにかぶりついた。
「それで、SGCの人たちがどどっとファックスを送ったんだって」
蔵子は尻尾から鯛焼きをかじりながら、そうですと答えた。
ケイも鯛焼きの頭をかじりながら、姉さんまた何かやったのとマキをにらんだ。
蔵子は、姉妹というのは、性格は全く違うのに、鯛焼きの食べ方は似るものなのかと思った。
「それで、今日うかがったのはSGCの『新わくわく片付け講座』の件ですけど」

「ああ、それ、蔵子の都合のいい日に決めて、ケイに連絡してくれたらいいから」
「はい、わたしの方で会場その他のセッティングをしますから」
ケイは蔵子に頷いた。
「わかりました。改めてご連絡します」
「ねえねえ、蔵子もエルビスに会いにメンフィスへ行かない?」
条件反射のように、とんでもないと蔵子は断った。
ケイは、うふふと笑っている。

「しかし、マキさんが家事評論家とは驚きました」
「そうでしょ。妹のわたしが言うのもなんだけど、こんなに家事をしない人も珍しいのに」
「だから、いいの。いかに手を抜くか。それだけを考えてきたのだから。たまたま友人の編集者にそのことを話したら、こうなったってわけよ」
「世の中わからないものですねえ」
「ほんとほんと、だから人生は面白いのよ」

 ゆっくりと番茶を飲みながら、蔵子は床の間の掛け軸に目をやった。
黒々とした大きな勢いのある字で「一日一生」と書かれていた。
蔵子の視線に気づいてマキは聞いた。
「あれも、わたしらしくない?」
「いえ、そういう意味ではありませんが、『一日一生』が“死ぬまで元気”とつながっているのかなと思ったもので」
「アタリよ。蔵子はあい変らず冴えてる。わたしもいろいろ考えたわけよ」
 マキの「一日一生」は、一日で一生が終わっても悔いのない日を過ごしたいという思いからだった。

きっかけは学生時代の恩師の死。
大学時代、友人もできず、成績も悪くて落ちこぼれていたマキを理解し、個性を大切にしなさいと励ましてくれた人だった。
七〇を過ぎ、大学の名誉教授となった恩師は楽しそうにマキに話した。
「わたしの頭の中には、論文のアイデアがあと十くらいあるので、のんびり隠居をしてはいられません」
しかし、元気そうに見えた恩師はその一週間後、心蔵発作で亡くなった。
論文は恩師と共に消え、世に問われることはなかった。
マキにはそれが残念だった。
そして、“いつか“という言葉を使うのはやめようと思った。
恩師も寿命がわかっていれば、行動が違っていたかもしれない。
やろうと思っていることは、すぐに着手しよう、今を生きようと誓った。
両親を早く亡くしたマキにとって、恩師が親代わりだったのだろう。

しんみりとした蔵子に向かってマキは微笑んだ。
「蔵子、人生で一番難しいことは何かわかる?」
「さあ、なんでしょう」
「死に方よ。これは自分では決められない。それに誰にも教えられない」
蔵子は考え込んだ。
「生き方指南は古来の賢人・偉人の教えから、今流の生き方まで山ほどあるけど、死に方を教えるものはないのよ。自殺は問題外だからね」

死に方ですかと考え込む蔵子に、ケイが、また始まったという顔で湯呑みを片付け始めた。
「だって、死んで帰ってきた人はいないのだもの。臨死体験でお花畑を見た人はたくさんいても、川向こうにまで行った人はいないのよ」
それはそうですけどと、蔵子は腕を組んだ。
「SGCは“死ぬまで元気”が合言葉だけれど、これは気持ちの問題なのよ。会員の中には胃が三分の一しかない人もいるし、持病を抱えた人もいる。だからこそ、今を生きよう、今を大切にしようと思っているわけ」

戸惑う蔵子に、紅茶の用意をしてきたケイが助け船を出した。
「蔵子さん、姉さんの話をまじめに考えちゃだめよ。頭がおかしくなってしまうから、いいかげんに聞き流しとけばいいわよ」

 ケイはこの話題に蓋をして、紅茶と共にスコーンを勧めた。 ほかほかのスコーンにイチゴジャムを塗ると、イギリスのアフタヌーンティのような気分になれる。
目の前のプレスリーもどきのゴールドのジャンプスーツを着たマキと、死に方を論じるマキ、どちらもマキだ。
そして、スコーンがとびきりおいしいのも現実。

「ところで、プレスリーはまだ生きているのでしょうか」
マキはうっとスコーンを喉に詰め、ケイはぷっと吹き出した。
 三人で顔を見合わせて思い切り笑った。

「姉さんたら、どうでもいいことばかりで、肝心のことはお話してないでしょ」

 ケイの言葉に蔵子は、まだ何かあるのかと訝った。

24章 死ぬまで元気ぃー? 前編 終

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