近頃の若者は世界征服なんて夢を見ない(4)
☆第1話はこちら
~前回までのあらすじ~
世界に平和と笑顔を届ける「正義の秘密結社」が日本を統治するようになって50年。
「悪のフリーランサー」であるブラディメアリ、エイトビット、レイヴンの三人は、秘密結社GSMの洋上パーティ会場に乗り込んでいた。
超人的戦闘力を振るう「猟犬」に追い詰められるメアリだったが、自身の肉体を霧状の血液に変化させて逃げ延びた。
一方で、賊を撃退したと一息つくGSMの要人は衝撃の報告を受ける。
メアリに気を取られている隙に娘がさらわれた――。
正しいのは正義なのか悪なのか。
~悪~
擦り切れたジャズが流れていた。ひび割れたサックス。錆びたトランペットが踊る。黴の生えたチェロが高笑いをあげ、そして、バラバラに砕け散った。
「あっ」
目を覚ましたチエの鼻孔を煙草の煙がくすぐる。
それと、両手首が痛い。動かそうと思っても動かせない。
ところで……ここはどこ?
「お、起きたな」
えーと。
チエはなんとか状況を整理しようとする。
中学の成績はずっとトップを守った。ギリだったけど。それに高校だってお父様の期待に応えられるくらいのところに入ったばっかし。そうよ、チエ。私にわからないことはないわ。
「あー……起きてるんだろ?」
まず、そうね。私は昨日までお父様の付き添いで船の上にいたはず。たしか慰問パーティだとかで。でも私は船酔いしちゃったからお部屋で寝ていて……。
でもここは船の上って感じじゃなさそう。揺れてもないし、波の音も聞こえない。
狭い、なにもない部屋。駆り立てのアパートの一室みたい。どっかから音楽が聞こえる。変なジャズ。ひどい音質だわ。
「おい、大丈夫か? 目を開けたまま気絶してるんじゃないか?」
それと私。手首が痛い。我慢できないほどじゃないけど。あと足首も。痛いだけじゃなくってうごかせないし……あ、そうか。縛られてるんだ。座ったままの姿勢だし、たぶん椅子に縛られてるのね。だんだんわかってきた。
「なあ、おい! 大丈夫なのか!? まさかショックで声が出なくなったとか……!?」
そう、そして最大の問題はこれ。
さっきから私のことジィーッと見てくるおっさん。まあちょっとイケオジ様かも知れないけど? お髭ちゃんと整えてる大人って好感度高いし。
あ、ううん、そんなこと言ってる場合じゃないわ。私のこの状況って……どう考えても、あれだもの。そう、誘拐!
てことはこの人は誘拐犯の公算大。とんでもない極悪人かもしれない。あ、なんかそう考えたら悪い人に見えてきた。とにかく注意するのよ、わたーー
「きゃ、なに!?」
「なんだ、喋れるじゃないか」
立ち上がった男の瞳がすうっと細まり、チエを覗き込む。鴉のように黒い瞳。
それと、彼女の頬に添えられた手は、単に表情を見やすくするためのものだが、予想だにせずチエの思考をかき乱した。
「い、今、考え事してたのよ!」
「そうか。こんなことをしといてなんだが、何ともないのならいい」
「こんなこと……あ」
お花畑に寄り道していた彼女の思考、それでようやく正常に戻る。
「あなた、誘拐犯ね」
屹然と、今やGSM局長となった父にふさわしい態度で彼女は問い詰めた。遅れてやってきた恐怖を押し殺す。こんなことならずっとお花畑で遊んでいるんだったわ。そんなことを考えても仕方がない。
「そうだ。悪いが君は人質になってもらっている。大人しくしてくれれば悪いようにはしない」
「……お父様を脅すつもりね? そんなことしても無駄よ。GSMはどんなテロにも屈服しないってお父様はいつも言ってるもの」
「かもな。しかしそんなことは俺には関係ないんだよ」
「どういう意味?」
「そこまで話す必要はない。俺の仕事は君の見張りであって、おしゃべりの相手をしてやることじゃないからな」
「でもさっきは、私が喋れなくなったんじゃないか心配してた」
男の言葉が詰まる。チエは、一瞬何かを逡巡するかのような表情が浮かんだのを見た気がした。
けれどすぐにそれは気配を消し、彼はぶっきらぼうに言い放つ。
「傷がつけば人質としての価値が下がる。それじゃ困るからだよ、お嬢さん」
嘘よ。
チエには何故だかそんな確信があった。
目の前のこの人、悪い人じゃない気がする。でも私を誘拐した。それは悪い人のすること。
うーんわからないわ。
「水でも飲むか」
「あ、うん」
男はすぐそばの机に放置されていたコップをチエに手渡した。思いの外にきれいなコップだった。ぐいと飲み干すと、全身に生気がみなぎってくる。
喉、乾いてたんだ。
考えてみれば少し喉が痛かった。今の今まで気が付かなかったけれど。人間って大切なことも簡単に気が付かないふりができるんだと彼女は思い知った。
それと水分を補給したせいか、彼女の精神もゆっくりとした落ち着きを取り戻し始めていた。それに伴って見えなくなっていた恐怖への心も少し顔を出す。それは無理やりまた飲み込んだ。
これからどうしよう。
とりあえず今の自分の状況を知ることが先決。でも、その前に――
「えっと……ありがとう。私、喉乾いてたみたい」
こんにちは、はじめまして、ありがとう。心の挨拶は笑顔と平和への第一歩。チエは何度も両親から教わってきたGSMの心得を実践した。
男は、少し驚いたみたいに目を見開いた。
「なにか入ってるんじゃないかとは思わなかったのか」
「なにかって?」
「言うことを聞かせるようにする薬、とか」
「薬を飲ませるよりも拳銃を突きつけたほうが早いわよ」
「そりゃそうだな。君は頭が良さそうだ」
「バカにしてる?」
「いや」
「ねえ、そんなことどうだっていいの。それよりあなたのことはなんて呼べばいい?」
「誘拐犯でいい」
「だめよ。世界に笑顔と平和をもたらすための第一歩、心の挨拶。第二歩目はお互いによく知り合うこと。私はチエ。楠木チエよ。知ってるだろうけど」
「いや……名前は初めて知った。楠木局長の娘だとしか」
「あらそう。じゃあ自己紹介してよかった。あなたの名前は?」
男は口を閉ざした。そして次の瞬間には固めた拳で眼前の生意気でお喋りな小娘に殴りかかる――なんてことになるのかしらとチエはぼんやり考えた。そのほうが常識的に考えてありえそうなシナリオだ。そもそも犯罪者が自分の情報をべらべら喋る理由はない。そんなことをしても百害あって一利なし。
でも、チエは問いかける眼差しを閉じるつもりはない。
それは、笑顔と平和のための努力を続ければ相手も必ず応えてくれるという、GSMの基本的な教理を信じているからというのが一つではあったが。
「別に今じゃなくても――」
彼女の言葉に男の名乗りが重なる。
「……レイヴンだ」
「え」
「二度は言わない。それにこれは言うまでもなく本名でもない。ただ、俺のことを呼びたいのならそう呼んだらいい。クソ、ガキのおもりなんて調子が狂うばっかりだ」
口汚い男の、レイヴンの悪態も、チエには聞こえていない。見知らぬマンションの一室で、両手両足を縛られて、それでも彼女は少しだけ満足感を得ていた。
「レイヴン」
未だにくぐもったジャズがどこかから聞こえている。
(つづく)
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