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ラーメンの消失

「私の専攻は時空歴史学です」
そう自己紹介した時の話し相手の反応ほど嫌なものもない。
「ははあ。時空大河ドラマの時代考証をなさるおつもりで」なんていう大馬鹿ものどもはまだ良い方で、ひどいやからになると「4次元航法学の学生が4次元航法士になるように時空歴史学の学生は時空歴史学士になるのですかな」などと訳の分からないことを言い始める。
「時空歴史学は我々の時空がどのような歴史の果てにあるのかを明らかにする学問でして……」なんて懇切丁寧に説明することは馬鹿馬鹿しいことであり、出来ることなら時間断裂帯に突き落としてやりたいくらいだ。
しかし一番面倒なのは、相手も時空歴史学を専攻していた時に他ならない。当然「ではなんの研究をされているのでしょうか」と聞いてくる。こうなるともう逃げ場はない。無知が相手なら煙に巻く事ができても同業者ではごまかしが効かないからだ。もし見栄をはって「時空間結節点の変動推移を」なんて言おうものなら赤っ恥の未来時空が刹那の速さで向かってくるだろう。
だから仕方なく私は言う。
「今時空間におけるラーメンの消滅時期を調べています」
それで笑われなかった試しはない。
なにせラーメンがこの時空間から消滅していることは意外と知られていない。そもそも南アルキメデス駅から徒歩3光年(光年は時間の単位ではないが、なぜ徒歩3光年という表現な許されるのだろう。これもそのうち研究対象にしたい)ほどいけば、それだけで無数のラーメン屋が目につくからだ。
「やってるかい」
なんて気さくに粒子暖簾をくぐれば三つ目のアルキメデス星人の大将が陽気な声で出迎えてくれる。
「醤油ラーメン一丁ね」
「まいどあり! 醤油ラーメン一丁500万クレジット!」
「はいはい500万クレジット」
そんな他愛ないやり取りをしたら本当に500万クレジット口座から引かれていたというお茶目な話を聞いたこともあるかもしれない。実はその話を調べて広めたのは私なのだ。だから噂に語られるように、500万クレジットの借金を背負った学生が世を儚んでブラックホールに飛び込んだことも事実だと知っている。ただ彼の両親がシリウス星系のお偉方でこの一件が第72次宇宙大戦の引き金であったことを知る者は少ない。
さておき、ラーメンは我々の時空間においてポピュラーな食べ物であることは一見すると疑いようもないことに思える。だからこそ私の研究内容を聞いた者達は皆一様に笑い転げるのだ。
そうした社会の中で私の研究の重要性を伝えることは非常に難しい。半ば諦めてもいる。そもそも一山いくらの同業者からの認知よりも、毎年きちんと時空統括政府からの研究資金がもらえているかのほうが重要なのだ。そして実際に研究資金が出ている以上、ラーメンの消滅は私の妄想の中の出来事ではないということになる。

ラーメン消滅の正確な時期は5万とんで12年と2ヶ月11日ほど前のことになる。当時の暦でいうなら2021年の8月26日。じきに夏休みが終わることを知った学生達が、これまでの弾けるような天真爛漫さを忘れて少しずつアンニュイの気分を感じ始めた頃である。
今でも思い出す。
当時、この研究とは別の目的でレンタルしていた民生用タイムマシンを降りた時、まず私は手酷い蝉時雨の洗礼を浴させかけられた。これはタイムトラベルの経験がないと分からないだろうが、太古の世界は今よりもずっと騒騒しい。たまらず逃げ込んだ屋内は空調の効きすぎた飲食店で、店内には「冷やし中華始めました」の直筆文字が雑に張り出されていた。
手狭な店内。木製の机椅子。扉を閉めると風鈴の音が鳴った。回り回る扇風機。エアコンが効いているのにどうして三重に冷やしているのかと眩暈がしそうになる。学生らしい客層が私の方を一様に振り向いて、また興味を無くしたように麺をすするのに戻っていった。時代迷彩はよく機能しているらしい。
「いらっしゃいませ」
日暮れの少し前だ。来客といえば部活帰りの学生集団だけだったのだろう。アルバイトか、それとも夫婦らしき厨房の男女の一人娘か、若い女が私を怪訝な目つきで出迎えてくれた。
「お一人ですか?」
「ええ、まあ」
「お好きなお席にどうぞ」
「それはどうも。ガラガラですものね」
「はあ」
これは携帯事象レコーダーから書き起こした実際の会話だが、まだ私の話し方が拙く意思疎通に齟齬が生じていた可能性がある。それでも、ずっと独学だった21世紀地球語の初実戦にしては流暢な方だったと自負したい。なにせ人気のない時代だから自動翻訳装置の対象外なのだ。
「ではこの冷やし中華始めましたを一つ」
「えーと……ごめんなさい。冷やし中華は先日でおしまいなんです」
「そうですか。では冷やしでなくて構いません」
「えっと、普通の中華そばってことですか?」
「温かくていいですよ」
「はあ」
彼女は要領を得ないという風だった。今にして思えば申し訳ないことをしたと思う。見兼ねた学生集団の一人が彼女に加勢したのも無理はない。
「おいおっさん! あんまりケイちゃんのこと困らせんじゃねえよ!」
「はじめまして」
「ああ、うん。それよりおっさん日本人じゃないだろ。日本語うまいけど」
「ふむ。どうしてそう思いましたか?」
「冷やし中華知らない日本人なんていねーよ」
「冷やし中華はやめました。あなたのおすすめのメニューは?」
「え? あー、ラーメン食っとけばいんじゃね? ここは安くてうまいよ」
「ケンジ! ヤベー奴に触れんなって!」
「あ、おい! 先行くんじゃねえクソ! だから逃げんな!」
嵐のように過ぎ去っていく学生集団。扇風機とエアコンと風鈴の混声合唱。机にキチンと全員分のお代が置いてあるのがなんとも手馴れていて、私は現時人のしたたかさを感じずにはいられない。
「あの、ラーメンでいいですか?」
「いいです」
「とりあえずお席にどうぞ」
「ああ」
それまですっかり気がつかなかったが、私はずっと立ちんぼだった。現代では反重力チェアが当たり前だから腰を下ろすという発想がなかなか出てこない。
木の椅子は硬い。主観時間を調整して5分経つと、目の前でラーメンが湯気を立てていた。現代のラーメンと比べると、色合いも七色と言うほどではないし麺も音楽を奏でたりはしないが、味はまあまあ。というよりも流石に原色だ。私は初めて食事で味だけを楽しむということをした。
「おいしいです」
ケイちゃん、と呼ばれていた店員は座るでもなく何をするでもなく近くの梁にもたれていた。別に彼女が作ったわけではないとわかっていたがとりあえず報告しておく。
「ありがとうございます」
ずっと怪訝そうだった表情が和らぐ。この時代は思念通話(テレパス)がないのにこちらが虚偽を言っている可能性など考慮していないようだ。人に無条件で信頼されるのは悪くない感覚だった。
そのままゆっくりと味わって食べたところ、麺はすっかり伸びきってしまった。
「また来ます」
来る予定などなかったが、自然と言葉が口に出てしまった。店員の彼女は曖昧に頷く。外へ出ると夕暮れが燃えていた。風鈴の音が鳴る。

しばらくして、また別の目的で私はあの日を訪れた。その目的は思いの外に早く終わったが、タイムマシンの貸出期間にまだ余裕があったので、元を取ろうという貧乏根性でまた例の店に足を運ぶことにした。
「やあ、どうも」
そう言ってから、この店に来るのは客観的には初めてだったことを思い出す。とはいえ主観時間は重なりあうものであり、彼女は宇宙幽霊でも見るような顔を向けてきた。
「あの、どこかでお会いしましたっけ」
「冷やし中華、終わってしまったんですよね」
「あ、はい。先日で。ところですみません、以前にもお店に来たことがありますよね? でも思い出せないんです。私、一度来た人の顔は絶対に忘れないんですけど」
「それは無理もない」
私は笑った。古代人にタイムスリップと時間堆積理論の話をするわけにはいかない。つまり笑ってごまかした。
「おいおっさん! あんまりケイちゃんのこと困らせんじゃねえよ!」
当然店には学生集団もいるわけで、同じ学生が私に詰め寄ってくる。
「はじめまして」
「ああ、うん? 何言ってんだよ。おっさん前にもあったことあるだろ」
「ケンジ君もそう思う? でも思い出せないんだよ。いつだったっけ」
「ケイちゃんが覚えてなかったら俺らだってわかんねー」
「ラーメン一つ、いいですか」
「あ、すみません!」
「おいケンジ! ゲーセン行くぞ!」
「わかってるよ! おいてくんじゃねえって!」
花に嵐の勢いで店から出ていく彼らを見送る。相変わらずきっちりとお代は残されていた。
「彼ら、いつもああなんですか」
ラーメンをすするのを中断して、ヒマそうにしていた彼女に尋ねる。
「賑やかですよね。いなくなると静かすぎて寂しくなっちゃうんです」
「同じ学校の生徒?」
「ええ、まあ。私は体が弱くてあんまり行けてないんですけど、元気な日はお家の手伝いをしてて」
「ラーメン、おいしいです」
「ありがとうございます。けど父も歳で、いつ作れなくなるのか……」
「君はあとを継がないの?」
「体が弱くて。とても料理はできまないんです」
それから私たちは他愛もない話をして短い時間を過ごした。ラーメンは伸びきっていた。
「じゃあ、また」
外に出ると日が暮れていた。暗色の空が夜に先駆けて頭上にあった。風鈴の音が鳴る。

それからも私は、研究にかこつけて事あるごとにあの日のあの場所を訪れた。そこには必ず酷い蝉時雨が降り注いでいて、冷やし中華はなく、学生集団がたむろし、そして、彼女がいた。
「こんにちは」
私は手慣れた動きでいつもと同じ席に座る。最初に座った席と同じ場所。彼女が水を持ってくる。
「いつもありがとうございます。ラーメンでよろしいですね」
「ええ。お願いします」
強固な時の堆積によってもう彼女も疑念を挟まない。私の記憶は彼女たちの中に確固として存在している事だろう。一つ一つ自分の過去を解きほぐしていけば私の不在に気がつくだろうが、ふらりと立ち寄った常連に対してそんなことはしない。
「おっさんまたラーメンかよ。他になんかないの?」
「やあ、はじめまして」
「は? 記憶喪失? おもしろくないよ、それ」
「ラーメンは君がオススメしてくれたんだけどね」
「そうだっけ。まあ安くてうまいからな」
「ああ。本当にいいことを教えてもらった。それより友達を待たせてるんじゃないのか」
「あ、やっべ!」
たちまち嵐は店から吹き飛んでいく。お代が残されなかったことは一度としてない。楽しげに微笑む彼女。雑談にふける私たち。麺の伸び方は数を重ねるごとにどうしようもなくなっていった。
店を出る。星々のきらめきと夏の湿気。けれど風鈴が鳴る前に、その日は彼女も一緒に外へ出てきていた。そんなことは初めてだった。
「お店は?」
「今日はもう店仕舞いなんです。それよりあの、よければ少し歩きませんか?」
少し俯きがちに、彼女はそう言った。私はただ頷くことしかできなかった。風鈴がやっと鳴った。
そして私は、初めてこの店の周囲がどうなっているのかを知った。別段これといったこともない商店街。右手の中に柔らかな体温。
客観的に見れば私達は初対面であり、この状況は奇妙な状態だ。彼女は、堆積した時間の果てに生まれた奇妙な感情を誤認しているだけだと、私は少し厳しめに注意してやることもできた。けれどそれはせずに、ただ静かに彼女を受け入れた。
騒々しい夜だった。

あの日。蝉時雨の酷い夏の終わり。その日を少しでもずれれば、時間の堆積のない彼女は私のことを知らないただの過去の人間となってしまう。私が食べてきたラーメンも、嵐のような学生達も知らない、堆積のない時間軸が動き出す。そこでは、私の食べてきたラーメンは消滅したも同然だ。
消滅を回避する方法は一つだけ。あの日、あの時間、私は幾度も彼女に会いにいく。
時空統括政府は私の組み上げた時間堆積理論のデータを欲しているだけなのは知っている。それがなにに使われるのか。少なくとも平和利用ではなさそうだ。でも、構わない。
ラーメンの消滅時期を調べている。それは、私が彼女と会えなくなる時だろうか。
一研究者としてそんな日は、来ないことを願うばかりである。

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